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atelier shimuraで生きる あたらしいつくり手たち。

今回から2回にわけて、atelier shimuraのなかから、
5人のつくり手のみなさんにお話をきいていきます。
(もっといらっしゃるのですが、代表して。)

取材チームの目には、みなさんがとてもたのしそうに、
まっすぐに、でもきちんと悩みながら、それを解決して、
前にすすんでいるように見えました。
仕事はとても忙しく、「染めていればいい」
「織っていればいい」というものではないようです。
新商品の開発、そのための連携、外部との連絡、
資料をつくったりウェブページをかんがえたり。
洋子さん、昌司さん、宏さんと密にやりとりしながら、
atelier shimuraを立ち上げる現場は、
ほんとうに活気にみちています。
それもそのはず、工房の「弟子」であると同時に、
みんな、atelier shimuraのこれからをしょって立つ
だいじなメンバーでもあるのですから。

さて、インタビューの質問は、
「なぜ、みなさんは、ここにいるのですか?」
というものでした。
出身地も経歴もばらばらなみなさんが、
なぜここにいるんだろうということに、
強く興味があったからです。

また、取材をしていて感じたのですが、
atelier shimuraは洋子さん、昌司さん、
宏さんはもちろんのこと、
みなさんが自分のことばで、自分の考えを、
きちんと伝えてくださいます。
これについて、いちばん先輩の吉水まどかさんに
その秘密を訊いたところ、
どうやら、洋子先生が
日々の(自然な)トレーニングを
してくださっているらしい、とわかりました。

まずはそんなお話から、
いちばん先輩である吉水まどかさんに。
そしてみなさんにも、
「なぜ、ここにいるのですか?」
という質問に答えていただきました。

atelier shimura で生きる
1

吉水まどか(よしみず まどか)さん

工房では「話す」ことを
とても大事にしています。
仕事のことだけではなく、
「あなたはどう思うの?」
という問いかけがいつもあるんです。
とくに洋子先生からですね。
「昨日のニュースは見た?」
「この展覧会見に行った?」‥‥そこに続く言葉は
「あなたはどう思う?」です。

▲右が吉水まどかさん、左はこのあと登場する石山香織さん。

最初は、尊敬する先生方を目の前にして、
わたしの意見なんて
あまりにもつまらないし恥ずかしくて、
畏れ多くて言えないと思い、
「はい、素敵だと思います」とか、
「どうなんでしょうね」なんて、
ありきたりな相槌を返していました。
でも、先生は正解を探したいわけではないし、
立派な答えを求めているのでもない。
ただまっすぐに「あなたはどう思ってるの?」
という問いかけをしてくださっている。
返答には、ちゃんと自分の言葉を出すべきで、
まさしくそのことを求められていたんですね。
これはお客様の前で、
自分のつくった着物や商品を
きちんと説明するときに、
ほんとうに役に立っています。

言葉というのは、ちゃんと自分の手を動かすことで
出てくるものだと思っています。
一所懸命好きなことで手を動かしていると、
体も反応してくれて、言葉が出てくるんですね。
たとえばふくみ先生のご本を最初に読んだとき、
「そうか、色は草木を”染める”のではなく
草木から“いただく”ものなんだ!」
など、強い感動がありました。
けれども、実際に自分の手で染めてみたときに、
はじめて「そうか」って、心で納得したんです。
「いままでは、頭でしかわかってなかった」と。
そういうことって、いっぱいあるんですよ。
そのたびにガツンと頭を打たれたような気分になります。

