糸井 すこし時間があるので、
エピローグをやりましょう。
中沢 はい。
糸井 『三位一体モデル』をつくるとき、
ひじょうに悩んだんですよ。
ベースとなった講義だけでも
出版できたんですけど、
本の最後の部分に、
ゲラを読んだかたがたが集まって、
「三位一体モデル」を、自分の生きかたや
日々の暮らしに応用したらどうなるんだろう、
という座談会をしているページがあるんですが‥‥。
中沢 「さる田さん」、はじめ。
糸井 ええ。あの座談会では、必ずしも全員が
明晰で正しい解釈をしているとは
言えないと思うんですけど、
少なくとも、
ある思考モデルをもとにして
自分自身のケースを解析し、
より充実した、生き生きとした、
みんなにも喜ばれるような生きかたをしようと
語り合っているんじゃないかと。
中沢 誤解している部分も含めて、
すごくいい座談会でしたね。
糸井 ここにいらっしゃるみなさんは
すでに『三位一体モデル』をお読みでしょうし、
今日の特別講義を聴いて帰る道すがらにも、
自分にとっての「三位一体」を
考えてみるかもしれません。
中沢 はい。
糸井 それぞれの立場に合わせて、
自分にとっての「三位一体」って
どういうものかな、というゲームをしたり、
わたしの職業はこうだから
どんな「三位一体」ができるんだろう、
なんてことを、考えると思うんですね。

そうやって、たくさんの人が
「丸をみっつ描いてみる」って遊びを
どんどん、やってみたら
おもしろいだろうなぁ、と。
中沢 そうですね。
糸井 たとえば、
いろんなのミーティングのときに
多くの日本人が描きたがる図って、
「三角形」じゃないかと思うんです。
中沢 ああ、そうかもしれませんね。
糸井 いわば「大衆」にあたる
いちばんの多数を底辺に、
支配する人びとをてっぺんにして‥‥。
中沢 つまり、ピラミッドですね。

糸井 そうそう。
日本人の思考モデルでは、
ピラミッド型の図を描くことが
多いんじゃないかと。

でもそこで、たとえば友だち同士で
これからのクラブ活動を
どんなふうにやっていくか、なんてときに
ピラミッドではなく
この丸をみっつ描くクセが
ついたらいいなぁと思うんです。

そのとき、
「父」「子」「聖霊」のうち
どれをいちばん先に置くと
うまく考えられそうだと思いますか?
中沢 そうですね‥‥。
いちばんわかりやすいのは
やはり「父」でしょうね。

これは、間違いなく、
安定項として
はたらいているものですから。
糸井 たとえば、
ここは明治大学ですが。
中沢 はい。
糸井 「大学」というもので
「三位一体モデル」を考えるとしたら、
「父」のところに、どうしましょう?
中沢 まず「大学」っていうのが
ありそうですよね。
糸井 「大学」、はい。
中沢 「子」のところには、教える人間。
つまり「教師」が入りますね。
で、「聖霊」のところには、
増殖する大衆、つまり学生のみなさん。

でも、いまの「大学」を考えてみると
決しておもしろい「三位一体」では、
なくなっていると思うんですよ。
糸井 そうですね。
中沢 そう思うからこそ、
「青山分校!」を
やってるってこともあるんです。
糸井 何がよくないんでしょうね?
中沢 構造が「三位一体」になってないんですよ。
糸井 つまり‥‥。

中沢 教師と学生の関係性が固定化してる。
知識の体系が「三位一体」の構造を
とっていないんじゃないでしょうか。
糸井 なるほど。
中沢 ようするに「情報」を伝えてるだけ。
今日の話でいえば、「2」の原理です。
「父」と「子」のあいだで
情報が交換されるだけの場所になってる。
糸井 大学が、受験高校の
パロディみたいになってしまっている、
ということですか?
中沢 そうですね。
だから「聖霊」の部分にあたる
「情報化されない知性」、
これが現在の大学教育には
セットされていないんだと思います。

<つづきます>


2007-02-05-MON