大丈夫な理科系の対談。

第3回 キーワードは「誇り」



糸井 面白いなと思うのは、
“最先端の理科系”の社会の尺度っていうのは、
工業社会の時代の数字で割りきれるとか
科学とかっていうのが天下ですよね。
内田 今はね。
だいぶ前からでしょうね。
糸井 ずーっとそうですよね。
で、数字で一番二番を争うだとか、
どのくらいの分量かだとか、
クオリティっていうのは数字には表しにくいから、
クオリティももう一回要素に分解して、
数字にまた換えるとか。
その意味では、一見その元職人といわれていた
科学の分野に携わっていた人が
一番価値を分かっていそうに見える
構造ではあるわけですね、社会は。
なのに、あの違う価値でもう一回
図りなおされてるっていうか、矛盾してるなぁって。
それは科学的じゃないって官僚も言うわけですよね。
で、上司も、お前の言ってることは訳がわからん、
つまりアートなものがちょっとでもかかわると、
あの社会でもつぶそうとしてるはずなのに、
あの科学そのものを純化して考えている人たちは
これまた外されますよね。
すっごい今っていうのは揺り返しの
寸前にあるような気がしますね、今のお話伺ってると。
イデオロギーとしては金額とか長さとか、
全部数字なのに、それを全部分かっている、
それで、純粋にそこんところを考えてる人たちが
また価値を持たされてない。複雑ですよね。
内田 それはアートの世界だと思えば、
何の不思議もない、でしょ?
糸井 そうですね。いつもそうでしたからね。
内田 画家が時代を先取りしちゃうと
生きてる間では大体みなさん不幸でね。
で、大体お亡くなりになって50年経ってから、
急に注目とかね。
だからミュージシャンなんかも
そういう方多いですし。
画家の場合はあとになって有名になった人って
多いですよね。
大体、酒飲んだくれて
貧困の中で死んじゃうという。
まあロートレックみたいに
お金持ちの家に生まれた人は
いいとして、大体恵まれない。
科学者もある意味では
そういう側面があるんですけれども、
現世界におもねれば何とか最低限食ってはいける。
画家の方がもっと不器用なんでしょうね。
徹してるんでしょうね。
そういう意味じゃ、もう寝転んじゃうというか。
糸井 ある種ニヒルになったりしないもんですかね。
価値観の衝突、諦めちゃって。
内田 そういうのは多いですよ。
だから日本は解説者ばっかりになっちゃうんですよね。
半端だとね、その……
糸井 食える(笑)。
内田 徹することができないんですよ。
私のボスなんかだと、どんなに貧しくても
彼の道しか行くことができないのね。
行けないし、行こうと思わないんです。
誇りもあるから。
糸井 もう選択肢ないわけですよね。
天才として生きるしか。
内田 だけど生半可だと「解説者」になれるわけですよ。
3チャンネル(NHK教育)あたりに出て
解説してる人いるでしょう。
大体あれは迎合しちゃうわけですよね。
優秀だと大学の先生ぐらいには軽くなれるから、
問題はそれよりも一歩先にならないと、
アーティストとして人間国宝とまでは言わないまでも、
世界で認められるようにはならない。
世界の例えば、秀才、
天才を惹きつけるようなコンセプトを
打ち立てるような人にはならないですよね。
電総研は、ある意味じゃ
そういう人を良しとする世界でしたから。
糸井 なるほど……
内田 だから、その気が、狂う人も出るわけですよ。
科学の世界っていうのは残酷でね、
それまでの持ってた価値観が全く無くなっちゃう
ということがしょっちゅうあるんです。
糸井 それは、ご本人にとっては
不幸だ幸せだっていう事はないんですかね。
そこでのフィロソフィーは。
あちらの世界に行っちゃったら、
不幸せだって思うじゃないですか、外から見たら。
内田 それはまあ思うでしょうけれども。
糸井 思うんですかね、やっぱり。
内田 思うでしょうけど、しょうがないでしょうね、やっぱり。
引き返せないですよね。
ここであんまり実例を言っちゃいけないんだけども。
例えばレーザーってよく知られてますでしょ。
あれは非常に不思議な光なわけです。
光ですから、例えばこ部屋の照明にも使えますし、
ホログラフィとかいって、立体の写真に使いますでしょ、
あれは非常に新しい技術なんですね。
その前、光の研究をやってた人たちは、
もっぱら太陽光とか、電球から出た光とかなんですね。
糸井 自然光に近いものですかね。
内田 波ってあるじゃないですか。
バイオリンをポーンとやると、
目には見えないけれども
ずーっと、バイオリンの弦が力を失うまで
ひとつの連続した波がでてる。
だけど、この部屋の電球とか
蛍光灯から出た波っていうのは、
5回くらい繰り返すとプツッと切れちゃうんですよね。
