坊さん。
57番札所24歳住職7転8起の日々。

第50回 巨大なトウバを書きながら。

ほぼにちは。

密成です。

栄福寺の桜は、種類が普通の花見の桜とは違うみたいで
すぐに散ってしまいます。
(この原稿が載る頃には随分、季節はずれの話でしょうが)

昨日ぐらいが、桜吹雪のピークで
真っ白の白装束のお遍路さんが
散る桜を通って見えなくなっていく
風景は、とてもキレイでした。
少し切ない感じもして。

みんなは「春夏秋冬」で好きな季節ってある?
考えてみたら、僕、ないなぁ。特別には。
ただ、「新しい季節がやってきた感じ」というのは
好きな感覚です。
でも、それって「新しい季節」の感覚では
正確にはなくて。
「知ってる季節が帰ってきた感覚」に近いです。

でも、それは、僕の知ってる
去年や、おととしの、季節とは本当は
ちがう、存在でね。

それをホントは、知ってる僕は
切なくなって、うれしく、なるんだろうな。

春は僕にとって、新緑のうすみどりと
やわらかな光の季節です。

これは秋の話だけど。
だいぶ、悪くなった、じいちゃんの
病室のナイロンのソファーに座って僕は、
牛乳を飲んでいました。
それから、立ち上がって
自分の座っていた場所を眺めると
白い水滴が付いていました。
「あっ、こぼれてしまった。」
と言いながら、僕が、
そっとソファーに手を触れると
それは、ガラス越しに入ってきた
太陽の“光”でした。

「光だったー。」

少し離れてもう一度、見てみても
牛乳にそっくりでした。

その一部始終を、
ずっとみていた、じいちゃんと
にっこり、笑顔を交わしました。

今でもよく想い出す光景です。

よく思うのだけど
「死ぬであろう人」と
それを理解したうえで
少しの間、一緒に、いれたことは
僕にとって、とても
“いいこと”だと強く感じます。

宗教者として、人間として。
今だって、失敗ばっかりだけど、それでも。

大切な行事である
「常楽会」の準備で、なかなか
大変なのが登場です。

4メートルもある四角のトウバの4面すべてに
筆で字を入れなければ、いけない。

例えば、一面は

「奉為 大恩教主 釈迦牟尼如来 報恩謝徳 倍増法楽」



と書きます。

しかも、これを当日境内に立てるので
みんなが観るわけです。
まいった。4メートルだよ、巾は15センチぐらい。

最初は達筆のお坊さんに頼もうと
アポも取ってたんですが
いつかは自分がやるんだから、
思い直して自分で書くことにしました。

普通は前回の字を大工さんに
削ってもらって書くんですが
今回は、じいちゃんの字をお手本にして
隣に置いて書きたいので
新しくもう一本作ってもらって書きました。

持ってきてくれた、大工さんは
(トイレを一緒に観に行ってくれた方)

「おっさん、気合いがはいるねぇ!」
とプレッシャーを掛けるし、
(この人、実は、字がすごくうまい。)

その隣では、檀家長老の目が光っている。

でも、やるしかないのだ!

一晩かければ、できるかな?
と思っていたんですが
一字一字、半紙に練習しながら書くと
2日かかってしまった。
(途中、自転車で岡山から
 女子高生の読者が卒業旅行で
 来てくれました。)

肝心の字のほうは
僕としては、まとまりのいい物が
できたと思います。
僕の今の実力を考えると
もちろん、
大したことは、ないんですが。

こんな感じで
本堂で作業してると
お遍路さんから、気軽に声が掛かったりします。

でも、正装して
写真を写真家に撮影してもらっていた時は

「あっ、あのお坊さん、動いた!」

と、おばちゃんに言われました。

なにと間違えたんだろう?

たぶんお地蔵さんだと思う。

ミッセイ

2002-04-18-THU

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