チェブラーシカを連れて。
日本で「ロシアの耳のでかい生き物」が
知られるまで。

チェブのために会社を辞めた



どんどん決めます

通天閣 それで、会社の中で
映画の仕事をする
チャンスが来たわけですよね。
よしくみ そうそう。
それですんなりと
シネマワイズの担当になれてん。

わたしが行く前は、制作会社が
上映作品を選んで持ってきて、
ハード面だけ吉本の社員が担当する
っていうことになってたんやけど
まず、上司に相談しに行って、
その制作会社をはずしました。
通天閣 いきなりはずしたんですか!
よしくみ 前から評判があんまりよくなくて、
すごくこっちが迷惑かけられたりして
仕事がやりにくかってん。
通天閣 ほうほう。
上司はすぐオッケーしてくれました?
よしくみ 「その会社はずして、
 どうやって映画上映するんや」
って言われて、何の根拠もないのに、
「自分で映画探してきます」って言って。
最初、「版権が切れてる」っていう意味も
わかってなかったのに。(笑)
通天閣 つよーーーっ。
あんた強い人や、よしくみさん。
よしくみ それから、色んな大学の映画研究会に
ダイレクトメールを送って
「交通費しか出せないけど、
 映画の上映を決める会議に出てみませんか」
って誘って、学生の子に来てもらったりした。
それに映画好きな社員をまきこみつつ、
「何の特集組む?」っていう会議を
月一回くらいして、
上映する映画を決めていった。

ビデオになってる映画は
お客さんが入らないから、
ビデオ化されてない作品を基本にして、
2本立てで安い値段にして
それに映画だけじゃなくって
イベントをつけようということになって。
通天閣 うんうん。
よしくみ そのときに後々『チェブラーシカ』を
共同で配給することになる
「プチグラパブリッシング」の人を紹介されて。
「出版社です」って言うから、
映画のフライヤーを作るときの
デザインを考えてもらったりしたね。
通天閣 どんどん人を使いますねえ・・・。
お客さんの入りはどうでしたか。
よしくみ お客さんが入るときと入らないときと
すっっっごい差があったけど
でもコンスタントに何ヶ月かに一回は
当たるようになっていったねえ。

でも、結局業績が悪くてつぶれちゃって、
あっという間の2年半やったわー。
通天閣 でも、好きな映画の仕事ができたのは、
大きいですよね。
よしくみ うん。
あの時、「あたしやります」って
手あげてなかったら今の私はないわー。
このカフェももちろんなかったし。

シネマワイズの仕事はキツイから
絶対行かないほうがいいって、
周りの人にいっぱい反対されたけど、
どうしても映画の仕事をしたかったから
行ってよかったなーと思った。
すっっごい楽しかったもん。

業績のことは色々言われたけど
映画の仕事をやれるっていうことだけで
めっちゃテンションあがったからね。
近くの映画館に挨拶しにいったり、
映写機を触れるっていうことだけでも
すっっっごい嬉しかったし。
「フィルムを自分で編集する」っていうのも、
どきどきしたなあ。

くたくたやったけど楽しかった。
シネマワイズがなくなってから、
「ぼく昔かよってて、すごく好きな映画館だった」
って言ってくれる人とかいて、
それもすっごい嬉しかった。
通天閣 そこまで自分で全部やってたら、
映画館がもう、自分そのものですもんね。
よしくみ そうやなあ。
カレーとかシチュー作って
オールナイトのイベントしたり、
モンキーパンチ先生を呼んで
ルパンの特集したり。
ガンダム特集もやったしね。
ドリフ特集の高木ブーさん呼んだ時は
お客さん、めちゃくちゃ入ったなあ。
通天閣 ・・・ブーもいいんですけど、
チェブを連れて来るのは
そのシネマワイズがなくなった後ですよね。
よしくみ そう。
その頃、企画開発部っていう部署に
異動になって、
『チェブラーシカ』を配給したいっていう
企画書を出した。