▲クチナシで糸を染めている様子。

▲一染(いっせん)、二染と染めていくうちに、染液の色が糸のほうへ移って、薄くなっていきます。

そういうとき、工房で話をします。
工房で一緒にいる仲間は、
同じようなところで頭を打っているので、
理解しあえるのでしょうね。
もし壁に当たって苦しかったらそれを隠さずに
「わたし、苦しいんです」と言えばいい。
みんなで喋れば解決の糸口はみつかります。
もちろん、乗り越えるのは自分しかいませんが、
乗り越えるきっかけにはなります。
苦しいと言ったとき、
「そうか」と、
受け止めてくれる器がここにはある。
そのことがわかっているから、
わたしたちは「次」に進むことが
出来ているのだと思います。
▲ふくみさん・洋子さんの作家工房である都機工房のみなさん。いつもキビキビとお仕事をされながらも、にこやかな笑顔で迎えてくださいます。
わたしはアルスシムラの1期生です。
1年コースを卒業した後、
ふくみ先生と洋子先生のいらっしゃる
都機(つき)工房に来て、3年目に入りました。
今回、atelier shimuraを立ち上げるにあたり、
ストールをはじめとしたいろいろな商品に
かかわっています。

アルスシムラに入ったきっかけは、
8年ほど前にさかのぼります。
姉が福島県に住んでいて、
福島県立美術館で、
ふくみ先生と伊砂利彦さんという
型絵染めの作家さんが二人展をなさったんです。
姉から「たぶんまどかは志村ふくみさんが
好きだと思うから、見に来たら?」
と声を掛けてくれました。
わたしはそのとき「志村ふくみ」先生というのは、
教科書にも載っているあの方だわ、
という認識だけで、深いことは知らずにいました。

福島県立美術館は、
中央に立つとふくみ先生の着物に囲まれるという、
ストンと周りが見渡せる展示会場でした。
中央に立った瞬間、足が動かなくなって、
「これはいったい何なんだろう?」と。
いま目をつぶったら、
生き物に囲まれてると思うほど、
1つひとつの作品に存在感がありました。
「これは着物じゃない」と思いました。
「モノ」ではないと思ったんですよ。
▲自然界に溢れている緑色ですが、植物からは染め出すことができないのだそうです。
工房には、藍と刈安をかけあわせて染め上げた美しい緑色の絹糸が大切に保存されていました。
わからないんですよ。ほんとうにわからない。
いったい、この志村ふくみさんという方は、
どういう生き方をされていて、
どういうふうに染めて、どういうふうに織ったら、
こういう命ある存在を生み出すことができるんだろう。
近くに行って学びたいと強く思ったんです。
かと言って、どういうふうに行けばいいのか
さっぱりわかりませんでした。

奈良で生まれたわたしは、
学生の頃から京都で、
その頃も京都で仕事をしていました。
いたずらに日にちだけが経っていき、
あるときにふくみ先生と洋子先生が
特集されていた
『BEBE』という雑誌の創刊号を取り寄せました。
そこに「JUJU展」という
展覧会のDMが同封されていました。
2012年6月のことです。
これは、震災の後、震災を受けた人たちの
何かにすがりたい気持ちをくんで、
手のなかにおさまるものがあったらと、
JUJU(壽壽)というお守りを
お二人の先生が作られたんですね。
ふくみ先生のお着物を
美術館で見ることはあっても、
小物や、ちいさな展示会はめずらしいのではと、
訪ねました。
するといきなりお着物を着たふくみ先生が
立っておられて‥‥、あまりにも緊張して、
わたし、びっくりして帰っちゃったんです。

▲工房の入り口に吊るされていた、乾燥させたクチナシ。

話しかけたいけれど、
あまりにも緊張して話しかけられなかった。
わたしはあんなに目の前にあった
大チャンスを逃してしまった‥‥、
そんな後悔で、もうどうしようもなくなり、
姉に電話して、
一生のお願いだから来てくれと頼みました。
するとそのとき兵庫に移っていた姉は、
3歳の姪っ子と
来てくれたんですね。
姪っ子は移動中に寝てしまい、
姉と交代して抱っこして
会場に向かいました。
姪っ子の眠る姿を見てすこし落ち着き、
いっしょに会場に入ると、
そこにはふくみ先生だけじゃなく、
洋子先生もいらっしゃいました。

