OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.175
- The CATS of MIIRIKITANI 1


ある路上アーティストの人生とは‥‥、
──『ミリキタニの猫』その1



© lucid dreaming inc.
ユーロスペース他にて全国順次ロードショー


□Make Art, No War! (by Mirikitani)

戦後60年という時間‥‥。
いったいどんな時間だったのだろう。

日系2世のジミー・ツトム・ミリキタニは、
アメリカで、たったひとりで闘ってきた。
ドキュメンタリー映画『ミリキタニの猫』は、
波乱に満ちたミリキタニの人生の歳月が、
74分という映画の短い時間のなかで、
一気に私の身体のなかを駆け抜けていく、
そんな感覚を覚えました。

1920年生まれ、87歳の、
ひとりの絵描きの孤独と怒りと反骨精神。
たとえ路上生活に陥ろうとも捨てなかった、
アーティスト魂と日系人としての誇りが、
そして猫が、ずっとずっと、彼を支えてきたのだろう‥‥。

さらに強い印象を残したのは、
妙齢の女性ドキュメンタリー映像監督が、
ホームレスの老アーティストを家に招き入れて同居、
彼の社会保障番号を探し、老人ホームへ入れる世話をし、
60年間生き別れになっていた彼のお姉さんを探し、
そして、この映画を作ってしまったこと。
その行動原理。
なにが彼女をそうさせたのか、不安はなかったのだろうか。
それがとても聞きたくて、監督に会いに行きました。

「戦争」「アメリカの歴史」そして「9.11」。
これがキーワードのようです。

ところで「ミリキタニ」は、漢字で「三力谷」。
カリフォルニア生まれ、広島育ちの日系2世。
18歳で入隊を避けてアメリカに戻るのですが、
日系人強制収容所に収容され、
故郷、広島の家族は原爆で失ってしまう。
収容所で出逢った少年に(その後亡くなった)、
「にいちゃん、にいちゃん、日本の猫の絵を描いて」
とリクエストされて描きはじめた猫。
芸術活動を始めようと流れついたニューヨーク。
訓練を受けて料理人になり、
そのときにジャクソン・ポロックにも出逢っている。

その後、仕事も住む場所も失い、
路上生活をしながら絵を描いているとき、
ハッテンドーフ監督に出逢い、9.11が起こる‥‥。

さらに詳しいことは、こちらでチェックしてください。


リンダ・ハッテンドーフ監督

─── 最初、ミリキタニさんに街で出逢い、
    彼をビデオで撮りはじめ、
    9.11が起き、同居した‥‥、
    ということですが、どの時点で、これが
    「映画になる」と思いはじめたのでしょうか。


リンダ この映画はどんどん変化しつづけました。
    最初にジミーに逢ったとき、
    私に猫の絵をくれて、
    写真を撮ってくれといいました。
    翌日ビデオカメラを持って行くと、
    ビデオの前でポーズをとるので、
    「これはトーキングピクチャーだから、
     何かしゃべってください」と言ったら、
    いろんな話がどんどん出てくるので、
    彼のところへ通うようになりました。

    ビデオカメラを向けると彼はよくしゃべるんです。
    だんだん彼のことがわかってきて、
    なにか重要な話を持っている、
    保存すべき話を持っているとわかってきたのです。
    当初は「路上アーティストの四季」みたいな
    テーマで撮ろうと思っていたのですが、
    話を聞くうちに、
    この人は大切な歴史的な背景を持っている
    ということに気がついたんです。

    すると9.11が起こって、
    路上で咳き込んでいる彼を見かねて、
    私が自宅へ招き入れて、
    また全然違う流れになっていきましたね。
    でもとりあえず撮影は続けていきました。
    とてもオーガニックな結果として
    こういう映画ができたのです。


─── 映画はとても抑制された作りで、
    お姉さんとの再会のシーンもさりげないですね。
    映像の取捨選択はどうやったのでしょうか。


リンダ 優れた編集者の出口景子さんと、
    共同プロデューサーのマサ・ヨシカワさん、
    それとアドバイザーチームがいます。
    彼らがシーンの選択について、
    アドバイスをくれました。
    私は1年間、200時間以上の撮影をしました。

