自転車思想。
チャリンコは、未来そのものの顔をしている。

ヨーロッパの自転車王国をゆく
(原さんのお話、その3)


こんにちは。
 
今年の10月5日と6日に行われる、
自転車のイベント『名古屋KETTAフェスティバル』、
この企画の中心人物、原啓祐さんが
僕に話してくれたことの続きを紹介します。
 
1997年、野球を見に行くついでに、
自転車の購入を決意した原さんは、
その自転車屋さん「RINRIN」に通うようになりました。
そうです、自分(本当は奥さんのものです)の自転車が、
いったん分解され、調整されていく様を見ていたんです。
 
その間にも、興味津々な原さんはいろいろ質問をします。
 
原さん「この部品はなんですか?」
 
おやじさん「これはハブといってホイールの中心につける
      大切な部品なんだ」
 
そんな会話の中、「RINRIN」のおやじさんは、
環境のこと、自転車が体にいいこと、
走ることの楽しさ、自転車レースの話や、
外国での自転車事情などを話してくれました。
自転車が完成するまでの2日間を通じて、
原さんの興味もグングン自転車に引き寄せられていきます。
 
待ちに待った納車の日です。
奥さんの体のサイズにぴったりと調整された自転車は、
街中で乗る仕様ということで、
タイヤも細身のものに取り換えてもらい、
ライトやサドルも、よりカッコイイものに交換しました。
もちろん、奥さんも大満足。
早速夫婦で近場のツーリングを計画しました。
奥さんは自慢の新車、
原さんは借り物の重た〜い自転車で出発しました。
相応に年は取ったものの、そこは昔の自転車小僧です。
奥さんがたとえ新型のMTBに乗ってたとしても
決してひけをとるなんて思いもしませんでした。
しかし、奥さんは楽々と走って行く。
原さんは追いつくのにも必死。
ちょっと坂があれば、あっという間に離されてしまいます。
 
ぜぇぜぇ、はぁはぁ
 
すっかり疲れ果てた原さんがツーリングを終えて
「RINRIN」に戻ってきたところ、
お店のテーブルには分厚い自転車のカタログが
原さんの目にちゃんと止まるように開かれていました。
おやじさんはちゃ〜んとわかってたんです。
戻ってきた原さんが自分の自転車も欲しがりだすことを。
原さんいわく、おやじさんは
 
「すべてを見透かされてるような目、うれしそうな口元」
 
で原さんを見ていたそうです。
 
そして、たまたま同じころ原さんは、
名古屋青年会議所(JC)で仕事をすることになりました。
配属されたのが環境システム委員会というところでした。
そこでドイツへの環境ミッションに配属されます。
それは、JC会員と一般の方々がドイツに行って、
そこで行われているまちづくりとか、
企業のあり方とかを勉強するツアーでした。
最初は、仕事もあるし断るつもりでいたのですが、
そんな活動の話を聞いた「RINRIN」おやじさんは、
こんなことを言いました。
 
「原君、ヨーロッパはすばらしいよ。
 特にドイツ・オランダは自転車天国だから
 きっといいものが見られるよ。」
 
そうだったのか。
点と点がつながりました。
即座に原さんはドイツへの視察旅行を決意します。
そして、原さんは驚きを持って発見しました。
目的地のフライブルグでは、
市の中心部が自動車乗り入れ禁止で、
そのエリアの移動は徒歩と自転車と路面電車のみでした。
街の外にある深い森の近くには自転車専用道があって、
サイクリングを楽しむ家族連れや、
ドイツ一周を目論む若者たちが自転車を走らせていました。
名古屋では自転車小僧の数も減ってしまいましたが、
ここには自転車青年に限らず、
自転車お父さんも、自転車お母さんもいました。
たとえ魚の住まなくなった川でも、
護岸工事のやりかたや、排水の処理方法次第で
小魚たちが戻ってくるように、
そこでは自転車が有効な交通手段となっていました。
フライブルグを離れる頃には、
原さんは本気でこの街に住みたいとさえ思いました。
そして、名古屋で自転車に乗っている時、
自分がどれだけ不快で、危険な目にあっているかにも、
認めざるを得ませんでした。
 
ドイツでの視察を終えたJCの一行は、
愛知県での万博開催決定の瞬間を見に行くべく、
ヨーロッパ中のお金持ちが集まる国、
モナコ公国へ向かいました。
 
続きます。

2002-07-05-FRI

BACK
戻る