坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第80回 恩が集まる海


ほぼにちは。

ミッセイです。

僕が通っていた、
中学校は校則で、

「男子は全員、丸刈り」

だったんですが、
中学生になるまで、
短髪にもしたことのなかった、
僕は、
これがイヤでイヤで、
仕方がなかったんです。

そこで、
「生徒総会」の

“その他、話し合って欲しいこと”

で全校生徒を前にして、
大演説を展開しました。

「えー、皆さん!
 全世界において、
 囚人と宗教者以外が、
 坊主を強要されることは、
 ありえない事なんです。
 (なんの知識もなく、
  テキトーに言ってました。)

 このような暴挙を認めて
 いいのでしょうか?

 僕達に、髪と自由を!!」
 (爆笑、拍手喝采)

と言っていた僕が、
今や髪のない宗教者なのだから、
ホント、人生はマジックだ。

今のとこ、
囚人ではないのが、救いです。

冬になると思い出すのは、
やはり、
学生の頃の高野山時代です。

高野山の冬は、
たしかマイナス8度ぐらいまで、
気温が下がるんですが、
僕は何故か、

「暖房をつけると、論文が書けない。」

という不思議な体質で、(当時)

手がかじかんで、
キーボードが打てなくなりました。

そこで、
軍手の先を切って、指だけ露出させて
部屋の中で、
ダウンジャケットを着て、
卒業論文を書き上げました。

その論文は、
ラッキーなことに、
いろんな人の目に留まり、

『密教文化』という、
学術雑誌に掲載してもらえました。

著者には“抜き刷り”といって
自分の部分だけを印刷した物を
30部ぐらいもらえるんですが、

お世話になったり、
自分の事を理解して欲しい人に、
渡すたびにその数が減ってゆくのは、
すこし寂しい思いがありました。

「オレ、けっこう
 考えたり、文章書いたりするの
 好きなのに、
 そんな機会、もーないのかな。
 もっとしたいな。」

でも、今こうやって、
パワーブックに向かって、

「なに、しゃべろーかな。」

ってワクワクしている、
自分がいるのは、
本当にハッピーだと思います。

しかも、その“場”が、
テレビよりも、新聞よりも、
ディズニーランドよりも、
お気に入りの「ほぼ日」である。
というのは、とても不思議な感覚です。

したいことって、
できると、
うれしいよなぁ。

もっと、
できるといいな。

ところで、僕は、
人生2回目の「導師」としての、
葬儀に参加しました。

僕が、
亡くなってすぐ行われる、
「枕経」(まくらぎょう)
に行くと、息子さんの喪主は、
京都で働いていて、
まだ到着していませんでした。

そこで、
お茶を飲みながら親戚の方々と、
待機していたのですが、
しばらくすると、
息子さんが戻られました。

彼は部屋に入ってくるなり、
遺体にすがりつき、

「かあちゃん、
 遅くなって、悪かったの・・。

 ゴメンナァー。」

と言って、号泣しました。

こんな場面に、
何度も遭遇する、
坊さんという仕事って、
ほんと、すごい仕事だなぁ、
って思いました。

今回の戒名は、
枕経や通夜に集まった、
子供や親戚が本当にたくさんで、
“いい顔” (変な言い方ですが)
を、されていたのが、
すごく印象的だったので、

「恩が集まる
 “海”(全てが集まる場所、
    という意味があります。)
 だなぁ。」

と思い、

「恩海」(おんかい)
という言葉を選びました。

その他にも、
“薫”(くん)という字を使ったんですが、

「おっさん、
“佐智重”(さちえ)さんの、
“重”を使ってくれたんだね。
 ありがとー。」

と言われましたが、
これは偶然です。

「薫」っていう言葉の感じって、
なんか
女性的で瑞々しい感じがして、
とても好きなのです。
(意味的には、いいかおりとか、
 つややかな美しさ、という意味があります。)
亡くなった方も喜ぶと思って、
使った字でした。
おばあさんの時に、
亡くなっても、
その人の“女性”の部分を、
大切にしてあげたかった。

戒名の意味を説明する、
法事の席で、

「恩の集まる海は、
 サチエさん本人だけではなくて、
 恩を受けた皆さんや、
 縁を頂いて引導をお渡しした、
 僕でもあるんでしょうね。

 これから、がんばって
 みなさんも、僕も、
 佐智重さんの“智”を
 薫じてゆきましょうね。」

という話をしました。
みんな泣いたので、
僕も泣いてしまった。
こういう席で、
僧侶は、泣いてはいけませんね。

式が終わった後、
僕と同年代の孫の兄弟が、
控え室を訪れてくれて、

「ばあちゃんに、いい戒名を、
 ありがとうございます。」

と言ってくれました。
うれしかった。

個人的には、
情けない所ばっかりで、

自分も人も傷つけることの
多い僕ですが、
(僕の回りの人達は、よくご存知ですね。)

こういう経験をするごとに、
勇気をもらっています。

僕もせめて、やさしくなりたい。

とか、ヤングっぽく考えたりしました。

ヤングって。

ミッセイ

2002-11-21-THU

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