坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第219回 ダライ・ラマとの宮島


ほぼにちは!
四国の坊さん、ミッセイです。

今この文章を書いているのは、
秋の連休中なんです。

ですから、
僕が住職を務める栄福寺のような
四国遍路のお寺は、
1年でもかなり忙しい時期なのですが、
僕は今、広島のビジネスホテルにいます。

なぜかというと、
チベット仏教の法王である、
ダライラマが、
日本のしかも宮島に来られているのです。

今回の日本訪問では、
今までも多かった講演やミーティングに加えて、

灌頂(かんじょう)という、
仏教の法の正式なお授けがあるということで、
僕も宮島での5日間の
スケジュールに参加することしました。
(僧侶以外の方もたくさん参加されています。)

ダライラマは、
音楽雑誌とかで、
海外のミュージシャンのインタビューなどを、
読んでいても、何度も登場するような存在で、
僕も正直に言うと少しミーハーな気分で、
興味を持ち始めたのですが、

ダライラマの書かれた本などを読んでいると、
仏教の教えは、
実際の生活に活かせるものなんだよ。

また、
そうでなければ、意味がないんだよ。

というような、
雰囲気が常に感じられ、
僕の知りたい仏教に、
直接答えてくださるような、
そんな存在なんです。


地元愛媛の今治から高速船に乗り、
しまなみ海道の真下を通って、



広島港に昨日の夕方、到着しました。
せっかくだから、どこかに、
行ってみようかと思っていたら、

ちょうどその日が、
文化の日であることに気付いて、
久しぶりに原爆ドームを訪れました。

ひとりで訪れる、
夕方の原爆ドームは、
静かな、静かな場所でした。



灯がともされた慰霊碑の前では、
アメリカ人と日本人の若くはない男女が、
手を繋ぎ確かな口調で会話をしています。



僕もその隣で、手を合わせました。

***

もちろん、
その夜は広島風お好み焼きをたいらげて、
朝5時に起床し、
電車とフェリーで宮島に向かいます。
早朝の朝日が綺麗です。



おっ、トレードマークの鳥居が見えてきましたよ。



法話が行われる、
真言宗のお寺、大聖院さんは、
弘法大師も求聞持法(ぐもんじほう)という修行をした、
宮島が誇る名刹です。

今年、
愛媛の島四国遍路を御一緒した、
御住職が握手と笑顔で迎えてくださいました。

今日、
この日のために造られた玉座が、
自分の座る座席に近いことに驚いていると、
法話の開始を告げる僧侶の、
低い声のお経が始まり、
ダライラマが玉座に座られました。

今日の法話は、
これからの法話のとっかかりとして、

チベット仏教の大まかな歴史、
それがチベット独自のものではなく、
正統なインド仏教に根ざしたものであることを、
ダライラマは解説されました。

そして仏教徒として、
大事な心の持ちようを丹念に話されました。

その中でも特に、

心の本来の姿は、
やさしい慈悲の心にあるのだから、
丹念に、慎重に、論理的に、
それに向かってください。

それは、心の本質の活性化なのです。

とやはりまず、
慈悲のやさしい心を起こすことの大切さを、
何度も何度も話されました。

会場からの質問で、

「そこまですると、
 自分が自分でなくなるような
 気がするのですが・・・。」

と正直な質問が出されたのですが、

「私たちは、
 むしろ妨げられた状態にあるんです。

 他者に対する慈悲によって、
 少しでも自由になりましょう。」
 (法王は“フリーダム”という英語で表現されました。)

と答えられました。

そして、
同じように本当に多く話されたのが、

仏教思想の「空」(くう)を理解すること、
心に馴染ませることの大切さを話されました。

自分を含めて、
他に依存しない存在はないこと。

私たちの腕や足などの身体のように、
なにかの“部分”ではない、
存在はなく、
すべては統合された存在であること。

全ての存在が、
我々が認識しているような形では、
実は存在していないこと。

“私”という自我の存在さえ、
空であること。

そして、
空は「無」とは、
まったく違うということ。
存在があるからこそ、
そこに「空」を見出すことが出来ること。

普段、
僕達があまり考えることのないような、
“存在”についての、
細かい論証に、
頭がこんがりながらも、
うれしく聴かせて頂きました。

「ダライラマ様は、
 お経を唱える時に、
 どのようなことをまず、
 考えられるのですか?」

そんな質問に、

「自分の中のまだ生じていない、
 菩提心が新しく生じますように。

 すでに生じている菩提心が、
 増えていきますように。

 そう思います。」

というあまりに謙虚で、
シンプルな答えに心が動かされました。
 
「仏教を実践的に学ぶ人が、
 世界に少ないような気がします。

 仏教は文化であるよりも、
 宗教であるよりも、

 心の科学なんです。
 その教えを知ると、
 心には変化が訪れます。

 考えてください、繰り返し考えてください。

 そして、
 自分を利するだけでは、
 継続する幸せがつかめないことに、
 気付いてください。」

いかに苦を除き、
長く続く幸せを受け取ろうとするか。

何時間も続いた、
ダライラマの話しは、
宗教や仏教という枠を越えて、
僕達の生活にメッセージがあると感じました。

仏教を仕事にしていることは、
すごくうれしいことだな。
がんばりたいな。

僕もそう思った初日でした。
明日からは、
いよいよ灌頂の準備段階の法話が始まります。

また、
みんなで共有できそうな話があれば、
広島からレポートしますね。

宮島に太陽が沈んでいきます。



ミッセイ


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2006-11-12-SUN
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