坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第73回 お地蔵さん。


ほぼにちは。

ミッセイです。

最近、
本堂や大師堂にむけて
携帯電話を突きだしている人達を、
たまに見かけます。

特に若い女の子。

かなり妙な光景です。
集団だと特に変。

「ばあちゃん!みてみ、あれ。
 なんなんだろう、あれは。
 あれが、世に言う“電波系”?
 信仰の問題だから、
 聞かない方がいいのかなぁ?
 なんか、すごいなぁ。」

と納経所から、
オタオタしていると、

「写メール」でした。

奥さん!
携帯電話から写真が送れるんですのよっ。

「栄福寺、マジで来た。
 十二支の彫刻、かなりキテル。
 画像、送りまーす。」

なんて、やってんでしょうか?
他の寺にも、たまに来るみたい。

いろんな人が、いますね。

8月は、お盆だけじゃなくて、
色々な行事があるので、
なかなか、忙しかったです。

とか、言いながら、
夜なべして、
イラストTシャツを
作ったりもしました。

古い建物を改築した、
ギャラリーでのグループ展で
販売したりもしましたよ。



坊さん以外と、
いっぱい話せて楽しかったです。

坊さんと話すのも、好きですが。

たくさんの行事の内の1つは、
地蔵盆の日に行われた、
お地蔵さん関係の行事です。

この日は、栄福寺で
「お願い地蔵尊」を
建立された方達と法会をして、

夜は近所のお寺さんに、
「水子地蔵供養」
に行きます。

ダブルブッキング・・・、
じゃなくて、
ダブルヘッダーですね。

というわけで、
ヘリコプター・・・、
じゃなくて(しつこい)
マーチで「光林寺」さんに、
お邪魔しました。

昔から、お地蔵さんというと、
子供と結びつけられます。

この辺でも、小さな子供さんが
亡くなるとお地蔵さんを建てたりします。

これは、お地蔵さんは、
若い坊さんの姿で現れる、
っていう昔からの民間信仰が、
ベースにあると考えられています。

日本のお地蔵さんは、
左手に宝珠(ほうしゅ、たからもののたま)
右手に錫杖(しゃくじょう、僧の持つ杖)
を持っているのが、一般的です。
今度、みてみてね。

そして、中国の敦厚や
朝鮮半島の高麗時代のお地蔵さん
(の一部)は、
帽子をかぶった、
お地蔵さんが作られました。
(被帽地蔵、ひぼうじぞう)
日本には帽子を被った、
お地蔵さんの例はありません。

でもね、
お地蔵さんって、
寒い季節になると、
近くに住んでいる、おばあさんとかが、
毛糸で編んだ帽子とかを作ってくれて、
かぶせてあげてたりするよね。

これって、
お地蔵さんだけだよなぁ。

まぁ、
1.野外にある尊像
2.なんとなく、
  かぶせたくなる
  頭をしてらっしゃる。

という理由はあるにしても、
歴史のことなんか、
なんも知らないはずの、
ばあちゃん達は、
遠い敦厚の想いを、
一番、伝えてるのかもなぁ。

なんて、思いました。

夜の光林寺は、
たくさんのローソクに照らされた、
無数のお地蔵さん達が、
なにか、うれしそうで、
どこか、かなしそうで、
いろんな感情を喚起させる光景でした。

僕が、
お経を唱えている時。
目の前にいた
小さな子供を連れた、
若い夫婦の旦那さんは、
1つのお地蔵さんに、
本当に長い間、
合掌されていました。

それを不思議そうに、
みている子供が、
お父さんに話しかけると、
お母さんが、
本当に、やさしい顔で、
それをたしなめていました。

二人はもっと若い頃、
お腹の中の赤ちゃんと、
お別れした経験を、
持ってるのかもしれないね。

「おまえのこと、忘れちゃあ、いないよ。」

そんなことを、想ってるのかな。

お盆の時にも、
思ったけど、
やさしい気持ちで、
なにかを
“おもいだす”
“おぼえている”

っていうことは、
本当に大切で、素敵なことですね。
それが、痛みを伴うことであっても。

ミッセイ

2002-09-02-MON

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