チェブラーシカを連れて。
日本で「ロシアの耳のでかい生き物」が
知られるまで。

チェブとの出会い


ほぼにちわ。
通天閣あかりと申します。

わたくしはその昔、
大阪という笑いの街で、
吉本興業という会社に勤めておりました。
その時の2年上の先輩が
『チェブラーシカ』
を日本に連れてきた張本人、
通称「よしくみさん」こと、
吉田久美子さんでした。

『チェブラーシカ』っていうのは1969年、
ロシアアニメ界の巨匠ユーリ・ノルシュテインの師、
ロマン・カチャーノフ監督という人(誰やねん)
が作った、ロシアでは国民的人気をほこる、
パペットアニメーションです。
その映画が去年の夏、日本全国で上映され、
ロングラン上映もされるほどに
爆発的な人気が出たんです。

その後も人気は衰えず、グッズになったり、
本になったり、DVDも発売されたりと
飛ぶ鳥を落とす勢い!

そのすべての立役者が、
わたしの良き面白き先輩であった
「よしくみさん」だったのです。

彼女はさらにとどまるところを知らず、
最近では「チェブカフェ」という
カフェまで作ってしまいました。

なんでも実現できる人やなあ!!!
よしくみさんの人生、どうなってるんですか!!!
という驚きを隠しきれず、また隠す必要もないので、
話を聞きに行ってまいりました!

吉本時代、『チェブラーシカ』を広告代理店に
必死で売り込みに行っては、
足蹴にされるよしくみさんに
同行したこともあるわたくしとしては、
そのドリームを、
どうやってトゥルーにしてきたのかを
ヒアリングせずにはおられませんのです!


「一目見て絶対に当たると思った。」

通天閣 お久しぶりでございます。
よしくみ 久しぶり〜。
あかりちゃん変わってへんなあ。
通天閣 よしくみさんもお綺麗なままで・・・。
よしくみ もうええって。(笑)ほんで何?


「よしくみさん」こと吉田久美子さん
通天閣 いやあ、『チェブラーシカ』の成功もすごいし、
しかも、こーんな素敵なカフェまで
作ったって聞いて来たんですよ!
カフェをやりたいって思ったのは、
「カフェブーム」とか言われる前からですか?
よしくみ いや、そのブームの頃からです。
通天閣 ち、小さい頃からの夢とかじゃないんですか!
そんなミーハーなことで、
夢は実現するものなんですか!?
よしくみ するする、全然するよ。
通天閣 いやあ、もちろん、かなりの苦労や努力を
されたと思いますが、
まず『チェブラーシカ』との出会いについて
聞かせてくださいませ。
よしくみ その話は、吉本にいた頃にさかのぼるなあ。
あたし、「シネマワイズ」やってたやん?
通天閣 あ、そうでしたね。
シネマワイズとは、
吉本興業が当時、大阪の梅田という繁華街に
寄席のために作った劇場を
映画館として運営していた、
あのシネマワイズですよね。
よしくみさんは、その映画館の担当でしたよね。
よしくみ なんか説明的やなあ。
まあ、そうやけど。
その映画館で、どの映画をかけるか
っていうことも全部自分で決めてたんやけど、
ある日、「日本海」っていう配給会社から、
『雪の女王』っていうベルギーの映画を借りる時に
他にもこんなのがありますよ、
って見せられた写真の中にチェブラーシカがいて。
もう一目で気に入って、
「かわいいっ!」って思って。
これは絶対当たる、って思った。
通天閣 もう初めて見た時から、
「絶対当たる」と思えたんですか?
よしくみ うん。なんでかっていうと、
それまでも、試行錯誤しながら、
全部自分で映画のラインナップをくんで
毎回ちらしを作って、
毎回同じようにそれをまいて、
何タイトルかわからへんくらい上映して、
自分でチケットももぎってたから、
この映画は当たった、
当たらなかったっていうのは
すっごい実感としてわかるし、
何が売れて、何が売れないかも
その経験でわかるようになってきてたからなあ。
通天閣 はー!
最初から最後まで全部自分で、かあ。
よしくみ しかもチェブラーシカは、
見てると胸が「きゅー」ってなるっていうか、
なんとも言えない切なさがあるキャラクターで、
そういうのって、他にはないなーって思って。
通天閣 確かに。
音楽とかも、物悲しくて大人っぽいんですよね。
よしくみ そう。大人にも受け入れてもらえる、
って思った。
それで、シネマワイズで上映したら、
案の定、お客さんの評判もすごく良くって。
通天閣 全国で上映される前に、大阪ですでに
上映されてたんですね。
よしくみ そうそう。今ほど知られるもっと前。
もうさ、動いてるチェブラーシカも、
最高にかわいくって。
次の年に、もう一回同じように、
『チェブラーシカ』の2話目を上映したら
(『チェブラーシカ』は3話まであります)
それもすごく評判よくって、
これはイケるって、確信したわ。

