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志村洋子さん+志村昌司さん あたらしい道をつくる仕事。

atelier shimura(アトリエシムラ)の
代表である志村昌司さんと、
染織家の志村洋子さんにお話を聞きました。
atelier shimuraとは何なのか。
それより先につくられた芸術学校アルスシムラとは?
そして染織にかける「思い」について、
とても深い話が続きます。
洋子さんは昌司さんの母親、つまり
志村ふくみさんは昌司さんのおばあさんにあたります。
さらにその母親である
「小野豊(とよ)」さんのこともふくめ、
話は、家族の歴史にまでひろがっていきました。
なお、洋子さんについては、以前「ほぼ日」に掲載した
このプロフィールを、どうぞ。

志村洋子さん+志村昌司さん3

伝えたいことがあるから、作品をつくる。

昌司
「道」って言葉があるじゃないですか、
茶道とか、武道とか。
その「道」っていう言葉は
どういうことかっていうことを考えるんですけど、
学校っていうのは、基本的に知る場ですよね、学ぶ場。
で、知るっていうことはもちろん大事なんですけど、
知った後にどうするかっていう問題がある。
いろんなことを知ったけれども、
自分の生き方は変わらないよっていうのは、
ほんとうに知ったことになるのか?
それは情報として知るっていうことであって、
もっと深い意味での知るっていうことでは
ないんじゃないか? そう思うんですよ。
もしも深い意味での「知る」、
あるいは「学ぶ」っていうことが起きたときには、
たぶん自分の生き方とか行動が
変わってくるじゃないですか、やっぱり。

アルスシムラがこうやって教育の場としてあって、
皆さん、染織の意義とか、
自然と人間の関係とかを学んだ次のステップとして、
それを実際に自分の生活に落とし込んで、
自分もそのように生きていくっていう、
それが「道」なんですよね。

「茶道」の「道」というのは、単に知るだけじゃなくて、
それを実際に生き方として実践していく場ですよね。
日々の生活のなかにあるもの。
それで初めて、「知る」っていう行為が
完結していくっていうふうに思うんです。

▲この写真を撮ったのは6月、もう暑い日でした。
材料をさがして、煮出して、染めていきます。
お湯の温度は約80℃。大変な作業です。

うちの場合だと、一応教育の場を作ったけれど、
次に、その教育したことを実践していく場っていうのが、
たぶんatelier shimuraっていう「道」なんです。
「染織道」という言葉はありませんが、
「道」としてそういうのがあって、
実際にそれを仕事として成立させようと思うと、
芸術的な活動以外に、その経済的な活動を
両方考えないと結局いけなくなります。

矛盾だと思うのは、
手仕事で2カ月ぐらいかかって着物1反織っても、
上代が20万とか10万では絶対生活できないんです。
でも、20万とか、10万で売ってる人が
いっぱいいるんです、草木染の作家で。
仕事としては成立してなくて、
食べられてないんですよ、すでに。
まあ材料費だけ稼げればいいっていう世界ですよね。
最低やっぱり50万ぐらいでないと、
材料費プラス自分のふた月の人件費が出ないんですが、
けれど、その2カ月時間かかって作りました、
っていうことに対して、
市場がそれだけの評価をしてくれない。
ただ手仕事だからといって、
50万出す人はなかなかいません。
「これだったら50万出してもいいわ」
っていうふうに思ってくれないと、
独りよがりになっちゃうじゃないですか。
そこがひじょうに厳しい世界というか。
そこをどう伝えるか。
そこがぼくは経済を通じた社会改革っていうか、
正当なものには正当なお金を出す、
安ければいいっていうふうに思わないような
社会になってくれれば、
もっと手仕事をする人は増えると思うんです。
そこがいちばん難しいと思っています。

▲学校では1年をかけて帯1本、着物を1枚織り上げます。

簡単に言うと、上代がこれだけかかるんですっていうことを
理解してほしいってことですね。
そのかわり、こっちもいいものを作らないと。
ただ手仕事だ、じゃなくて、
美しいものを作らないといけない。
atelier shimuraの着物って、
65万から75万ぐらいで設定しようと思ってるんですけど、
これ、ほんとギリギリなんですよね、ある意味では。

