OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.156
- Umihiko Yamahiko Maihiko 2 -


ここに“居る”ことが、大切。
──『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』その2

   〜田中泯ダンスロード インドネシア

田中泯さんの第2回です。

『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』では、
インドネシアの人々の生活に密着して、
村人のさまざまな儀式や暮らしを感じながら、
土と、海と、木と、ガムランと、
ときにはユーモラスに、
牛やヤギや豚とも、泯さんが踊ります。
なにか泯さんの身体を通して、私たちも、
インドネシアに深く入っていけるような、
「体感できる」2時間を過ごします。

泯さんにとって「インドネシアで踊る」とは
どういうことだったのか、
穏やかに豊かに、語ってくださいました。

   

── インドネシアでは、
   なにか日本では感じられないような
   特別なものを感じていらしたのでしょうか。


田中 じつは日本で、僕の子供の頃に、
   ことごとく体験していることなんです。
   洗濯機も無くて、手で洗濯しているところとか、
   動物の世話をしているところというのは。

   気候、風土が違うだけで、
   生活のひとつひとつ、隅々まで、
   僕のなかには記憶のある、
   思い出のあることばかりなんですよね。
   たとえば小さい頃、薪を燃して、炭をおこして、
   母親のために朝の準備をしてあげるとか、
   お風呂をわかすとか、水を運ぶというのは、
   仕事として、子供の頃にずっと体験しているし、
   それが石油に変っていくとか、
   ガスコンロになっていくとか。
   僕が自分の年代が得したなと思うのは、
   そういう急激な変化を目の当たりにしてきた
   ことだと思うんですよね。

   ですから、インドネシアの
   それぞれの島でまた生活のレベルは違うし、
   日本が通過してきたものが、
   彼らの生活のどこかにあてはまっていくんです。
   それがすごく驚きだったし、
   どこかですごく共感している。
   彼らを見たときの僕自身の共感と、
   彼らがこんどは僕のほうに共感することもあり。

   そういう意味では、日本で踊るよりも
   自然だったかもしれないし、
   “創造性”というよりは、
   自然にやっていると、
   そのまま踊りにつながっていく
   という体験だったですね。
   すごく開放されていたような気がしますね。

   でも始まりは、恥ずかしいのと、恐いのとで、
   1週間くらい、踊れなかったですよ。


── そうだったんですか!?

田中 最初に村で踊ったときも、
   堅苦しいなと自分で思いながら、
   自分の知ってる踊りを踊っているような、
   準備したわけではないんだけれども、
   体験のあることをやって見せてる
   という感じでした。


── へぇ‥‥、それが徐々に‥‥。

田中 そうですね、だんだん、
   歩きながら、路で踊ったりしているうちに、
   変わってきたんですよね。


   
   ©2007デザイニングジム

── 最初に恥ずかしさがある、というのが、
   なんだか、いいですね‥‥。


田中 いくつになってもやっぱり。
   踊ることが、僕の場合は
   自己主張じゃないんですよね。
   自己主張だったら、もっと早くにりっぱな芸術家に
   なっていたかもしれないですが(笑)。
   僕の場合、踊っていて、僕なんかでいいんだろうか、
   っていうのが絶えずつきまとっているんですよ。
   僕の好きだった踊りというのは、
   そんなに自分を出すものじゃなかったし、
   西洋的な意味での“表現”とは違って。

   見せたってどうなるものでもないようなものを、
   人間って持っていて。
   僕なんかのは「観たぞ」と言っても、
   どうなるものでもないんですね。
   もっと違ったところで影響しあっていくもの。
   だから、踊りも、身体を動かしてみせるものと、
   内側から出てくる、あるいは、
   その場で起きてしまうこととか、
   そういうものをみんなが目撃して、
   「観た」と思うんじゃないかと、
   自分では相変わらず思ってるんですよね。


── でも私は、たぶん
   「泯さんがそこに居る」という、そのことに、
   ただ感動しているみたいな、
   言葉にするとなんかバカみたいなんですが‥‥。


田中 いや、そのことを、僕自身はじつは、
   修行、という言葉でいいのかなあ‥‥、
   まあしてきたというか。
   師匠の土方巽の踊りを初めて見たときに、
   ほんとに圧倒的に凄かったんですね。
   で、その当時は僕も若くて、そのこと自体、
   うまく表現できなかったんですけど、
   後になって表現するとですね、
   こういうことなんですね。

   あの人の踊っていたような格好で踊って、
   たとえ振り付けを同じようにして踊ったところで、
   あのようには絶対にならない。
   いちばん度肝を抜かれ、憧れたのは、
   あの「居方」なんです。
   どうしたらああいうふうに、
   あんな強烈に立っていられるんだろうか。

   僕らは、何人かが並んでいても、
   この人のほうが強い、存在感があるとかなんとか、
   簡単に選り分けられるじゃないですか。
   世界中の誰もがほとんどそうだと思うんですけど、
   その能力を持っている人の前で、
   なぜ踊り手って、技術ばかりを磨くのだろうか、
   自分を見たときに、自分が立ったとき、
   それほどの魅力が無いとすれば、
   なぜそれを磨かないのだろう。
   技術で光らそうというのは、
   まだスポーツの段階ですよね。
   身につけなきゃならないのは、
   たぶん、舞台上の魅力‥‥。

   だから「踊っていたね」と言われるよりは、
   「居ましたね」と言われるほうが、
   うんと褒められたような気がします。
   「泯さん、居たね」と言われることのほうが‥‥。