    いずれにしても、
    私にとっていちばん大切なことは、
    観客が歴史について考えるのではなくて、
    こういうことがあったと“感じて”もらうこと。
    頭ではなく“ハートで”しっかり感じて
    もらえる映画にすることでした。


─── まるで孫娘とおじいさんのように、
    ジミーさんと一緒に暮らすことになって、
    ドキュメンタリーとしての客観性を保つのに
    苦労したということはありますか。


リンダ 観察者としてのラインを越えてしまって、
    アバター(登場人物)になってしまったことは
    ありますが、ただ、私たちが映画を作るのは、
    彼を気にかけているからだと思うし、
    正直であることが大切だと思いました。
    たとえば、家に招き入れたということを
    隠して映画を作ることもできましたが、
    それでは正直でなくなりますから、
    そのままを観てもらおうと思いました。

    加えて、プロデューサー、編集者、
    アドバイザーチームもいたので、
    彼らは少し距離を置いて、
    私のことを登場人物として見てくれて、
    すごく助けてくれました。


─── ジミーさんが監督に出逢ってから、
    とても変っていったわけですが、
    監督が変化したことはありましたか。


リンダ まず、私がいま日本にいること自体、
    エキサイティングな大きな変化といえます(笑)。
    映画を持って世界中行きましたし、
    いろんな人に会うことができました。
    平和ということを大切に思っている人、
    戦争というのは過去の遺物にしてしまおうと
    思っている人がたくさんいることがわかって、
    そのことが私に希望を与えてくれました。
    またジミーによって、これまで知らなかった
    アメリカの歴史を知ることができました。


─── 今回、ジミーさんと広島へ行かれましたが、
    どんな感想を持たれましたか。


リンダ ひじょう強力な経験でした。
    言葉にするのが難しいですね。
    だから、ジミーは絵を描いて、
    自分の感情を表現しているのだと思います。
    いちばん感心したのは、
    これほど深く大きな悲劇から、
    アクティブな平和運動が生まれたということは、
    力強さを感じ、世界へのすばらしい例として、
    見せることができると思っています。
    広島で平和への誓いを子供が読み上げてくれた
    ものに感動しました。
    それはだいたいこんなことが書いてあります。

    「平和な世界を作りあげるには、
     おたがいに親切で、やさしく、
     力強さをもたなければいけない。
     文化や歴史の違いを乗り越えて、
     おたがいの考え方や感じ方を
     理解することが必要である」


     つづく。

ふと、イランのジャファリ・パナヒ監督の、
「地球上、どこに生まれても、どこに住んでも
 みんな人間なのです。」という言葉が、
よみがえりました。

“人間として”同じではないか。
路上アーティストの自立を支援した、
リンダ・ハッテンドーフ監督のなかには、
「助ける」という気持ちよりも、
「すべてはひとつで、つながっている」という
もっと大きな精神が生きているような気がします。


舞台挨拶で猫の絵を披露するジミーさんと監督

なによりジミーのキャラクターが楽しいです。
孤高のアーティスト、ミリキタニ画伯の絵は、
頑固な性格とはウラハラに、
とても繊細でやさしくユーモラス。
ハッテンドーフ監督は、そんな絵と性格にも
きっと惹かれてジミーに話しかけたのでしょう。
居候なのに、帰りの遅いリンダを心配して怒ってる
ホンモノのおじいちゃんみたいだし。
(そして歌が得意!)

さて、次回は『ミリキタニの猫』の後編です。
リンダ・ハッテンドーフ監督に、
「ジミーをなぜ信じることができたのか」
「9.11は、監督の何を変えたのか」
そんな質問をしてみたいと思います。

お楽しみに。


© lucid dreaming inc.

『ミリキタニの猫』


Special thanks to director Linda Hattendorf
and Astaire. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

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2007-09-12-WED

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