なぜかっていったら、それは水銀なり中に入ってる
発光物質にエネルギーが加わると、
原子の中で回っている電子の軌道が
上にポンと上がるんですね。
それがあるときポンと落ちるときに光をピュっと出すでしょ。
だからね、5波長くらい、5回くらい繰り返すと
ぷっつり切れちゃう。
そういう波がいっぱい集まったのが
電球や蛍光灯から出ている光なんですよ。
で、こういう波だとね、
この上にコンピューターの信号を乗っけるとか
そういうことができないわけ。
プツプツ途切れちゃうからコントロールできない。
一本の糸じゃないでしょ。っていうような時代では、
その人たちの研究の仕事の大半は
レンズ磨きの職人のような仕事が中心だったわけです。
糸井 はあ。
内田 理論が組み立てられなかったわけ。ブツブツだから。
だから材料として、
エジソンは竹で電球を作ったけれども、
今度水銀に、じゃナトリウムにとかそういうことで
光の研究っていうのが成り立ってたわけ。
ところがレーザー光線になったわけですよ、今度は。
あれはともかく、不思議な光で、連続光なわけですよ。
そうすると全部「数学」に乗るんですね。
電子回路ともくっつけられるし。
糸井 はあ……。
内田 さらにコンピューターの信号も
レーザ光の上にもかぶせられ、
光ファイバーで送れるし、
さっき言った、二次元平面に拡散させて、
フィルムに記録すると立体像が記録できたりする。
そういう合成みたいなものも
数学の理論通りにいきますから。
糸井 逆に可塑性を見出しちゃったわけですよね。
内田 根本になる理論が違っちゃったですから、
光を扱うための。
糸井 じゃあ、磨く技術はどうなっちゃったんだ(笑)。
いらなくなっちゃうわけですね、完全に。
内田 だからカメラ屋さんとかね、
望遠鏡を作るところでは、
相変わらず必要ですから、
そういうところに転職するとか、
だけども、最早誇り高き研究者としての地位は、
技術自身が陳腐化したが故に
人間ともどもいらなくなっちゃったわけですね。
だから、あなたの大脳の中はほとんど不要です、と。
だから、あなたは研究者という人間としていらない、と。
道路工事の人夫とかそういう方面への転職は、
可能なわけですけども。
研究所っていうところは工場とかとは違って、
職種が研究しかない。
事務屋さんは、事務職として別に雇われてますから、
研究者は研究者の道しかないので、
当然、存在価値が無くなってしまうわけです。
糸井 きっついなー。
内田 だからそこで、命が終わるわけですから。
それはあなた、躁鬱病になっちゃうとか。
どこかへ転職できたって、
誇りが……ね。
それで生きてきたわけですからね。
糸井 キーワードは「誇り」ですね、人としての。
内田 そうなんでしょうね、きっと。
糸井 無意識に何とか・・・。
内田 好きだからっていうのにあるけど、同時に、
ここに関しては人並み以上だっていうような、
ある意味じゃ自信とか。
糸井 俺の生まれてきた価値みたいなものですよね。
プライドですよね。
内田 そういうことになりますね。
それが消されてしまうことがあるわけですよ。
糸井 絶えず。
内田 絶えずあるんですよ。
コンピューターの世界だって、
IBMがその全盛期にがやってたのは、
例の、あの大型汎用機っていうやつで、
真中にドンとあって、そこから線がいっぱい出てて
端末としては、ここにある電話みたいな
スチューピッドな機能しかないものがくっついていて、それを
前提にネットワークを組んでたわけでしょ、昔は。
ところが、今は。
糸井 前提から変わっちゃうわけでしょ。
内田 今はパソコンのようなインテリジェントなものが
周りにくっついてるから、
そのネットワーク自身は
ただの線でいいってことになって
中央集権政治からアナーキーな世界に
ポッと変わっちゃったわけですね。
糸井 ウルトラ民主主義ともいえる。
内田 アナーキーというのよりそっちの方がいいかな。
それなりに筋はそこにあるわけですから。
民主主義的な世界に変わっちゃったと。
そうなるとIBMの汎用機で通信ソフトなんか書いて、
そろそろ35だなっていう人は、
もう転換できないですから、はい、さようなら。
糸井 実際そういう人が、
産業としてIBMは成り立ったわけだから、
ものすごい数いたわけですよね。
内田 だからIBMはそれを5万人ずつ3回リストラやって。
糸井 うわー。
内田 従業員の9割を。
糸井 入れ替えた。
内田 4年くらいで入れ替えちゃった。
アメリカっていうのはすごい国だなーって。
いまだに企業内失業者がある大手メーカでは
3万人とか抱えてるわけ。
うちの弟の会社も、ある化学会社なんですけど、
最初はビデオテープなんか作ってたんですよ、
そんなのもう日本で作ったんじゃ全然コストがかかるんで、
