OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.164
- Un Couple Parfait 2


男と女のものがたり‥‥
──『不完全なふたり』その2



新宿武蔵野館ほかにて公開中 / 写真:諏訪監督提供

□パリで撮るということ

諏訪敦彦監督の第2回です。

諏訪監督の作品に、なんて、
パリという街が似合うのだろう‥‥。
「即興」という難しい演技が要求されるなか、
ほんとうの意味で、
オトナの振る舞いが必要であるとき、哀しいかな、
ジャパンでは越えられないものがあるのではないかと。
ジャパニーズガールとしては残念だけど、思います。

ちょっとしたしぐさ、バーテンダーとのやりとり、
お酒の飲み方、パーティでの会話、
何気ない挨拶や、愛情の表現‥‥、
ひとつひとつの振る舞いの成熟度が
この映画にはとても大切な気がしました。
そしてパリという、成熟した街も。

では「パリで撮るということ」から伺います。

── この映画における“パリ”というのは、
   大きなことではないかと私には感じられて、
   プラス、キャストがすべてヨーロッパ人であると。
   歴史や文化や習慣とかがぜんぶ染み込んでて、
   空気や路ゆく人々も含めて、
   その中の1コマを撮るということが、
   すごく意味があったのではないかと。
   こんなにパーソナルな夫婦のお話なんだけど、
   そう感じました。

   「なぜパリで撮ったのですか」
   なんて質問は聞かれ過ぎてるとは思うんですが、
   ロケーションについて、
   何か思うところがあったのでしょうか。


諏訪 どこからお話すればいいのかなあ(笑)。
   すごく現実的に言うと、
   「次の映画をパリで撮ってみたらどうだろうか」
   っていうふうに考えて始まったことでは
   なかったんです。
   2002年から1年間パリに住んでいたのもあって、
   向こうの映画人との関係が深まって、
   「何かやろうよ」というふうな感じで
   始まったんです。
   すると自然にパリで撮ることになる、というね。

   低予算でシンプルな映画を撮ろうと
   いうことで始まったのですが、
   そうすると遠くへロケに行くわけにもいかないし、
   いちばん近くのパリで撮ろうか、というような
   どちらかというとそういう現実的な流れのなかで、
   パリというのが選ばれていったんですよね。
   だから自分にとって特別な選択というのでは
   なかったですね。

   ただやっぱり、東京で撮るのとは違う、
   という面は、確かにあるでしょうね。
   ヌーヴェルヴァーグの映画を
   大学のときに観たことを思い出すと、
   たとえば『勝手にしやがれ』で、
   シャンゼリゼを、J. P. ベルモンドと
   J. セバーグが街を歩いていると、
   路ゆく人がふと、
   カメラを見たりするわけですよね。
   そういう体験をすごく鮮明に覚えていて、
   「フィクションだけどドキュメンタリーだ」
   みたいな、街というのはフィクションの背景、
   舞台でありながら、そこに映っている「街」
   なんだということを、映画の中で感じた“瞬間”
   というのは、何度かあるわけです。
   その空間の中に、フッと、
   風が吹いてくるような感じなんです。

   それまでアメリカ映画ばかり観てましたから、
   コントロールされたスタジオシステムで、
   ロケーションするにしても、
   コントロールされて破綻がないものなんだけど、
   その当時のヌーヴェルヴァーグの映画は、
   穴ぼこだらけなんですね。
   演じてる後ろで人が振り返ったり、
   カメラを見たりするわけですよね。
   路ゆく人たちが本当に映っているんだという、
   ドキュメンタリーとフィクションが共存
   しているような映像というのを初めて体験して、
   ショックというか、そこで“目が開けた”
   みたいなところがあって、
   「あ〜映画ってこういうものじゃないか」
   っていうことがあったんですね。

   だからパリの街というのは、
   「舞台装置」であると同時に「現実」
   という二重性をつねに持っている。
   街並みもクラシックに飾られていて、
   洗濯物を干してはいけないとか、
   いろんな規制があって、
   美観を損ねないように配慮されて
   舞台装置のようなんですが、
   しかし現実であるという二重性、というのが
   パリの街なのかもしれないですね。


── なぜか生活感が出ていないというか、
   パリはやはり美しい街です。


諏訪 じつは汚いところあるんですけどね(笑)。

── それをなんとか避けて映してたとか?

