坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第143回 京都のラストは、男山八幡で。

ほぼにちは。

ミッセイです。

きのう、
栄福寺に参拝に来られた、
おばあさんが開口一番、

「うわぁー、夕方に来たいお寺ねぇ!」

と、連れの人に大きな声で伝えていました。

小さな山にある
比較的コンパクトなサイズの
お寺の住職としては、
なんか、うれしい言葉でした。

「夕方に来たい寺」

って、なんか、
よくないですか?

まぁ、
このおばあちゃんの
髪の毛はすっごいムラサキ色で、
あんまり、しみじみとは、
してなかったんですけどね。
個人的な感想ですが。


京都の広告塾も最終日になりました。

せっかく最後だし、
なんか、特別な場所に行きたいなぁ。

と考えていたんですが、
あまり、いいアイデアも浮かばず、
ぼんやりと夜、本を読んでいると、

「そうだ、男山に行こうかな。」

と思いました。

考えてみると、
「府頭山 栄福寺」
にとって、
とても縁深い場所が京都にあったんです。

縁起によると、
栄福寺は弘法大師、空海(774〜835)が、
海難事故が多かった
瀬戸内海を鎮めるために、
府頭山、山頂で護摩法を修し、
その満願の日(最終日)に、
光あふれる海に阿弥陀如来が現れたのを見て、
堂宇(どうう、おどうのことです。)を建立した。

ことから、
その歴史がスタートしたと伝えられています。

その後、貞観元年(858)に、
行教上人というお坊さんが、
縁あって四国に来られた時、
京都の男山(現在、石清水八幡宮で有名なところ)
に府頭山があまりにも似ていることに驚き、
山頂に神仏を一緒にお祀りして、
八幡宮を建立した。

と言われています。

ガイドブックとかに載っている内容だと、
その後、明治(1868〜)の神仏分離で、
栄福寺は現在地に移った。

と単純に書いてあって、
なんだか明治になってから、
なにもないところに、
ボンと栄福寺が急遽、
建立されたような印象を受けてしまいます。

でも、1600年代に書かれた
お遍路に関する本を読んでみると、

「山麓に弥陀堂を構ふ」

とあっておそらく
これは栄福寺の
現在地にあったんじゃないかと
いう気がします。

また1800年頃に
書かれたと思われる本では、
八幡宮別当栄福寺は、
八幡本社の一町(約109メートル)
ほど下った所にあり、
すでに大師堂を持っていて、
お遍路さんはここで、
納経をしています。

だから僕が以前、
「明治時代まで栄福寺も山頂にありました。」
と「坊さん」に書いたのは、
時代にすこしばかり、
ズレがあるのかもしれません。
(たぶん、あります。)
このあたりの細かいことは、
どこかで古地図を見せてもらって、
調べてみたら、わかるかもね。

とにかく、
僕のイメージの中では、

むかーしから、
瀬戸内海をのぞむ、
多くの人が“神”と慕う山があって、

そこに、弘法大師が、
阿弥陀如来をお呼びになって、

またそこに、行教和尚が、
八幡さんの神様をお連れになって、

その神々の山の、
(弘法)大師堂的な
性格を持っているのが、
栄福寺であるというのが、
僕の大きな物語の中での、
現在の解釈なんです。
(府頭山ツアーズに参加されていない方は、
 ぜひ、「第102回 願いがある場所」も読んでみてね。)
 

その府頭山によく似た、
とっても縁深い山が、京都にある。

京都の最終日に訪れるのに、
ふさわしい場所は、ここ以外考えられない。
急に思いついてラッキーだったな。
と思いました。

京都駅から、
電車を乗り継いで25分ぐらいの
八幡市駅、



のすぐ近くに男山に登るための
ケーブルカーの発着場がありましたが、
20分ぐらいで登れると聞いて、
歩いて登ることにしました。

鳥居を越えて、



小雨の降る男山に入ると、
小さなお宮や神木が、
いろんな場所に点在していました。





石清水という名の通りの、
岩から降りてくる水の音を聴きながら、



雨が降っているのに光の射す、
参道を登っていると、



「今までの栄福寺の住職や、
 八幡さんの神主さんは、
 なかなか、こんな所まで、
 来られなかっただろうな。」

と考えました。

そして、
歴代の府頭山にいた
聖職者の皆さんと
ほがらかに行列して、
男山に挨拶をしに来てるような、
そんな気分になりました。

先頭に立ったじいちゃんは、
まんざらでもない様子で、
珍しい僕の“てがら”を恥じらいもなく、
うれしそうな顔で自慢しています。

それは、僕が生前によく見た
じいちゃんの光景でした。

僕が僧籍(お坊さんの資格)を取った時に、
檀家さんや信者さんの前で。

僕の高野山大学での卒業論文が、
密教研究者のための
ちいさな学術雑誌に掲載された時、
家族や近所のお坊さんの前で。

出来のよくなかった僕の、
数少ないちょっとした手柄を、
あまりにも大げさに喜ぶじいちゃんを、
久しぶりに見た気がしました。

しばらく歩いて到着した
とてもりっぱな本殿で、
手を拍ってお参りしました。



参道を引き返して、
神馬舎の白馬を
しばらく眺めて帰りながら、



「もしかして、
 今日一日のために、
 僕は京都に足を向けたのかな?
 そういうのって、
 あり得る話かもな。」

とかって考えました。

山を降りて、
下から男山を眺めると、
小さくて、もっこりとした様子が、
ホントに府頭山にそっくりでした。

ここまで雰囲気が似ているのは、
正直に言って、
意外だと思いました。



四国に戻って、
散歩をしながら府頭山を眺め、



僕が80才ぐらいか70才ぐらいか、
わからないけれど、
自分が死に到る病の床の中でも、
今日のことだとか、
京都を歩き回った事なんかを、
なつかしく思い出すんだろうなぁ、
と、なんとなく感じました。


ミッセイ


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2003-12-04-THU

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