坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第105回 竹に草を飾る。

ほぼにちは。

ミッセイです。

「第68回 ふたつの仏足跡」

で書いた、
栄福寺の仏足跡を憶えていますか?


栄福寺、仏足跡

この仏足跡は、
僕が住職になってから、
建立した新しい存在なので、
多くの時間が詰まっている、
古いお堂と、
まだ、うまく馴染めてないなぁ、
と、よく考えていました。

「まぁ、時間が解決してくれるんだろうな。」

でも、正月に作った「ひかる竹」の、
竹がとても綺麗で、
微妙な色に変色しているのが、
ずっと、心のどこかに、
留まっていたんです。

竹は、どうやら、
とても変色が速いらしく、
完全に茶色になる前の色は、
緑と茶と紫が混じったような、
とても感じのいい、
“古木”の雰囲気を持った、
木になります。


いい色になった、ひかる竹

「この竹が持っている、
 (彼の中での)“古い時間”と、“若い石”の、
 存在が出会ったら、
 古いお堂と仏足跡が、
 自然な形で、手を結ぶような、
 潤滑油みたいな、
 存在にならないかな?」

と考えました。

でも、それには、なにか、
もう一個の“しかけ”がいる。

「そうだ、袈裟(けさ)だ!」

と思いつきました。

「第40回 法衣屋がやってきた。」

でも、触れましたが、
僧侶が付けている袈裟は、
人々が好まない色を、
あえて身につけることで、
一回、価値観をまっさらにして、
フラットな視点で、
物事をみてみよう、執着を離れて。

という“決意表明”のしるしです。
(と、いうのが僕の“今の”感じ方です。)

で、僕の方法は、
この竹に、
普段、
人為的に飾られることが、
ほとんどない、
「雑草」を、飾ることで、
仏足跡に“袈裟”という、
考え方をまとって頂こう。

というコンセプトです。

高野山大学で華道部に在籍していた頃、
唯一、僕が得意にしていたのは、
“自由華”(じゆうか)という型です。

これは、

「とにかく、
 自由に、やってしまってくださいな。」

という名前通りの、いけ方で、
自分の中の“キレイ”に従って、
がしがし、アレンジします。

そんな感じで、
雑草をいけてみました。


雑草を飾る

仏足跡との相性は、どうでしょうか?


仏足跡と竹と雑草

考えてみたら、
この「雑草を飾る」というコンセプトは、
空海が持つ密教の考えの、

“物語”

にも寄り添うことのできる、
考え方だと思います。

密教ではすべての存在は、
“同質”であり(を含み)、
“本質”の表現の“ひとつ”である。
という考え方を、
とても、
大切な要素として、持っています。
(しつこいようですが、
 “僕”の理解です。)

普段、飾られることのない
雑草が、“飾られる”という、
“違和感”が、

「この雑草は、あなたです。」

「あなたは雑草です。」

「雑草は宇宙です。」

「あなたは、宇宙です。」

「僕は、あなたです。」

「あなたは海です。」

みたいな、ぼんやりした、
メッセージになって、
誰かの胸に届くことを、
想像したら、
なんかワクワクしてきました。

こうなったら、
境内のいろんな場所に飾りたくなってきた。


鐘撞堂にて


栄福寺、入り口の古木と。

 
石垣の前に


お線香台の下にも


金比羅堂の柱に


ひっそり、参道に


「雑草を引っこ抜いて、
 いけているミッセイさんの姿を、
 お遍路さんが、不思議そうに見てるよ。」

と、母親に言われました。

そう、そう、
それがいいんだと思う。

さっき、僕が言った、
“コンセプト”みたいなものは、
全っ然、“答え”なんかじゃ、ないんだ。

「これは、袈裟って意味でさぁー。」

なんて、
答えありきの、思考回路じゃなくて、

「なによ、これ、へんなのー。」

と、頭を傾ける、
気持ちが一番、宗教に近くて、
僕達の生活の物語になり得るものだと思うんだ。

「じゃあ、“花”は、もう、
 いけちゃダメなの?ユリとか。」

続いて、母親に聞かれました。

そういうことでも、ないと思うんだ。

仏教の考えは、
ー僕も誤解してたと思うんだけどー
“下”の存在が“上”なんじゃなくて、

「すべてが同体」

という事だと思うんだ。
(でも同時に各々の、
 差別“しゃべつ”
 ―ちがいー
 は、大切にしています。)

雑草だから、
いいわけではない。

花だから“実は”、
醜いわけではない。

雑草をいけていて、
気づいたことは、
やっぱり人間は、
どこか、無意識に、
“花”を求めている、
ということ、でもあります。

これも、本当に大切な心だと思う。

僕は、いつの日か、
栄福寺の境内に、
車を入れないようにして、
(駐車場を近くに作って)

“草”のたくさんある、
「緑の境内」に、したいっ!
という構想がありました。

でも、正月の「ひかる竹」みたいに、
境内のあらゆる所に、
“人為的”に草が飾っている。
(もっと、たくさん。)

っていうのも、
メッセージがより鮮明で、
いいかもしれないなぁ、
と思いました。

よく、
「あじさい寺」とか、
花が有名なお寺ってあるよね。

あんな感じで、

「草寺(くさでら)」

って、なんか、いいなぁ。

とりあえず、
今のところに、
何日間か、

“草”飾ってみます。

ミッセイ

2003-04-20-SUN

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