坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第145回 長老、一周忌の風景

ほぼにちは!

ミッセイです。

曼荼羅(まんだら)を栄福寺に、
いつか納めたいという話を、
知り合った仏具屋さんに話していたら、

「近くに、便があるので、お持ちしますよ。」

「じゃあ、勉強させてください。
 (まだ)買いませんけどね。」

というわけで、
持ってきてもらいました。





持ってきてもらったのは、
手描きの曼荼羅なのですが、
新品なので、
母に見てもらうと、

「なんかイメージよりも、
 “渋さ”みたいなのが、あまりないのね。」

ということを、言っていました。
僕もちょっと前なら、
そう感じていたと思います。

僕達が、美術館やお寺で見る曼荼羅は、
とても古い物が多いので、
新しい物をみると、
ちょっと“違和感”に、
似た感覚を受けてしまうんです。

でも、なんか、
最近、思うんですが、
栄福寺の本堂の建物は、
古刹の雰囲気を持った、
“おっとり”
した本堂なので、



中にある曼荼羅は、
バーンという感じで、
密教の持つ、なんというか、
フレッシュな生命感を、
感じてもらうためにも、
カラフルな新品を置くのもいいかも。
と思ったり、しています。

10年ぐらいでは、なんとかしたいです。

その時に、
ある大きなお寺にある
高僧達の画を再現した、
掛け軸も見せてもらったのですが、
なんか自然な感じで、
薄いピンクや、淡い緑、
鮮やかなブルーなんかが使われていて、

「あぁ、こういうポップな色使いって、
 昔の人もしていたんだな。

 たぶん、おもしろい名前のついた色なんだろうな。」

てなことを考えました。




今日は、以前「第83回 長老に引導を渡す。」
でも書いた長老の一周忌に行って来ました。

なんだか、僕にとって、
とても大事に思えた法事でした。

特別なことがあったわけでは、
なにも、ないんです。

ただ、なんだか、そう思えました。

法事は、11時からだったので、
朝、お遍路さんの納経に行こうとすると、

「いいから、いいから。
 ミッセイさん、法事の準備をして。」

と、
ばあちゃんに言われたので、

机に座って、
法話の内容を考えていました。
僕はいまだに、
法話のリハーサルをしてから、
法事に行きます。

でも、正直に言いますが、
最近なんとなく、
なんで自分が、
「仏教」なり「坊さん」なりを、
仕事にしているか、
見えにくくなっていたので、
ノートに、

「仏教」や「坊さん」で、
自分はなにをしたいのか?

ということを、
図にして考えてみました。

とても単純な図です。

「僕は生きている」
    ↓
「仏教・空海というアイデア」
    ↓
「心」「愛」「智慧」みたいなもの。
    ↓
“今よりもっといい方法が、
 あるんじゃないだろうか?“
    ↓
『“ある”のなら、いいものを』
『同じやるなら、やりたいことを』

という風に書き連ねていって、
ふーんと思って、
法事に向かいました。

なんとなくモヤモヤした気分も、
懐かしい家族の方の顔を見ると、
なんだか、回復してしまうのは、
なかなか便利な性格だと思います。

いつものようにお経を唱える時、
普段はあまり、気にすることのない、
お経の中の言葉である、

「一切、如来。」
(お経では“いっせい、じょらい”と読みます。
 「すべてが、如来である。」)

と何度も唱えるところが、
妙に心にひっかかって、
これをテーマに話そうかと、
お経を唱えながら思ったんだけど、
結局、準備していった話を、
ほとんどそのまま話しました。


「この前、千葉までお葬式に行って来ました。
 そこで、僕は、
 僕だからできる事って、
 なんだろうって考えたんですが、

 それは、懐かしい、
 四国の山の緑や
 瀬戸内海の海の匂いみたいなものを、
 お経を通して届けることが、
 僕ができることだと思いました。

 最近、
 お大師さんの書かれた本なんかを、
 読んでいると、
 “もの”と“こころ”が両方あるよ。

 それに、気づいてる?

 ってことを、何度も言っておられるなー。

 と感じるんです。

 “もの”って大事ですよね。
 朝起きたら、
 ゴハンを食べないといけないですし、
 ゴハンを保存するために、
 冷蔵庫も買わないと普通に生活できません。

 でも、同じぐらいのパワーで、
 心もあるよ、ってことを、
 言っておられる気がするんです。

 例えば
 僕は千葉まで、
 山も海も持っていってはいません。
 たぶん、匂いだって
 持っていってませんよね、本当は。

 持っていったのは、たぶん、
 こころ、みたいなものなんです。

 今日、みなさんは、
 亡くなった人に対して、

 “そっちはどうだい?
  こっちは元気でやってるよー“

 みたいなとてもやさしい気分で、
 いると思います。

 そして、それを、
 確かに感じることができると思います。

 “もの”と“こころ”が、
 両方あって、バランスをとっている、
 ってことに気付ける時は、
 実は、そんなには、ないと思うんです。

 あるとしたら、今日みたいな日だと思うんです。

 あっ、“こころ”って、
 “もの”みたいに絶対いるなー、

 って気付くことのできる日。

 有り難いことに、お坊さんは、
 そういう場面に、
 立ち会うことが、とても多いんですが、

 普通の人は、少ないかもしれません。

 今日は、確かにある、
 “こころ”
 を感じる日にしてもらいたいと思うんです。」

チーン。

みんなで、
雨の上がった外に出てお墓に向かいます。

その帰り道、
都会育ちのお孫さんに、
おじさんが、野いちごを手渡しました。

僕も、久しぶりに、食べてみました。

「へびイチゴじゃないですよね?」

「大丈夫、ちがう、ちがう。」

「すっぱいね。」

「すっぱいー。」

「雨の後は、中に虫がおる事が多いよ。」

「えーー。」

家に戻って、
おばあさん手製の
お寿司とお吸い物を食べながら、
大人達のいろんな昔話を聞かせてもらいました。


坊さんって、なんか、いいなぁ。


そう思ったよ、僕は。



ミッセイ


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2003-12-11-THU

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