それで、勇気をふり絞って、洋子先生に、
すごく興味があることを伝えたんです。
「学びたいと思っている」と。
すると洋子先生は、
翌年の4月に学校を開校しようと思っている、
と教えてくださいました。
もうこれは行くしかないと思い、
迷いなく応募して、仕事も辞め、
アルスシムラに入りました。
迷いは一切ありませんでした。

石山香織(いしやま かおり)さん

TOBICHIで機織り体験をしたのが
2014年の12月、
それが「はじめての機織り体験」でした。
そうなんです、それまで
触ったこともなかったんですよ!
そして翌年4月からアルスシムラに入り1年学び、
ことし4月からatelier shimuraに参加しています。

▲中央が石山香織さん。左は次回登場する佐藤奈生さんです。

きっかけは、テレビでした。
学校に入る1年前だったかな、
12月の『日曜美術館』の再放送を見たんです。

当時わたしは、2年間、夫の転勤で
スイスに1年、フランスに1年住み、
帰国をしたばかりでした。
仕事を辞めて行ったこともあり、
その2年間は、新しい生活をしながら、
内面のことや、
今自分に起こっていること、
そういうことに向き合った時間でした。
ヨーロッパと日本は、時間の流れ方が違うので、
夫の働き方や、日々の雰囲気を見ていて、
正直な気持ちは「日本に帰るのが不安」
ということでした。

けれども12月に帰国をして、『日曜美術館』で
ふくみ先生の特集を見たとき、
「なんて日本って素晴らしいんだろう」と、
すぐにそう思えました。
わたしはある一面だけ見ていたけれども、
そうじゃない、もともとにあったものの美しさ、
素晴らしさに出会えた感じだったんです。

▲工房で制作にはげむ石山さん。

それからは、図書館で作品集や
著作を読みつづけました。すると、
海外での2年間、
自分のことに向きあってきたからでしょうか、
スーッと入ってきたんです。
「わかる」なんて言ったらいけないですけど、
染み込むように入ってきたんです。

アルスシムラに通いたいと思いましたが、
わたしは東京にいましたし、
結婚はしていますし、まあ無理だろうなと。
けれどもワークショップに参加すると、
もっと深く知りたくなる。
しかも、ふくみ先生と染織に興味が湧いてからは、
本、テレビ、作品を見ているなかで、
自分の興味があることが、
どんどん「つながる」感じがしていました。
その時の自分、それまでの自分と、
その世界がすごいつながる感じがしたんです。
こんなにも惹かれるものがあるのに、
行かないわけにはいかない‥‥そう思いました。

▲藍甕がある部屋の壁には、月の満ち欠けをあらわすカレンダーが。
新月のときに藍をしこみ、満月のときが一番きれいに染まるそうです。

いまも夫は東京におります。
説得‥‥ではないです。
むしろ、わたしは無理だと思っていたんですね。
京都ですし。
「でも、いいよなあ、行きたいなあ、
でも、無理だなあ‥‥」って言っていたら、
夫がこう言ったんです。

「あ、それで諦めるような感じなんだね?」

そこでわたしは「エッ?」と思い、
自分の本気と向かい合うことになったんです。
ほんとうに行きたいのか、
自分のなかでもう1回整理して、
やっぱり行きたいと結論を出して、
京都に1人で引っ越しました。

越してすぐの頃は、京都というものの凄さを
とにかく吸収しようと思い、
時間をみつけては美術館、博物館、お寺、
回っていたんですけれど、
あるときふと「‥‥あれ? 何も入ってこない」
と思ったんです。
何も沁み込まなくなっていた。
だから「ゆっくり」に方針を変えました。
大事に大事に見て、ちゃんと考える。
そうしないと通り過ぎていくだけで、
とてももったいないと思います。
それくらい京都って凄いところです。

1年で学校を終えて、最初は、
もちろん帰ろうと思っていました。
でも、帰りませんでした。
そうして今、わたしはここにいます。

(次回につづきます。)

2016-10-27-THU

Photo: Hiroyuki Oe, Chihaya Kaminokawa