坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第202回 
ラダックへ!
(日本出発、タイからデリーへ。)


ほぼにちは。

ミッセイです。
(旅シリーズの続きです。)

ついに、
出発の朝がやってきました。

集合は、
朝の関西空港なので、
四国の僕は前日に出発しました。

結構迷ったのが、
持っていくバックです。

今回にあわせて、
海外旅行でよく使われている、
しっかりとした、
ハードスーツケースを買ってもいいかなと、
思ったのですが、

どれぐらい、
自分で荷物を持って
移動する必要があるかわからなかったので、

巨大リュックにもなるし、
コロコロする車輪も付いている、
中国旅行に持っていった、
安物のソフトバックにしました。
それとグレゴリーの3WAYバック。


今治駅での僕の荷物

あまりに平凡なバックで、
空港での荷物受け取りが不安だったので、
ファスナーに唐辛子の、

「魔よけ守り」

を付けました。(栄福寺のお守り)
もちろん魔よけ効果にも期待を寄せています。

電車の窓から見える、
四国の風景は、
ちょうど田植えの時期で、


四国は西条市あたりの田園風景

「どこへ行ったとしても、
 ここの風景は間違いなく
 すごく美しいなぁ。」

と思いながら、
外を眺めていました。
それは、僕がここで育ったということも、
すごく大きな理由なのでしょうけれど。

電車は瀬戸大橋を超えて、



本州に入り、
新大阪で乗り換えて、
大阪の街に入り



関西空港に着きました。

空港内のホテルにチェックインした後、
空港の中を散策してみたのですが、

旅立ちの雰囲気に満ちた、
夕方の空港は、



すごく繊細な哀しみの気分が充満していて、



なんとなくさみしい気分になった僕は、
おそば屋さんで、

「ししゃも」と「ビール」

を頼んでみたのですが、
「ししゃも」が完全に生だったので、

「こんな所で、
 お腹壊したら、あほらしいぜ!」

と思い、
全部残して店を後にし、
となりの中華屋さんで中華丼を食べて、
(信じられないほどしょっぱかった。)

「幸先悪いなぁ。」

と思いながら、
明日の集合場所の「Gカウンター前」を確認し、
(方向音痴なのだ。)



旅行グッズのショップで、
衣類の圧縮パックや
塩とハーブの入浴剤を買ってみた後、

ホテルで眠りました。

今回は、
「夢日記」をつけようと思っていて、
この日は、
次の朝書いてみたのですが、
この計画は見事に三日坊主になりました。



一夜明けた朝の空港には、
夜の寂しげな雰囲気はもうなくて、
実にあっけらかんとしたものでした。

“はじまりの朝”という感じですね。

というわけで、
集合場所に行ってみたのですが、

僕は今回が初めての、
「知らない人達との集団旅行」だったので、
どんな人達と行くか、
ちょっと想像がつかなかったのですが、

案内があったのは、
お寺関係がほとんどだったみたいで、

同年代のお坊さんや、
僕の両親世代のお坊さん夫婦、

けっこうお年を召された方も、
何人かおられたりしました。

全員で14人のメンバーでしたが、
普段ならこういう年齢構成で、
旅行することなんてまずないので、
そういう意味でもおもしろかったです。

そして、
タイ航空623便に乗り込み、



遂に日本を出発。

ワクワクと窓の外を眺めたり、
眠ったり、本を読んだりしている内に、

約6時間で、
経由地のバンコクの空港に近づいてきました。


タイの空港の



休憩室では、
今回、旅に参加する
みんなの自己紹介をしました。

「僕は松長先生の最後の年の学生なんです。」

という話をすると、

「うわぁ、私は最初の年の学生やで。
 最初と最後がおるわ!わっはっははは。」

と結構、盛り上がりました。

そして、
松長先生による、
今回の旅のちょっとしたミニ講義が、
行われました。



1974年まで、
ラダックには外国人が入ることが出来ませんでした。

それは、
インドが
パキスタンや中国と、
線引きが微妙な国境線を抱えていて、
その多くがラダック周辺に存在することも、
主要な理由のひとつだと思います。

そして、
その当時チベットは鎖国していましたので、
入国できませんでした。

中国経由ではない、
インドから直接入った
密教の生の姿を見てみたかった先生は、

あまり期待せずに、
高野山大学の登山部と
入国が許可されたラダックに入ってみたそうです。

そして、
現地で寺の壁に描かれた
マンダラの写真をたくさん撮って、
日本に帰って調べてみると、

びっくり!

日本にも入ってこず、
インドにも残っていない、

後期の密教の経典に文字で
記載されてあったマンダラが、
ラダックには正確な形と色で、
宝の山のように残されていることを、
発見したということでした。 

そして、
その後何度も、
調査隊を組んで、
写真家も同行して、
大きな研究成果を残し、

その成果を、
一般の人にも発表した、
1980年の東京・池袋の西武美術館での、
展覧会では、
たくさんの若い人達の熱気に包まれたということでした。

そして、
いくつかのラダックのお寺の持つお堂、

「ゾンカン」

は、
暗く狭いお堂の中に、
日本では考えられないような、
荒れ狂う怒りの表情に満ちた仏や、
エネルギーに満ちた合体仏で構成されたお堂で、
今回、入れるかどうかはわからないけれど、
とにかくすごいパワーなのだ。

といった話が行われたのでした。

そして
いよいよ、
バンコックから
インドのデリーに向けた飛行機に乗り込みました。

その飛行機で僕は、
たまたま先生の近くの座席だったのですが、

「なぁ、白川君。
 あんた、なんか書いてみなさいよ。」

「実は、この前、高野山出版が、
 ちょっとした文章を依頼してくださったんです。」

「あれは、私が、言うたんやで。
 四国に白川ちゅう人がおるって。」

「そうだったんですかー。
 でもですね、
 書きたいんですけれど、
 書くことがないんです。ははは。」

「まぁ、とにかく書くんですよ、そういう時も。」

と僕にとって、
すごくうれしい言葉をかけていただいて、
正直それだけで、ああ、来てよかったなぁ、
と思いました。

デリーには4時間ほどで、
深夜に着いたのですが、
空港から出た途端、

「ボワッ」

と熱風を感じました。

そのまま空港近くのホテルに直行したのですが、
空港での手続きが遅れた関係で、
デリーのホテルに着くのがかなり遅れて、
ベットに入ったのは深夜2時でした。

しかも次の日の、
デリーからラダックへの飛行機が、
朝早いので、
モーニングコールは3時半。

ほとんど眠ることが出来ないけれど、
とにかく虎の子の高山病の予防薬、
「ダイヤモックス」を半分に割って飲んで、
(利尿作用が強烈らしいので。)

とっとと眠ることにしました。


デリーの空港近くのホテル“CENTAURHOTEL”


ミッセイ(続きます。)
★OMAKE SHOP★
2005.07.10
11日まで配ってるで!

お知らせ。
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。

栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)

全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。

詳しくは、こちらまで。


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postman@1101.comに送ってください。

2005-07-10-SUN
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