糸井 御手洗さんの書いていた
ブータンについてのブログには、
ウソがないですよね。
つまり、過度にほめすぎず、ありのままを書いている。
あれは、意識してそうしていたんですか。
御手洗 そうですね。
ブータンは日本では「幸せの国」
として知られているかと思いますが、
「幸せの国です!」と加工されてしまったブータンより、
目の前にある現実のブータンの方が、
ずっとおもしろいな、とも思っていました。
いいとか悪いとか言い切れない、
不思議なこと、違和感のあること、
新しいことがたくさんある、生のブータン。
私のツイッターやブログでは、
そういったことをありのままに書いていました。
糸井 あぁー。
御手洗 たとえばクリーニング屋さんに
いちばんお気に入りの黒いセーターを出したら
ちっとも返ってこないんです。
で、お店に催促しに行ったら、
仕事しているあいだにうちに届いたんですけど、
なぜか、左袖が、ない。
ちょうど半そで程度の長さのところで、
袖が、ぱちんとちょんぎれているんです。
糸井 「んもうっ」どころじゃないね(笑)。
御手洗 はい。
それで「こ、これは‥‥!」と思い
クリーニング屋さんに持って行き、
「袖がないんですけど」と怒ったら、
クリーニング屋さんに
「まぁまぁ」とまずなだめられて(笑)。
あれ? この人たちは、
私のセーターの袖を切っちゃったはずなのに、
なぜ怒る私に笑っているのかなぁと思いながら、
それでも、「これ、お気に入りのセーターなんだけど‥‥」
と言うと、
「じゃ、右袖も切ればいいじゃない」と(笑)。
糸井 ははははは、
「んもうっ」の最上級があるんですね。
御手洗 そうなんです。
で、そのままなんにもしないと、
ただ日常生活の中で怒って終わりなんですけど、
このできごとをブログやツイッターで
日本の人たちに対して書こうと思うと、
もう一歩考えることができる。
まず、
「ブータンだと、怒っている私が
 変みたいな状況ですが、これは日本だと、
 怒っていいような場面ですよね」
と確認できるんです。
それから
「ではなぜ、ブータンの人たちは
 謝りもせず、怒っている私をにこにこ見て
 なだめようとしているのだろう」
ということを、考えることができる。
そこから、ブータンの人たちの価値観について考えたり。
糸井 そういうのを読んでいるのが
すごくおもしろかったんです。
御手洗 でも、日本の人はブータンに
いいイメージを持っていらっしゃる方が多いのか、
クリーニング屋さんでセーターの袖が
切れて戻ってきた話を書いても、
「あはは。ブータンはのほほんとしていていいですね」
なんて言うわけですよ。
糸井 「袖がなくなっちゃうんだー」って(笑)。
御手洗 そうそうそう、
「どうやったらちぎれるんでしょうね、ウケる」
みたいなコメントもあって(笑)。
なんだかどっちにも味方がいない感がありました。
糸井 いやいや、ぼくは、
どっちにも味方がいない感についての味方でしたよ。
御手洗 ありがとうございます(笑)。
糸井 ものすごく、それがおもしろかったんです。
社会学者が出かけて行っているわけではないし、
役割としてはブータン側にいらっしゃるし、
でも、日本の人にべつに損させるつもりはないし、
ウソをつくつもりはない。
すべての方向にいちおう気をつかいながら、
ひとりの人間として「んもうっ」って言っている
その怒りが切なくてよかったですよ。
御手洗 そうですか(笑)。
糸井 うん。だって、たとえば
「お風呂に入れない」っていう話でも、
他の国でされるのとブータンでされるのは
また意味合いが違いますよね。
御手洗 そうかもしれません。
糸井 なんだろう、ちょっとね、
ブータンには清浄な匂いがするんです。
スーッと息を吸って
自分を改めたいなと思うようなイメージが。
たとえば、どこか他の国のクリーニング屋に
片袖なくしたって言われたら、
「ちぇっ、なにやっているんだよ」って。
御手洗 たしかに、同じことがインドで起こったり、
日本で起こったりしたら、
それぞれ捉え方も変わってきそうですね。
でも、ブータンだとなんだかのほほんとした、
ちょっと素敵なことのように
感じられてしまうのでしょうか。
ブータン、少しトクしていますよね。
糸井 トクしています。
御手洗 日本に向けて、
日々ブータンのことを発信していると、
それをとても感じました。
あれは、なぜなんでしょうね。
糸井 いや、それがやっぱり
あの国の「人間的魅力」ではないかと。
御手洗 ‥‥すごいですよね、ブータン。
糸井 うん、すごい。
御手洗 ちなみに、
先ほどのクリーニング屋さんの話にはオチがあって。
ブータンの人は、なにか失敗をして相手が怒っていても、
「ごめんなさい」をあまり言わず、
にこにこして「まぁまぁ」なんて言うんです。
友人に聞いたところによると、
彼らの公用語であるゾンカ語では、
「ごめんなさい」という言葉は元々、
「気にしないでね」とか「怒らないでね」
って意味の言葉らしいです。
なるほど、それなら
日本人なら「ごめん」という場で
ブータンの人は「まぁまぁ」と言いながら
怒っている相手をなだめるわけだ、と思いました(笑)。
  (つづきます)


2012-02-29-WED