通天閣 まずは、会社のお金で配給することを
考えたんですね。
よしくみ そう。でも、それと同時に出してた
海外のアニメーションを買い付けてくる
っていう企画書のほうが先に通ってん。
通天閣 そう言えば、フランスの映画祭に
出張されてたことありましたよね。
よしくみ アヌシーっていうところでやってる
アニメーションの映画祭ね。
色んな映画を見たんだけど、
ラウル・セルヴェ監督の
『夜の蝶』っていう映画がすごくよくて、
たまたま監督が来てたから
その場で配給したいって言って
話をして決めてきた。
通天閣 色んなことをどんどん
決めていきますね!
よしくみ 昔から考えるより先に
動くほうやったからねー。
通天閣 英語とかしゃべれるんでしたっけ?
よしくみ 全然。(笑)
その時は友達が通訳としていてくれた。
それに、こっちがちゃんと気持ちを伝えれば
言葉がつたなくても伝わるし。
通天閣 はっはあ。
よしくみ その『夜の蝶』は、2000年の冬に、
渋谷のユーロスペースの
レイトショーで上映できて、
全国の主要都市もひととおりまわれたの。

それをやったことで、
映画の配給のノウハウをひととおり、
会社のお金で吸収できたから
すごくよかったなあ。
通天閣 ほんまですね!
その話を聞いてると、
会社に使われてるだけじゃなくて
会社を使えばいいんや、と思いますね。
それがお互いのためにもなってるし。

映画って、買ってきた後は、
どうやって話を通していくんですか。
よしくみ まずは、その映画をかけてくれる
劇場を探すことかな。
その点に関しては
東京と大阪は仲良くしてた
劇場があったからうまくいった。
東京と大阪が決まったら
地方も徐々に決まってくるからね。

それが一番大きな仕事で
あとはフライヤー作ってポスター作って
それをどこに配ってっていうことと
宣伝をしてくれる会社を頼むこと、かな。

会社を辞めるときがきた

通天閣 肝心のチェブラーシカの企画書は
どうなったんですか?
よしくみ 『夜の蝶』と同時進行で
権利元を探してたんやけど
なかなかうまくいかなくて
そのうちまた会社の組織変更があって
私もテレビの仕事に戻されちゃった。

その時点で、『チェブラーシカ』に関しては、
会社としてはやらないっていう方針が決まって。
通天閣 あの頃のよしくみさんは、
社内でも社外でも会う人会う人に
チェブのビデオを見せまくって
「かわいいでしょう?かわいいでしょう?」
って言い続けてましたよね。
この人のこのパワー、すごいなあって思った。
わたしもようわからんながらも、
「かわいいかも!」って思えてきましたもん。
よしくみ ようわからんかったんかいな!
でも、一生懸命見せても、みんな
「しーん」って感じやったやん。
これは自分でお金を出して
配給するしかないぞって思った。

会社辞めること考え始めて
お金を貯めだしたね。
通天閣 自分のお金を仕事につぎこむって
どういう感覚なんやろう。

よしくみさんを見てると
『チェブラーシカ』を配給することを
「仕事」と思ってないように
見えるんですよね。
よしくみ そうやなあ。
やりたいからやってるだけかもな。
それが今はちゃんとお金にもなってるから
すごく恵まれてるなーと思ってる!
通天閣 会社を辞めるとき、未練は・・・?
よしくみ 会社にいること自体はすごい楽しかったけど
会社の仕事は、私にとっては
もう魅力がなかったしね。
ひととおり仕事覚えて全部やっちゃったし、
吉本でできるであろう、どの仕事を考えてみても
楽しくないと思って、それで辞めた。
ちょうど30歳やったなあ。

(つづく)



「チェブラーシカ」の名前の由来

ロシアにオレンジと一緒に箱詰めにされて出荷された後、
箱の中のほとんどのオレンジを食べたチェブラーシカは、
すっかり太ってしまっていて、手足がしびれてしまい、
そのせいで絶えずぱったり倒れるものだから、
果物屋のおじさんに
チェブラーシカ(ぱったりたおれ屋さん)と
名づけられたそうです。

2002-10-15-TUE

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