坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第209回
ラダックへ!
スリナガルという街)

ほぼにちは。
ミッセイです。
(紀行文を続けています。)

今回の旅の大きな目的、

「ラダックを訪れる。」

というテーマは、
無事終了したのですが、
このツアーには、まだ、
インドのスリナガルという街を訪れる予定があります。

旅行の参加申し込みをした時は、
この街について、
あまり興味を持っていなかったのですが、

出発前に、
ガイドブックで色々調べていると、
がぜん興味が出てきました。

どのガイドブックにも、

「行かないほうがいい。」

とかなり明確に書いてあるんです。

定番『地球の歩き方』のインド
(04〜05年版)には、

「ゲリラによるテロ事件や
 インド、パキスタン両国の
 散発的な交戦のニュースが伝わってくる。
 治安が極めて悪いので、
 旅行者が足を踏み入れる所ではない。」

と書いてあるし、

ヨーロッパの個人旅行者向けの、
ガイドブック(ロンリープラネット)を、
邦訳したかなり分厚い本にも、

「爆破や発砲は、
 スリナガルでは珍しいことではない。」

と書き、
この地方への旅行を、

「強く反対する。」

としています。

簡単に言うと、
この地方の、
為政者はヒンドゥー教徒でインド帰属を決めたけれど、

住民の多くはイスラム教徒であり、
パキスタンへの帰属を求める勢力も強い。

そこでドンパチを繰り返している。

ってことみたいです。
(もちろん色々、複雑な要素もあるのだろうけれど。)

「うわぁ、行きたくない!」

と思ったんですが、
申し込みは済ませていましたし、
同行の先生の話が聞きたい気持ちが勝って、
この旅行に参加しています。

なぜ、
わざわざこの街を、
訪れるかというと、

ラダックに陸路でしか入れなかった時代は、
スリナガルがその出発点であったこと、
(というわけで、
 昔ラダックを訪れた人にとっては、
 懐かしい街でもある。)

そして、
釈尊(ブッダ)が亡くなった後に、
仏教徒の意見や考えを統一するために、
「結集(けつじゅう)」という大きな集まりが、
何度か行われたといわれているのですが、

その第4結集が、
2世紀に500人の坊さんを集めて、
行われたのがこのスリナガルという街なんです。

とは言ってもこわいよねぇ。
2003年の停戦合意があったとはいえ。

外国人の観光客がほとんど来なくなったからか、
スリナガルはラダックの、
ほぼ真西にあるにもかかわらず、
飛行機の国内線が最近になって廃線になっているので、
(空路がある時は1時間で移動できたらしい。)
わざわざデリーまで引き返して、
そこからスリナガルの空港に向かいました。

スリナガルの空港に到着して車に乗ると、
その車のフロントガラスは割れていました。

軍隊によるチェックが異常に厳しく、
街はどこか重苦しい雰囲気に包まれています。



しかし多くの巨木が、
ここが多くの宗教の聖地であることを、
思い出させてくれます。



そして、
なによりも、
ここにはたくさんの緑と水があり、
僕は自分が住んでいる四国を思い、
風景としてはすこし、
ほっとする部分がありました。



美しい湖としてインドで知られるダル湖や、



歴史ある広大な公園をいくつも持つスリナガルは、
紛争前は国内の新婚旅行のメッカだったらしいです。

そして、
その国内の観光客が、
少しずつこの地に戻ってきているようでした。



とにかく暑いインドでは、
日陰と水はなによりもうれしいものらしいというのが、
公園を歩いているとよくわかります。



子供達もごらんの通り。



そして、
ここはラダックと違って、
インドらしい雰囲気を女の人の服装などから
存分に味わうことができます。



子供達の服装から推測すると、
観光地である公園には、
インド各地から裕福な中産階級の人達が、
集まってきているんだと感じました。



インドには今、たくさんのお金持ちがいて、
現地のガイドはそれを繰り返し、
誇らしげに説明します。

綺麗な服をきて、
楽しそうな子供達を見ていると、
豊かで平和であることは、
あたりまえに、
素晴らしいことでもあるのだなと思います。
うまく言えないけれど。



そして訪れた、
仏教、第四結集の場所。



といっても、
わりと近年に積まれたと思われる、
石垣の他に何があるわけでもないのですが、

ここで、
行われた議論や話し合いがどんなものであったか、
思いを馳せます。

ちなみに結集の元になった、
サンスクリット語の意味は、

「ともに歌うこと」です。

ホテルまでの道中に走る街の中は、
やはりどこか重い。



到着したホテルは、
丘の上にあり、
別天地のような雰囲気。

ライフルを持った、
警戒中の軍隊の人達が
ホテルの周りをウロウロしている以外は。

治安の悪さから、
ツアーで予定されていた、
下町の「バザール(商店街)散策」は、
自己責任で車を雇って行ってください、
ということになり、

僕は「行かない人」のグループに入った。
ちょうど半分の人が残ることになりました。
(僕以外の若い人は全員バザールに向かった。)

ホテルの庭には、
驚くような大きな木があり、
そこで初期仏教の本や
チベット仏教の本を読みながら昼寝。



起きあがると、
となりの木の下は、
カフェのようになっているので、



そこで、
ビールを飲む。



昼寝をしても、
ビールを飲んでも、どこか落ち着かない。

ここの緩やかな雰囲気が、
今、見たばかりの、
すぐ下の殺伐とした街の
すぐ近くに成り立っていることに、
独特の居心地の悪さを感じました。

そして、
その日の夕食の時に、
日本語が話せるインド人が、
この土地の紛争について、
かなり熱くなって、
まくし立てるように、
僕達に突然、話し始めました。

戦争を経験しない僕達は、
そこにあるヒリヒリした雰囲気を感じるだけでも、
なにか大きな経験になったような気がします。

そんな緊張感の中でも、
やはり明日、
ヒンドゥー寺院やイスラム寺院を訪れ、
この地の人達が、
どんな風に宗教と付き合っているのか、
生の風景を見ることができるのが、
すごく楽しみです。


ミッセイ
(次回、旅シリーズ最終回に続きます。)

お知らせ。


現在9月号発売中の
女性誌「SAVVY(エルマガジン)」
四国遍路特集をしています。

僕も冒頭の1ページで、
四国遍路や弘法大師について、
インタビューを受けています。
(ほぼ日を読んでいる
 編集者の方から連絡がありました。)

この雑誌は京都に行く時に、
買ったことがあった雑誌だったので、
うれしかったです。

四国遍路に興味のある食いしん坊の方は、
特におすすめです。
講談社から刊行中の雑誌、
『週刊 四国88カ所 遍路の旅』で、
栄福寺掲載号の20号が発売になっています。



55番の南光坊さん、
56番の泰山寺さんと共に、
57番、栄福寺の境内や仏様、
咲いている花なんかを写真でも、
見ることができますよ!

僕も、
「月を見ていると、
 照らされた光も光だと思う。」
というような、
短い文章を寄せています。

なお、
この号の巻頭インタビューは、
建築家の安藤忠雄さんです。

夕日に照らされた、
瀬戸内海としまなみ海道の、
表紙が目印なので、
興味がある方は、
のぞいてみてくださいね。
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。

栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)

全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。

詳しくは、こちらまで。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2005-09-25-SUN
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