坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第67回 よし、やろう。


ほぼにちは。

密成です。

最近、どうも調子が悪いです。

「このままじゃ、だめだ。」

という気持ちがずーっと、
心の中にモヤモヤしています。

だいたい
一晩寝ると、
たいがいの事は、
忘れてしまうはずの性格なんですが、
今回はそうでもない。

なにが「だめ」なんだろう?

「坊さん」という仕事についてなんだろうか?

違うことなんだろうか?

たぶん両方だ。全部だと思います。
“僕”という事に関する全部。

“このままじゃだめだ。お話にならない”

そんなことを、
時にぼんやり、
時にとっても明確に感じながら、

法事に行ったり、葬式に行ったり、
写真を撮ったり、ごはんを食べたり、
眠ったりしていました。

そして僕は思いました。

“僕は、僕として、
 動き始めてもいないんじゃないか?”

僕は25歳になったばっかりで、
新しい“職業”―坊さん─ になってから、
ちょうど1年しかたっていない。

多くの経験を積んだ人からみれば、
あたりまえの状況だといえるかもしれない。

でも
このままのペースでいいんだろうか?

僕は以前、この連載で書いたと思う?
「僕は、この調子でいい。」

今、僕はこの言葉を
もっと、正確に書ける。

「僕の魂のスタンスは、それでいいかもしれない。
 でも、その調子でいいはずがない。」

僕は、続けて書いていたと思う。

「それと、少しの努力。」

僕はいくつかの少しの努力をしてきた。
でも、いくつかの、“向かうべき”
苦しみや努力から逃げてきた。

これは事実だ。

どうして逃げてしまうんだろう?

脳のプログラムだろうか?
生存本能だろうか?

わからない。
でも僕はみたい。

僕は、僕がもっと見たい。

僕は1ミリからでも
“行動”からはじめたい。

はじめるしかない。

糸井さんが

「どんなことでも“不完全なたたき台”から始まる。」

と語る時、たぶんメッセージは明確だ。

「ゴタゴタ言わずに、やってみれば?」

僕はもう飽きた。逃げるのに飽きた。がまんならん。

「たたき台」を作るのは楽しそうだ。
とても楽しそうだ。

でも
時に
楽しさ以上の、苦しみや、めんどくささや、孤独を
僕は受け止めることができるだろうか?

それは、わからない。

でも僕は、やってみようと思う。

なんども「やってやる。」と決意した
何回もの決心を越えて、

一丁、やったろうじゃないかと、

僕は心の底から思う。

よし、やろう。

ミッセイ

2002-07-25-THU

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