もう作らないんですよね。
どんどん新しいもの作ってるんです。
医療器具でね、すごく薄い手術用の手袋とか。
それから、道路交通標識はパッと光を当てると
反射してくるでしょ、
あれ小さい光のカプセルをを同じ方向に
ビターっと貼りつける。そういうのを作ってて。
そういうのが高収益を生むんだけど、
そういうのをやる人はそんなに人数いらないの。
昔やってたほど工員さんとかもういらない。
だから、草むしりはやらしちゃったし、
ペンキ塗りはやらしちゃったしって、
次は何をやらすかなぁとかね。
クビにはできないで悩んでいる。
糸井 じゃあ、長くやってる、同じ業界にいる人っていうのは、
もう一回血の入れ替えみたいなのをしてるわけですか。
内田 だからね、あのしょうがないから、
厚生部門に回すとかね。
糸井 組織としてそうなんですけど、
そのまま踏みとどまる人もいるわけじゃないですか。
こう、レンズ磨いてた世界だったのに・・・。
内田 だから、研究者は駄目だけど、会社だと・・・。
糸井 研究者駄目だけどって簡単に(笑)。
内田 ほら、エンジニアだって、
コンピュータメーカの方とかそういう方であれば、
IBMのマシンでも、補修の仕事とかあるわけだから。
この前の2000年問題なんか
やろうとするときは役立つわけで。
糸井 そうですね、集められましたね。
内田 昔の人を集めたわけですから。
だから、そういうことでは生き残る道はあるんだけど、
未来に向けて展開するということはない。
だけど、もともとブルーカラーの方っていうのは、
まあ、自分の時間を売ってたようなものですからね。
研究者よりはそこはずっと容易に
転換できるわけですよね。
研究者の場合は、そういう意味では。
糸井 ない。
内田 一筋なわけだから。
まあ、ともかく一流であればあったほど、
そこは残酷なことになりますね。
糸井 でも、内田さんにしても、大学時代にやってた研究なり
勉強なりっていうのが、今ではもう、
全く次元の違うことですよね。
内田 だから、日本の大学っていうのは非常に不幸で、
そういう現在のトップテクノロジをやってる
一流の人たちにとって大学は住みにくい。
日本の大学は貧しくて、設備も金も無いから
トップテクノロジの研究はできないわけで
先生になってないわけですね。
糸井 (笑)。
内田 ボスにしても第五世代とか前の電総研時代に
ほとんど新しいアイディアは出尽くしちゃって、
第五世代もやって、まあ、研究者としての
ひとつの人生の区切りを迎えた。
これから先は、新しい発想というよりは、
従来のもののいろんなものを
より上手く体系化するとか、
そういう時代になって、先生になってくわけです。
日本の大学はアメリカの大学やなんかと違って、
研究の先端が大学にない。
大学は……、
糸井 終わった人。
内田 大学の先生は公務員で、定員削減法のために、
人がどんどん消えちゃってますから、
研究プロパーで大学にはいられないんですね。
国の予算で研究プロパーの人を
雇うことはできないんです。
糸井 ふーん。
内田 国のお金で給料を払う人は、
公務員じゃなきゃいけないっていう
法律があるんですよね。
アメリカだったら
私にプロジェクトがついて、例えば5億貰ったら、
ほとんどが人件費にかけられる。
それで、どんどんポスドクの人とかね、
Jリーグじゃないけど、
まあ、ストイコビッチみたいな人雇っちゃうわけよ。
その代わり3年ですよ、5年ですよっていう契約。
これ日本はできないんですね。
例えばカーネギーメロン大学などに行って
成功してる人はですね、その下にプロジェクト予算で
常時何十億も持ってますから。
50人、100人単位で部下抱えてるわけですよ。
その人たちは、ティーチングの義務はほとんどなくて、
研究だけしてればいい。
ただアメリカなんかだと大体、
高校ぐらいから奨学金を貰ったりして
自分で稼ぐじゃないですか。
だから、大学にいるっていう事は、
先生から給料を貰いながら、
そこもある意味じゃ働き場所、
且つそこは最先端の研究をやる場ですよね。
だから、大学生で最先端をやりながら、
研究の場にいられるんですけども、
日本はそうじゃなくて、
国立にいって先生になる方はティーチングの義務が
ぎゅうぎゅうにありますから、
もう研究に集中できなくて。
オリジナルな研究ってものをなかなかできないから、
海外の研究成果を
もう一回咀嚼し直すために、
まあ、何か作ってみるとか。
糸井 じゃあ、まあ、小さい図書館の役割しかできないと。
できなくなっちゃいますよね、
学校にいるっていうことはね。

2000-07-22-SAT

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