ここで、人間のこころとは
みっつのはたらきの組み合わせから
理解できる、ということがわかってきます。

ひとつは、
わたしたちの奥底で動いている、
流動的な知性。

それは、ものを考えたり、
捉えたりするちからの外にあり、
思考のなかに取り込むことはできません。

もうひとつは、
「イメージ」と呼ばれています。

イメージがあるおかげで、
わたしたちは
こころのなかで動いてることと
世界に動いてることのあいだに
なんらかのつながりを見出し、
外の世界と自分の内側の世界に
通路を見出すことができます。

そして最後は、
「言葉」がつくりだす世界です。

イメージで捉えたものを
言葉の構造に置き換えていく。

言葉の構造に置き換えられると、
少なくとも言葉の世界のなかだけでは
矛盾のないかたちで
表現をすることができるのです。



人間のこころに起こるはたらきを
原始的なモデルにひきもどしてみると
このみっつの組み合わせに、たどり着きます。

そして、これらみっつの組み合わせは
古く旧石器時代から
人間のこころのなかに発生している動きであり、
そのことを、当時の人びとも
はっきりと認識していたようです。

このことが、じつは
「三位一体」の大もととなる
考えかたなのですね。

ですから、キリスト教の「三位一体」というのは
ある意味で、とても原始的な部分を
そのままモデル化した構造だといえます。

だからこそ、
ある種の普遍性を持ってもいるのですが、
しかしそれのモデルが
これからも普遍であるためには、
やはり、この講義の前半で述べた
「3」という原理を
維持していかなければならない、
ということになるのです。

というのも、「3」の原理は、
ややもすると「2」の原理に
つくりかえられてしまう可能性があるからです。

そして、いったん
「2」の原理につくりかえられてしまうと、
流動的な知性はカットされ、
あるいは抑圧されて、
わたしたちのこころのなかは
計算したり、
情報化したりできるようなシステムだけで
動くようになってしまいます。

このことを考えてみると、
現在「グローバリズム」と呼ばれている現象も
ひじょうに長い歴史を
持っているものだということが、
おわかりになるはずです。

つまり、「グローバリズム」とは、
「2」の原理が世界的に覇権を握っていく、
そういうプロセスを指しており、
昨日今日にはじまったことではないのだ、
ということなのです。



そして、わたしたちの時代、
つまり、経済活動をおこなったり、
映画を観たり、友達とつき合ったり、
恋人がいたり、愛し合ったりしながら
生きているこの時代に、
世界のありようを
人間のこころの全体性に
合わせ続けていくためには、
もっと言うと、
わたしたちのこころが
いつまでも柔軟で、
豊かさや優しさを失わないためには、
「三位一体モデル」の「3」という数字を
つよく意識する必要がある、ということです。

次に、このことを、
説明していきましょう。

<つづきます>



2007-01-29-MON