ほぼ日
ですね、ギリギリ‥‥おそらく「安い」んですよね。
昌司
作家の着物は車一台くらいの価値なので(笑)、
半額なんですよね、
作家物も、あの細かい柄は何カ月もかかってますから。
洋子
でも、時間をかけたからといって、
それは高い値段で売ってもいいっていうこととは、
ちょっと違うと思ってます。

いまの着物を着ない時代に、
無理やり着物を作って売るわけです。
何で着物を作って、また販売するのかっていう、
その大問題がまずありますよね。
今この私もこうやって着物を着ていません。
現代生活にやっぱり合ってはいないんですよ。
着物っていうのは、特別の時に特別な気持ちにさせる、
要するに、非日常的な何かなんですよね。
それが、いま日本人にとって、逆に大事で、
その非日常を買ってるんです。

この間、TOBICHIさんで買ってくださった方は、
非日常と、うちの織り手との人間同士の交流と、
一緒にセットにして、夢を買ってくださった。
で、現実にこれがどうとかっていうことじゃなくて、
やっぱり出会いの夢を
買ってらっしゃるんだと思うんですよ。
その期待に絶対添わなきゃいけないし、
続いていかなければいけないんですけれども、
現実は絶対見なければいけないっていうのは、
着物のこの業界があまりにもある意味、
無意識で今日ここまで来たということです。
‥‥作ったら売れていたんですよ、
高級呉服ということで。
でもいっぽうでファッション界は、
ほんとうに新しいものを自分たちでつくり、
日本に根差すためにひじょうに努力をした。
頭のいい、おしゃれなセンスのあるとても優秀な人たちが
その業界でしのぎを削った。
だからいまのファッション界があるんです。
着物は、ほんとうにある意味、怠けています。
正倉院文様、東大寺文様、法隆寺文様、
世界に冠たる着物の柄があるんですが、
ずっとそれを作ってきたんですね。
能衣装は、あれ以上のものは世界中
どこに探してもないぐらいのレベルまで行っていた。
飛鳥から奈良時代にかけて、
東大寺とか正倉院に納められてるものも世界の宝で、
あれ以上の染織品っていうのは、
どんなにしたって人類がつくるのは無理です、
そういうものが、日本にあるんですね。
その織りと柄があまりにもいいので、
それを再現することで安心していたんです。
一朝一夕では、この文化っていうのは変わりようがない。
すご過ぎるんですね。

そのなかで、うちの母は、紬織りということで、
新しい芸術の分野を織物の世界のなかで作りました。
だから、ここだけがアート、現代。
母はたぶん本当だったら、人間国宝になるような、
そういうタイプではないんですよ。
だってアートですもの。
古いものを復元するものでは全然ないの。
昌司
たしかに、人間国宝というのは重要無形文化財ですから、
昔からの伝統技術をずっと継承していってる人を
国として保護しましょうということですものね。
洋子
母のつくるものはもっとラディカルなものです。

▲これは秋口にあつめた「臭木」(クサギ)の実。
きれいなヒスイ色が出ます。
植物のいのちをいただき、感性をつかって創造していきます。

昌司
作品のデザイン性もそうだと思うんですけれど、
今うちの着物とか染織に関心を持ってる方っていうのは、
もともと着物が好きだったという人ばかりじゃなく、
むしろ志村ふくみのエッセイとか、
その考え方に共感して学校に来て、
そこから着物を買ってくださる方が圧倒的に多いんです。

自然と人間との交流の仕方っていうことを
非常に細やかに、ポエティックに書いたエッセイや、
あるいは実体験としての染織を通じて、
実際に自然と交流するのはこういうことなんだ、
っていうことがわかるっていうことは、
とても大きいことであると思うんです。

そして、「つなぎ糸」(織る工程で切り落とした部分を
捨てずに、丁寧に結んで1本にした糸)とか
クズ繭、残滓、「つむぎ糸」
(繭から直接とった生糸に対し、
残った繭くずなどからつくる糸)もそうだし、
価値が低いと思われているものが
価値の転換で芸術的にまでなっていく、
昇華していく過程がある。
そこがすごく心を打つっていうか、
捨てるようなものがじつはすばらしい
工芸品になっていくっていうことですよね。

