坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第72回 “ハッピー”への1つの方法


今、お盆の棚経(たなぎょう)から帰ってきました。

今日は家の近くの、
30件ぐらい行ってきましたよ。

てくてくと、昔の遍路道なんかを
歩いていたら、

「日本昔話」とかに出てきそうな、
おっきい、白い鳥が、
コンコルドみたいに優雅に飛んでいました。

田舎の道を歩くのは、ホントに気持ちがいいです。

お盆で、何十件もの家を訪問して思うことは、

「お茶の味って、家によってだいぶ違うんだなぁ。」

って事です。

自家製のドクダミ茶だったり、
熱いほうじ茶だったり、

「去年、この家、来たかなぁ?」

って時でも、
お茶を口にした瞬間、

「あぁ、このお茶、憶えてるわ。
 去年も来たわぁ。」

って思い出したことが、
何度かありました。

訪問する家のほとんどは、
お年寄りの家ですが、
たまに若い人もいます。

短い間だけど、
たくさんの(しかも無作為の)
考え方や、ルーツや、嗜好を
持つ人達と会話を交わせるのは、
この仕事のいいところです。

お茶と一緒で
人間って
随分、違います。

ほんっと、痛感するよ。

3,4分話して、
次の家に向かいながら、
僕が、時々、考えるのは、

「で、僕はどうしたいんだろう?」

って事です。

だいたい、この問いに答えというか、
結論、めいたものは、ないんですが
今回は漠然と1つのことを感じました。

「他人の不幸を喜ぶことは、
 どうやら、
 ハッピーにはつながってないらしいな。」

ということです。

チープな一般論?

そうかもしれないね。

“全ての人に愛情を注ぐ”
っていう考え方は、
仏教でも大切にしています。

キリスト教でも、

「汝、敵を愛せ。」

って言葉がありましたよね。
(あってる?)

でも、実感として、
なかなか、そこまで
到達できない場面も多いです。

でも、ちょっと考えてみたら、
僕達が
「他人の不幸を願っている」
事って、そんなに
少なくない気がします。

「自分より成功した、
 あいつには、
 たまには失敗してほしい。」

「若いときから、金持ちだった
 あいつが、
 事業に失敗して、
 ちょっとうれしい。」

「ふられた、あのコが、
 失恋したらしい。
 ザマーミロ。」

そういうのって、
ホント、自分の感情の中に、
いらんなぁ。
って感じました。

もちろん、そういう感情を
完全に取り払うことは、
かなり難しいですよね。

わかってる、わかってる。

でも、そう感じたときに、

「感じることは仕方ないけれど、
 それって自分のためには、
 効果ゼロだぜ!」

っていう認識が、
ある、ないじゃ、
全然、違ってくるような気がしました。

他人の不幸が関心の中心になってる人、

多いですよ。

こっそり報告します。
油断したらヤバイと思うよ。
僕も注意します。

僕らはホント、びっくりするぐらい
負けるよね。

僕も負けてばっかり。

でも、勝者に対して、
賞賛を語ることが出来なくても、

「あいつ、やるじゃん。
 オレもやるもんね。」

って思えることと、

「次は、こけやがれ。」

って思うことでは、
ずいぶん、
自分へ帰ってくる
“ハッピーの容量”が
違うんではないかな?

って思いました。

ので、おすそわけ。

ミッセイ

2002-08-25-SUN

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