坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第88回 まめつぶの仕事。

ほぼにちは。

ミッセイです。

この前、
お酒を飲めないお坊さんから、
いいことを聞きました。

お寺の行事の後って、
お酒の席になることが多いんだけど、
たいがい、余ります。

お酒を飲まないお坊さんには、
余ったお酒って、
なんの役にも立たないよね。

特に“かんざめ”
(燗したのに、残ったお酒)
とかだと、
人にも、あげられないし。

そこで、その坊さん、
お風呂にお酒(日本酒)を、
入れてみたらしいんです。
3合ぐらい。

これが、とーっても、よくて、
たいぶたっても、
ポカポカしているということでした。

で、もちろん、僕も、
余った“かんざめ”で、
試してみたんだけど、
(僕はお酒、飲めるけど、断腸の思いで。)

気のせいかな?
なんか、
ポッカポッカが長く続く気がしました。

興味のある人は、一度、試してみてね。

ただ、残念なのは、
“香り”は、
ほとんど、残らないんだよ。

香りをなんとか、抽出して、
パーッと漂うようにして、
入浴剤にしたら、売れないかな。

蔵本とか銘柄で選べるようにしたり。

「今日は、“美少年”にするか。」

みたいに。
(この例は、ちょっと、あやしいけど。)

ところで、
“坊さん”「第35回 叫ぶ坊さん」
で書いた、

「大般若会」(だいはんにゃえ)
の季節がやってきました。

「だぁぁぁーーい、はぁん、にゃぁぁああーー!!」

です。

2週間で7ヶ寺の法要に参加するので、
なかなか、忙しい日々になります。

でも、
昔は600巻の大般若を、
全部、読経していたので、
7日から数ヶ月にわたる行事だったみたいです。

それか、大寺院では、
100人とか600人とかの坊さんが、
一斉に読み始めるという、
盛大な行事だったとさ。

すごいね。どっちとも。

七つのお寺の大般若経典には、
いろいろあって、
それを観られるのも、
個人的に楽しみにしていました。

時代的にも、
南北朝時代、江戸時代、
最近買ったもの、
と色々あるんですよ。
古いものは、もちろん手書きで、
読経には、かなり気を使います。

古い経典に、

「梅庭妙薫大姉
 (ばいていみょうくんだいし、だろうね。)
 菩提也。」

と書いてあって、

「昔の人はこんな戒名だったんだな。
 なんか、いい匂いの戒名だなぁ。」

とか、思ったりしました。

「密成さんも、
 何年かしたら、裏書きに、
 富士山の噴火について記述のある、
 お経にあたるよ〜。」

と、先輩のお坊さんに言われましたが、
今すぐ見たいよねー!その経典。

「まぁまぁ、先も長いんだし。」

と、たしなめられました。

南北朝の経典は、
時代が時代だけに、だいぶ傷んでるので、
修復するらしいです。

細かい話ですが、
1冊、7500円ぐらい、
かかるみたい。

600巻、
全部直したら、
すんごい値段になるね!

栄福寺の大般若経は、
大正4年に購入した、
「新しいグループの中では古い」
時代の経典です。

こんな箱に入ってるんだよ。


ばあちゃん、お母さん、ミッセイが、
今年、修復しました。
タダが好きな栄福寺・・・。
でも、ドイツ製の修復材は、
結構、高かったんだぜい。
(お寺専門の業者から、母親が取り寄せた。)

栄福寺での、
大般若の前日、準備をしていたら、

こちらも「大正4年 大般若」と書いた、
長い棒が出てきました。



「なんなの?」

と聞くと、
昔は大般若を「おみこし」みたいにして、
地域の家々を回っていたようなのです。

その「かき棒」だということです。

かいてみました。



他のお寺では、
この風習が残っているところもあります。

宗教が多様化した時代なので、
今、家を回るという形で、
復興するのは難しいかもしれないけれど、

せめて、「八幡」(やはた、僕の住む地方)を、
かいて、歩いて回りたい。

だから、今年の僕の「法話」は、
「大般若経」の説明なんかに加えて、

「僕が住職として、そういう夢があります。」

と、地域の人に伝えました。

「15年前ぐらいまでは、やっとったかなぁ。
 八幡では、子供達の仕事だったんだよ。」

ということでした。
子供達だと問題が更に繊細になるけど、
僕が、かいてもいいなぁ、と思っています。

“建物”とか“文化財”だけでなく、

“行事”とか、“祭り”とかには、
なにかしらの可能性があるって、
思うことがあります。

それって“行為”でもあるから、
僕達の内側にも、なにか、
発生するんだよね。

今はなくなった、
すっごい古い行事とかを、
引っぱり出してきて、
アレンジして、
なにかの、(例えば“人が集まる”)
「きっかけ」とか「いいわけ」にできたら、
いいかもしれないな。

日付は付いていませんが、
僕には、ぼんやりとした、
イメージがあって。

それは、
栄福寺が、
「森」とか「植物」に、
もっと囲まれた、
緑色の場所であったら、
いいなという思いです。

『植物と行事』という
本があるんですが、
(僕は植物園で買ったんだけど、
 普通の本屋でも買えると思います。)

目次を読むだけでワクワクします。

「神と交わる木、マツ」

「アズキの威力」

「ツバキ5千年」

「縁起と忌みに使われるウツギ」

なんか、いいでしょう?
お寺にある、
植物にちなんだ、
毎月のイベント(行事)とかがあっても、
いいね。

でも、僕が、大きな木が、
栄福寺にあったらいいな、と思ったとして。
(思ってます。)

僕が、植えたとしたら、

その大きな木を、
見ることができるのは、
何代、先の住職なんだろう?

いろんな場面で、
何百年の視点を持たないといけないのが、
坊さんという仕事のおもしろいところの、
ひとつだね。

僕の役割は歴史の長さから観れば、
“まめつぶ”みたいなモンです。

でも、この“まめつぶ感”って、
なんか、気持ち、いいんだよなぁ。

ミッセイ

2003-01-23-THU

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