それで、シネマワイズが閉館するときに
『チェブラーシカ』を自分の力で
配給したい!と思ってん。


チェブカフェ(入口付近)


1人でなんでもやった

通天閣 そうか、シネマワイズは
閉館になっちゃったんですよね。
その時は、入社何年目くらいでしたか。
よしくみ 5年目くらいやったかなあ。
通天閣 入社5年目で映画館一個任されるのも
すごいなあ。
『チェブラーシカ』の話に行く前に
ちょっと、よしくみさんの仕事歴を
辿りたいんですけど、新卒で吉本に入って、
まずタレントのマネージャーを
されてたんでしたっけ?
よしくみ 最初は、「2丁目劇場」の担当やった。
通天閣 あのダウンタウンを生み出し、
大阪若手お笑い芸人の登竜門と言われる、
大阪の心斎橋にあった「2丁目劇場」の担当を
新入社員の時にされていたんですよね。
よしくみ そうそう。
また説明的やけど、まあいいわ。
そのときは、相当大変やったよ。
当時は、ノイローゼになりそうやったけど、
今思えば楽しかったかも。
その頃の上が、すごい人やったから。
通天閣 どうすごかったんですか?
よしくみ なんかもう、その人、いけいけやってん。
「こんなに仕事あんのに、
 まだ仕事とってくるんですか!」
みたいな。
通天閣 確かにそんな人でしたね・・・。
よしくみ その頃、どんどん若手(芸人)が
売れてきてた時期で、
2丁目劇場所属のタレントが
26組くらいいてん。
ファンクラブはつくらなあかんわ、
劇場の出番は毎日変えないといけないわ、
イベントのプロデュースもやらないとだめだわ、
それをほとんど1人でやってたね。
だからもんのすごい忙しかった。
通天閣 そこでも1人で!
鍛えられてるなあ。
社会に出て最初にやった仕事って、
あとあとボディブローのように
効いてきますよねー。
よしくみ 上の人は2人いたけど、
外を走り回ってるからさ。
入ってから1年間は、3日間くらいしか
休みがなかったなあ。

その仕事がちょうど1年で終わって、
その次の年にマネージャーになって、
ハイヒールと桂きん枝の担当になった。
通天閣 部署の異動がすごく多い会社でしたもんね。
よしくみ それが半年くらいで、その後は
NSCっていう新人のための学校とか、
少年プロレスっていうアイドルチームを
担当したりしてて。
その後、テレビ制作の部署に行って、
意味わからへん番組作ってて
5年目くらいでやっと、
シネマワイズに行けた。
通天閣 意味わからへん番組って・・・。
映画の仕事をやりたいっていうことは
ずっと社内でアピールしてたんですか?
よしくみ 全然言ってなかったわ。
私がテレビ制作の仕事をしてるときの、
シネマワイズの担当者が
アトピーがひどくなるほど、
その仕事に向いてなくって。
誰か替わりを探してるっていう話を
たまたま聞いて、即効、
「あたし行くーーーっ!!」
って手あげた。

新卒で映画会社に就職活動してたときは
箸にも棒にもかからなかったし、
これは映画の仕事をするチャンス!と思って。
通天閣 チャンスが来たんや!

(つづく)



チェブラーシカって何の動物?

ほぼ日のおサルのようにも見えるし、
こぐまのようにも見えるけど
お話の中では正体不明の動物です。
本当はアフリカで暮らしていたのですが、
おなかがへったのでオレンジを食べていたら、
うとうと居眠りをしてしまい、
気がついたらオレンジと一緒に木箱に入れられて、
ロシアに出荷されちゃった!
と、ここから物語は始まります。
どんくさかわいいチェブラーシカです。

2002-10-10-FRI

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