諏訪 いや、そんなことないですよ。
   たとえば『パリ・ジュテーム』を観ても、
   きれいなところは、むしろあまり出てこないで、
   パリのいろんな側面が出てますよね。
   非パリ的なところも含めて。
   そういう多様な顔を持ってますね。


── 移民文化も大きくなってきました。
   私は、ベルビルという街も好きなんです。


諏訪 よく行きますよ。

── あそこのカフェもいいんです。

諏訪 ベルビルのカフェはパリっぽくないですよね。
   アラブ系、アフリカ系、中国系も多いし。


── そう、そう。多国籍ですよね。
   でもパリとその外国文化が混ざり合うことで、
   違うものになるところがおもしろかったり。


諏訪 それと、映画においてもフランスは、
   いろんなものを受け入れてくれる。
   外国人の、日本人である僕が、ひとりで、
   監督として、向こうのキャスト、スタッフと、
   一緒に撮るということを、
   わりと違和感なく受け入れてくれる。
   映画もいろんなものがあっていい、というか、
   そういう懐の広さというのはありますね。

   積極的にいろんな国の映画を支援したりとかも
   やっているし、そういう意味では、
   映画を産みだした国、
   映画が生まれた国としての自覚を、
   誇りを持って映画文化を支えていこう
   という意志を、はっきり感じますよね。


── 『不完全なふたり』は、
   ロカルノ国際映画祭で、審査員特別賞と
   国際芸術映画評論連盟賞を受賞されましたね。
   日本的なものが一切ない作品の受賞、
   ということで意義深い気がします。


諏訪 たとえば『M/OTHER』という作品も
   (カンヌ国際映画祭、国際批評家連盟賞)
   カップルの関係を描いている日常的な話です。
   どこにでもありそうな、
   フランスにもありそうな話ですけど、
   それをフランスで観ると映ってる風景は日本だし、
   外国映画を観る喜びというのはたぶんあって、
   日本ってこういう暮らしをしているのか、
   日本といっても
   障子が必ず家にあるわけじゃないのか、とか、
   お寿司ばかり食べてるわけじゃないのね、とか、
   スパゲティも食べるんだ‥‥、とか、
   そういう発見だってあると思うんです。


── はい(笑)。

諏訪 そういうおもしろさってけっこうあって。
   でも『不完全なふたり』は、
   フランス語で、フランス舞台でやってるので、
   なにも珍しいものは出てこないわけですから、
   どういうふうに受け入れられるんだろうと。
   興味はありましたね。
   日本人が描いた不思議なパリが撮れたという
   わけでもないし、そういう意味では、
   描いているものの内容の問題として、
   普通に話が出たと思うんですね。
   そういうところの評価だと思うので、
   自分としてもよかったと思ってます。


   つづく。

『M/OTHER』のカンヌでの受賞に続いて、
『不完全なふたり』のロカルノでの受賞。
ヨーロッパでの諏訪作品人気は盤石で、
「ぜひ諏訪作品に出たい」という俳優も多い‥‥。
そんなキャスティングのお話も後々でてきます。

次回はますますおもしろくなります。
「カントクの視線の魔法」と、
「ヴァレリアはファンタジスタ」です。

お楽しみに。

『不完全なふたり』


Special thanks to director Nobuhiro Suwa
and Bitters End. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「まーしゃさんへ」と書いて
postman@1101.comに送ってください。

2007-07-24-TUE

BACK
戻る