── はい。

田中 まさにそれは、しっかり存在する、という
   在り方というんですか、振り返って、
   自分が生きているということ、
   「私は生きている」「私は居る」という
   実感がほしくて、なんか右往左往、
   僕たちはしているんじゃないかと思うんです。
   それは大勢のなかに居てもそうだろうし、
   ひとりになってもそうだろうし、
   自然が相手でもそうだし。
   僕が踊りをやってるいちばんの理由は、
   たぶん、そうなんじゃないかなと思いますね。
   同時に、私という人間はいったい何なんだろうと
   考え続けるわけなんですけれども。


   
   ©2007デザイニングジム

── お話を聞いていても、映像や踊りを観てても、
   しだいに自分はゼロに戻っていくというか、
   日々要らないもの、つまり知識や情報で
   一生懸命武装している日常から、もしかしたら、
   そういうものは必要でもあるんだけど、
   自分としてこの世に居るために、
   必要なものはもっとほかにあるはず、
   ということを気づかせてもらってる気がします。

   『メゾン・ド・ヒミコ』のときも、
   泯さんの居姿の美しさに圧倒されました。


田中 そうですか─(笑)?

── もしスゴイ衣装とかで着飾った人が
   泯さんの隣に来たとしても、
   絶対負けちゃうだろうなと。
   この“美しさ”はどこから来るのだろう、と
   思ってきたのですが、『ウミヒコ‥‥』を拝見して、
   あ、そうか、根源を見せているので、
   それがいちばん人間の美しさなんだなと
   感じたんです、おこがましいですが‥‥。


田中 ありがたいですね。
   いちおう僕にも顔があって、形があるし(笑)、
   やっぱり、とりわけ踊りはセリフも無いし、
   はっきりと伝えるものが「コレです」というふうに
   言っちゃいけない世界だと思うんですね。
   ‥‥ってことは、見てくださった方が、
   いったいどこまでを見たか、
   僕の後ろまでを見てくれたかもしれない、
   そこが、僕が描いているいちばん大事なところ
   という気がするんです。
   だから、僕が顔を付け替えてもかまわないと
   いうことがありますね。


── それがインドネシアでは、
   より自然に引き出された感じですか。


田中 圧倒的な共感、っていうんですか。
   それはありましたね。
   ただ、恐くて踊れないっていう‥‥ね。
   この人たちに排斥されたらどうしようと
   思ったり、いろいろありましたね。


── 日本でもそういう恐さはありますか。

田中 日本は、踊りだす前はブルブルです。
   それは恐いというより、やっぱり、
   自意識からくると思うんですけどね。
   一歩出て、踊り始めれば、そういうことは、
   すべて忘れちゃうんだけれども。

   なんのために踊ってるかというと、たしかに、
   自分のために踊ってるんですけど、
   その意味での「自分」というのは、
   「君と私」の「私」じゃないんですよね。
   もう少し高みにある「私」を目指している
   わけですから。
   でもココにいる自分が、ひっかかってきたりして、
   それが「恥ずかしい」だとか、「怖れ」だとか、
   ”煩悩”というもののほとんどが、
   自意識から来るんじゃないかなと思います。


── 踊りをやることで、自意識は、
   どこかへ行くのでしょうか。


田中 踊っているときは、ほとんど“無い”ですよ。
   誰でもよくなるんです。
   踊ってる「私」が誰だってかまわない。


── しかも、冷静に周りも見ている状態なんですね。

田中 そう。分裂症状態(笑)。

── (笑)。

田中 それが心地よかったり。
   すごく調子いいなと思うときは、
   本当にそんな感じなんですよね。
   何人も自分がいる、みたいな気がして。


── 空(クウ)であり、同時に‥‥。

田中 そうですね、空っぽでありながら、
   ものすごく活発に回っている。


── そういうときの世界の見え方は、
   違うんですね。その状態に行くのは、やはり、
   踊ることが必要なんでしょうか。


田中 僕にとってはね。
   他の人にとっては、音楽だったり。
   いろいろあると思います。


── なぜ、踊りだったのでしょう。

田中 わからないですね。
   たぶん、なぜこの時代に生まれてきたのか、
   たまたまこの時代に生まれてきたのが、
   僕だったりするわけでしょ。
   宗教みたいな話になっちゃうけれども。
   原則的には感謝しなきゃいけないんだろうけど、
   ただ、人間という生命体の延長上に、
   僕が居るということは確かだし、
   はじまりが無ければ、終りがないですから。
   そのことに死ぬまで好奇心を持ちたいなと
   思います。

   この現在、この世界とつながっている
   という感覚が、すごく豊かなんですよね。
   ここに“居る”ことが、大切なんですね。


   おわり。

多くの若い俳優さんたちからもリスペクト
を受ける、田中泯さんの魅力の秘密‥‥。
「この地平が僕の住む処です、間違いなく!」
そう話し、いつまでも
子供のような好奇心を絶やさず、
土を愛する泯さんの生き方に、
私もまた深く心を動かされました。
こんど山梨県の美しい桃花村にも、
ぜひお邪魔したいなあと思います。

「もう劇場では踊らない」と宣言し、
いま簡単には観られない、田中泯の踊り。
みなさんも、この機会に体感してみてください。

『ウミヒコヤマヒコマイヒコ』
シアターN渋谷にて公開中。

次回は、痛快なドキュメンタリー映画、
『選挙』の想田和弘監督が登場します。
お楽しみに。


Special thanks to Min Tanaka and TARA CONTENTS.
All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「まーしゃさんへ」と書いて
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2007-06-15-FRI

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