坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第177回 どんなこころが欲しいのか。
      これなんだなぁ、ほとんど全部。

ほぼにちは。

ミッセイです。

長い時間、
電車に乗る機会があって、
そこで、

いろんな事を考えていました。

僕は、
普段でも、
この『坊さん。』でも、

「どんな風に生きるのか?」

とか、

「生きるって、なんだろう?」

ということを、
比較的よく考える方だと思うんですが、

近くにいる人から、
わりとよく、

「アユム君、考えすぎなんじゃない?」

と言われます。
(住職になる前から僕のことを知っている人は、
 アユム君と僕のことを呼びます。)

小中高ぐらいまでの、
学生時代はいつも、 

「おまえ、絶対、なんにも考えていないだろう?」

と、
言われ続けた人なのに、
不思議なもんですね。

でも、
そういう風なことを、
考えるのが一番、

「坊さん」

らしいことだと、
わりに確固たる思いがあるので、
まぁ、気軽に考えてゆけたらな、
と思います。
(坊さんだから考えるわけではないけれど。
 みんなも考えてるよね?)

もちろん、

「生きること」

の意味なんて、
人によって違うのはあたりまえだし、

あまりにも、
話が大きすぎて、
どうしても、
漠然としてしまうのですが、

ある“気づき”のような感覚が、
電車の中で、
僕の中にあったんです。

「全部、“こころ”かもしれない!」

ということです。

「皆様、これからは、
 お金でも、体でもありません。
 心の時代であります。」

ってのとは、
違う話だと思うんだよ。

つまり、
僕達の、

欲求とか、目的とか、
そういう全ての、
僕達を突き動かすなにかが、

「どんな、心が欲しいのか?」

という、
ひとつの問いかけに集約することが、
できると思うんです。

僕達が、

「お金が欲しいなぁ。」

と思った時、

僕達は何を、
求めてるんでしょうね?

それは、

「お金を持っている、
 ということを、
 感じている、私のこころ。」

が、欲しいんじゃないかな?

「いや、ちがう、
 私は、ヴィトンのでっかいバックが、
 欲しいの。」

とあなたは言うかもしれない。
でも、それも、

「ヴィトンのでっかいバックが
 もたらしてくれる、
 私のこころ。」

が欲しいんです。
たぶん。

これって、
僕、1時間ぐらい電車の中で
ずっとやってみたんですが、

僕が思いついたものは、
全部、これで、説明できちゃうんだよ。

「なんか、体、動かしたいな。」

という時だって、

「体を動かした時や、
 その後に感じる、
 充足感とか快感という
 私のこころ。」

が、欲しいんだよね、僕達は。

「あなたが好きなんです。」

というのも、

「あなたといる時、
 あなたを考えた時の、
 私の感じる、
 私の心が好きなんです。」

ってことだよ、たぶん。
ロマンチックじゃなくて、
嫌われそうですが。

逆に考えると、

「イヤだな。」

って時に、
なにが、イヤだっていうと、

「イヤだって感じる、
 心を持つことが、
 “イヤ”」

なんだよなぁ。僕達。
おもしろいなぁ。

「歯医者に、行きたくないっ。」

って思うのは、

「痛いと感じる私の
 “こころ”」

を持つことがイヤなんだし、

「行かないでっ!!」

ってのも、
行ってしまった後に、
感じる自分の心を持つことがイヤなんだなぁ。


「だから、なんなんだよ!!」

って言われそうですが、
いやっ、大事な話じゃないかな。

つまり、僕達は、
生きるという人生の中で、
いろんなものを持ったり、
体験したり、経験したりできそうだけど、

「僕達は、
 こころ、しか、
 持つことができない。
 
 そして、
 その心を味わうことだけが、
 生きること。」

なんていう風に言えないかな。
僕は、そう思ったな。

そして、
生きるって事は、
そんなにもシンプルなことなんだなぁ。

ただ、こころが、
そこにあることが、
僕達が生きていることなんて。


瀬戸大橋を渡る夕方の
電車からは、

なんとも言いようのない、
あまりにも、

“素晴らしい”

風景が、
僕の心に飛び込んできたんだけど、

このこころって、
本当に、本当に、
価値のあるものだなぁ。


「誰かを思うこころ。」

「なにかを思うこころ。」

そこに、発生した、
柔らかなこころ。

瞬間の歓喜。

道の途中での、
いくつもの迷いや涙。嗚咽。

これを、絶対、馬鹿にしちゃいけない。


宗教もたぶん、
こういう事を、考えるんだよ。

「世界を正確に知ること」

それは、
すごく重要だけど、

課程とかツールでしかなかった。


「僕達は、どんな心を、味わいたいのか。

 どんな心を持ってみたいのか。

 それは、どのぐらいの時間、保存可能なのか?
 
 それは、あたたかな温度を持ったか?

 瞬間の歓喜を感じたか?」

そんなことを、考えるんだろうな。

いろんな枝葉の、
すべての終着点は、こころなんだと僕は思う。

これが魂とかソウルってことなのかな?

地球や宇宙にこころはないのかな?
たぶん、あるんだろうな、似たものが。

ってことは、
僕達のこころも、
とってもユニークな物質でもあるんだろうな。


って、わりに壮大な部分まで考えてみたけど、

「あっ、このこころだったら、欲しいな。」

とか、

「この、こころぐらいなら、我慢できるな。」

とか、結構便利に、
利用できるアイデアだと思いました。


ミッセイ

 
お知らせ。
四国88カ所のお寺が88枚の切手になります。
原画の撮影は「坊さん」の文章の中でも、
何度か登場した三好和義さんです。

栄福寺は11月5日発売の第一集、
20ヶ寺の中に収録されます。
(紅葉が綺麗な秋の風景)

全国の郵便局でも、
通信販売の申し込みが出来るようですよ。

詳しくは、こちらまで。
シンメディアという出版社刊行の
『季刊 巡礼マガジン』
というシブイ名前の雑誌で、
「おもいだす空海」という連載を、
最新号の31号から始めました。
(ほぼ日を読んだ編集者の方から、
 お話を頂きました。)

空海の著作の言葉に、
僕が短いコメントと、
写真を添えるという、
見開き2ページでの連載です。

手に取られる機会があれば、
ちらっと覗いてみてください。


このページへの激励や感想などは、
メールの表題に「ミッセイさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ってください。

2004-11-14-SUN

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