From: 渡辺 謙
To: 糸井 重里
Subject: 隣人

ベンチ、良いですねえ・・・。
ベンチですよ、きっと。
そんな風に横にいたらきっと楽でしょうね。
話さなくても良いし、話しても良い。
一緒に弁当食っても、ちょっとこれ頂戴とか言えるし。
知らない人でも、端と端なら窮屈じゃないし・・・。
そんな風にイメージしながら人と付き合ったら楽でしょうね。

何を隠そう、今年の自分のテーマは
「向き合う」にしちゃったんです。
なんの考えも無く、ただ、
きちんと向き合ってみようって思ったんです。
人とも、物とも、場所とも、時間とも・・・。
でも、良く考えてみると自分から
「向き合おうよ」って押し付けるのは
ちょっと窮屈かもしれませんね。
前言撤回! 「隣り合う」にします。
「寄り添う」っていうのも暑っ苦しいっすもんね。
はや、3月にして年間キャンペーンのテーマ変更です。
朝令暮改も良いとこです。
でも、この身の代わりの早さが
今の僕を形成しているのかも知れません・・・。

俳優という仕事は変な仕事です。
(というか、今僕はあまり仕事って意識がなくなってます)
これを生業としているのですから、仕事には違いないのですが、
最近、少しやばいところに入り込んでいて、
それぞれ時代やキャラクターが違うのに、
演っていくと、自分なのか役なのか、
かなり混じり合うことが続いています。
自分の拙い想像力と肉体を使って仕事をしているのですから、
おのずから限界・・・・・あります。
答えが見つからないんです。今日に答えがないように。
その困惑を見ていただいて、お足を頂いているのですから、
何だか、自慢できるものじゃありませんよね・・・。
必死で答えを考えている受験生に
「仕事」を語ってくださいっていうのとおんなじかな。

先日投げかけられたことについて、一考してみました。
「外国」というものについてです。
言葉の壁、習慣の壁、価値観の壁・・・ありますよねえ、
困ったもんです。
僕も「ラストサムライ」以前は、まったくどうやったって、
自分は演技で意思を伝えられるなんて
思ってませんでした・・・本当にです。
何故越えられたのか? 本当のところは分かりません。
でも、今なら少しだけ言えることがあります。
国が違おうが、お互いに「生きている」ことに
違いは無いからですかね。
言葉や習慣、価値観というのは、
後で形づくられたものですよね。
でも、やりとりするのは同じ人間で、
食って、寝て、愛して、憎んで、そして消えていく。
痛みや寒さを感じる皮膚は違っても、とにかく感じるんです。
美味いか不味いかは、それぞれだけど、
とにかく食ってみりゃあいいんです。
そんな感じで、この何年かを過ごしています。
そういう意味でも、ようやく外国人とベンチで隣同士になるのが、
窮屈だったり面倒くさくなくなった気がしています。

日本の中でも逆に、
同じように仕事をするようになったのかも知れません。
これ、分かってもらえるよな・・・という風に
考えなくなったのです。
きちんと隣に座って話さないと、分かり合えない、
そんな気がするのです。
だから、精神はほとんど変わっていないのに、目線が変わった、
そんな感じです。
だって、ご存知かどうか・・・
バットマン・ビギンズという作品を除いて、
僕が外国で演った役全部、日本人なんですよ。
何にも今までと変わったことする必要がないんですよ。
あちゃあ、つらつら書いているうちに
何だか、手品の種を話しているようですね。
明日から仕事がなくなったらどうしよう。

あんまりボロが出ないうちに、今夜は退出します。
変な時間に目が覚めたのは、
夕べ11時半ごろ停電になってしまい、
真っ暗なので、本も読めず寝てしまいました。
夜中の3時過ぎ、復旧して
(もっと早かったかもしれませんが・・・)
電気がこうこうとついてしまい、
起こされちまったというわけです。
ですから、お気遣い無く。
ではまた。

渡辺 謙

2006-04-10-MON



(C) 2006 Hobo Nikkan Itoi Shinbun