▲あまり糸を1本1本つなぎあわせた「つなぎ糸」。
ふくみ先生は、このつなぎ糸で着物を織ったことも。

そこがたぶん芸術の役割のひとつだと思います。
社会で全く価値がないと思われていたり、
こんなんほかそ(捨てよう)か、みたいに思ってるものが
ほんとうに価値のあるものだっていうことを
わからせてくれたことが、志村ふくみの功績として
大きいんじゃないかなと思うんですよね。
そこをなんとか隠れたメッセージとして伝えたい。

芸術とは何かっていう問題を、
アートディレクターの葛西薫さんのスタッフのかたも
よく考えるそうです。
もういろんなものがアートと呼ばれ、
ありとあらゆるものがもうアートな何とかとか、
デザイン化された思考とか、
そういうふうに言われてるけれど、
いったいアートとは何なのか、
芸術とは何なのかということをよく考えると。

ぼくは、芸術というのは、
やっぱりまず自分のなかに
何か伝えたいものがないとダメなんじゃないかな、
と思うんですね。

うちの祖母にも、
伝えたいことがいっぱいあるんですよ。
つくらないといけないから考えるんじゃなくて、
伝えたいことがあるから作品をつくるっていう、
順番がそっちだと思うんですよ。

染織っていう技術は
ひとつのコミュニケートの手段でもあると思うんです。
これはイスラム教学者で思想家の井筒俊彦さんが
言ってることなんですけど、
漢字の「言葉」とカタカナの「コトバ」があり、
漢字の「言葉」はいわゆる言語で、
その伝えたい内容そのものを
カタカナの「コトバ」っていうふうに分け、
ぼくたちが大事にしないといけないのは、
そのカタカナの「コトバ」であると。

つまり、伝えたい内容というのを
どう伝達するかっていうことが大事で、
べつに言葉に限らなくても、
音楽でもいいし、絵画でもいいし、
いろんな媒体はあるにせよ、
そのカタカナの「コトバ」を相手に伝えることが
コミュニケーションなんだっていう話なんですね。

だから、結局アルスシムラに1年間、
あるいは2年間やりましたといっても、
その後、必ず染織しないといけないかっていうと、
そうじゃないんです。
ここで学ぶことは染織の技術もありますけど、
もう少し深い自然観とか考え方とかいうものもあるわけで、
それを今後どうして活かしていくかっていうのは、
べつにその手段はいろんな方法があるわけですね。
ただカタカナの「コトバ」、
伝えたいことが大事なわけです。
だからそこがないと、いくら伝達手段の勉強したって、
それは伝えたいことがないのに
英語を勉強してもしょうがないって話と一緒です。

▲自分が織りたいもの、表現したいもの、
それぞれの想いをこめて染められた糸。

たぶん今の芸術の世界でも、
まずこの社会に何を伝えたいのか、
それがあってこその芸術かなって思うんですよ、
たとえば野田秀樹さんの『エッグ』という演劇は
けっこう際際(きわきわ)まで行っている。
ああいうふうな芸術表現っていうのは
やっぱりあるんじゃないかな。
洋子
そうですよね。「コトバ」って、
ただ記号的に伝える伝達手段ではなくて、
その「コトバ」に命がある。
うちの弟子たちには、きちんと話ができるように、
いつもその訓練をしているんですよ。
朝会の時とかに、何か自分が思ったり考えたり、
感じていることを、どうにかしてコトバで表わす。
しかもそれが伝達だけではなくて、
自分の心がそこにこもらないと
命のあるコトバにはならないので、
そういうことの訓練です。
うちは必ずコトバに置き換える訓練を学校でもやるんです。
いま、しゃべれない子、多いでしょう?

▲ふだんの何気ない会話の中でも、洋子さんはたくさんの質問を
皆さんにするのだそう。

ほぼ日
それなりにサラリーマンをやってきた人は、
紋切型で覚えている言葉だったり、
この時にはこういうふうな返しをしたほうがいいとか、
こういうふうな役割をここでやったほうがいいんだ、
それが最適解だと思って、
何も考えずに言葉を出せてしまうんだと思います。
壁を作っていたり、鎧を着ていたりする。
ほんとうの自分はそこから何かずれてるとか、
違うと思っても言えなくてっていうのは、
きっと体が付いてってないだけで、
時間をかけて訓練をし直すしかないんだと思います。

▲工房の皆さん、お昼は当番制でつくって、
おなじ釜の飯を食べているんです。

(つづきます)

2016-10-19-WED

Photo: Hiroyuki Oe, Chihaya Kaminokawa