ハードカバーの本が売れていくのって、 見ていてワクワクしてくるんですよ。

赤瀬川 もうひとつ、この本を読んで思ったのは、
中世から近世にかけての日本には、
権力と、お金と、それから知性。
そのみっつが、「三位一体モデル」とは
また別のかたちで、そのころの日本に
あったんだということを、思い起こしました。
── 権力と、お金と、知性、ですか。
赤瀬川 ええ。まず商売人というのは
たしかにお金は持ってたけど、
いちばん下に見られてたんですよね。
── 士農工商というやつですね。
赤瀬川 権力というのは、
徳川のお殿さまとか、各地の旗本とか。
ようするに、武力的に
上の地位にいる人たちです。

で、そのふたつの人たちとは別に、
「三位一体モデル」でいうと
「聖霊」に当たるのかも知れないけど、
「知性」というのが、あったんです。

これは具体的にいうと、
絵師や歌人など、文化を担っていた人たち。
── なるほど。
赤瀬川 お金はないけどえらい、権力のある人びと。
ペコペコしてるんだけど、
いざとなるとお金を持ってて、
バカにはできない商売人。
そして、絵師や歌人など
「神業」を持ってるような人たち。

そういうみっつが
おたがいに合体できないもの、
干渉しあわないものとして、あったんです。

── バランスを保っていた、という?
赤瀬川 そう、そう。
たとえば、お金を持っちゃうと、
神業だって、なにか生臭いものになっていく、
みたいな感じで、おたがいくっつかない。

でも最近は、それらがぜんぶ
いっしょくたになってきてますよね。
もっと言うと、
お金がすべてにくっついてきているのかな。
── ああ、そうかもしれないですね。
赤瀬川 権力っていうのは、とうぜん
支配するちから、つまり武力を持ってるわけです。
まずは、それとお金が合体しちゃって。

また、知性の文化も結局は
お金になってるわけでしょ、いまは。
売れることこそすばらしい、みたいなね。
── いまの資本主義を健全なものに戻すには
ゆがんでしまった「三位一体」を
もとのかたちに戻さないといけないだろうと、
中沢先生も、書かれています。
赤瀬川 うんうん、映画にしても、
アートにしても、何でもそうですよ。

むかしは、それらみっつが
おたがいに干渉できないものなんだ、
という意識を、内面の力であるモラルとして
みんなが持っていたんだと思うんですね。

── 当時、赤瀬川先生の感覚としては、
そういうモラルって
上から押し付けられたものなのか、
それとも自分のなかから
出てくるようなものだったのか、
どちらだったんでしょう?
赤瀬川 それは、両方ですね。

やっぱり、上からは厳しく言われます。
学校でもそうだし、家庭でも。
でも、友達どうしのあいだでも、
これはちょっとまずいかな、
卑怯なことなのかな、とか思ったり。

だけど、いまはもう実利だけで、
勝てばいいやってことじゃないですか。
── 具体的には、そうしたモラルって
たとえばどんなものだったんですか?
赤瀬川 そうですね‥‥。
僕はジャイアンツのファンだったんですが、
当時、南海の大エースだった別所毅彦を
巨人がお金で引き抜いたときに、
大人どうしのあいだでは
なにかきたないことだとか、
いろいろ言っていて‥‥。

これが、選手をお金で買う
はしりだったんでしょうけどね。
── 戦後すぐの、
いわゆる別所毅彦引き抜き事件ですね。
赤瀬 いまは高校野球が
原型になっていると思うんですが、
それまでは、地元チームの
生え抜きの選手で優勝を目指す、
というのが、
あたりまえの時代だったんですよ。

でもいまは、高校野球ですら
よその県から連れてくるようになっている。
── たしかに、そうですね。
赤瀬川 強さがオンリーみたいになってますね。

大リーグまでいっちゃうと、
とくにアメリカなんて資本主義の王国だから、
ぜんぶお金で解決というか、
お金がステイタスになっていてね。
── 最近もまた、松坂大輔投手が
大きな話題になっていましたよね。
赤瀬川 選手のほうだって
それを不思議だとも思ってないでしょう。
そのへんは、むかしといまとでは
ずいぶん、違いますよね。
ま、良いわるいは別としてもね。
── なるほど、当時は
お金で解決することにたいする違和感が、
いま以上にあったということですね。
赤瀬川 もちろん、当時だって
みんなお金はほしいと思っていたんだけれど、
他方で、そういうモラルとかプライドも
ある種のブレーキとして
かなり効いていたような気がするんです。
戦後10年、高度成長期くらいまでは。

── 21世紀のいまですと‥‥。
赤瀬川 もちろん、そういう
お金の魅力というものは
むかしからあったし、
それが変わったわけじゃないんだろうけど、
いまは、圧倒的にケタが違ってきてますよ。

そうするとやっぱり
人間のほうも変わってくる。

いまでは、ホリエモンみたいな人に
金で買えないものはない!
なんて言われちゃうと、みんな
一瞬、黙っちゃうもんね、どうしても。
── たしかに、事実としては
そうかもしれないな、
という気はしてしまいますね。
赤瀬川 でも、事実じゃないと思いますね。
── あ、そうですか!
赤瀬川 うん。

高いお金で買っちゃうと
つまんないものってあるんですよ。
僕の場合は、中古カメラとか。

古いライカのどれそれがほしいとなれば、
たとえば億単位のお金をつんだら
とうぜん、手放すと思うんですよ、
これは絶対に売らないとか言ってても。

そういう意味では
買えないものはないんだろうけど、
はたしてそれでおもしろいのかなぁ、
なんていうふうに感じるんですよね。
── 交換する行為、所有する行為として
楽しいのか、という。
赤瀬川 どうも僕なんか、
おもしろいほうが好きなもんで。

たとえば友だちが、
この古いライカ、3万円で買ったよって言ったら、
同じのを、僕は2万円だったぞって言うとね、
むしろ、いばれるじゃないですか、
2万円で買った僕のほうが。

ほんとにおもしろいものって
そういうものだし、
高いお金出したものは
当たりまえになっちゃうと思うんです。
── なるほど、野球のことにしても、
カメラのことにしても、
お金お金でやっていくより、
いろんなことが楽しいんじゃないか、と。
赤瀬川 ほんと、そう思いますね。
パソコンの画面上で
数字としてのお金が増えいくことなんか、
本来「楽しい」ということとは
違うんじゃないかと思うんですよ。
── お金ってやはり
毎日使う身近なものですし、
なにかと交換できるからこそ、
楽しいという‥‥。
赤瀬川 たしかに、若いころは
たとえば中華料理屋なんかに行っても
これは値段がちょっと高いとか、
一生懸命、気にしながらやってましたよ。
自分で稼げるようになってから、
それを気にしなくてよくなったのが
すごく嬉しかったんですね、自分では。
── はい。
赤瀬川 でも、それ以上のことって、ないんです。

だから、お金といったときには、
身近な範囲、自分の範囲内で
考えるものなんです、僕にとっては。
手が届くというかね。

そこを越えちゃうと、
あとは見栄張りの世界になっていって、
そうするとなんか疲れるなぁって
思ったりしちゃうんですよ。

── ああ、なるほど。
赤瀬川 いや、でも、ほしいんですよ、お金は。
── あ(笑)。
赤瀬川 そこが難しいところですね、
お金って。

<つづきます>


2006-12-25-MON