OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.152
- Tsotsi -


“人間性”に目覚めるときが来た、
──『ツォツィ』



©Tsotsi Films (Pty)Ltd. 2005
TOHOシネマズ 六本木ヒルズほか全国順次公開中


□少年少女たちこそ、観てほしい!

南アフリカ映画の『ツォツィ』。
もうご覧になったでしょうか。

“ツォツィ”とは、
南アフリカ共和国のスラングで
「不良、チンピラ、ごろつき」という意味。
主人公の19歳の少年の呼び名です。
ヨハネスブルグ郊外のタウンシップ(黒人居住区)
ソウェトに住み、盗みを生業とするツォツィが、
強盗をした際に赤ん坊を拾ったことから、
人生が大きく回転しはじめます。

じつはコクハクしますと、
私はこの映画を観るにあたって、
2つの失敗をおかしてしまいました。

1つは、「南アフリカ共和国の映画だ!」
という強烈な先入観のもとに観たこと。

2つめは、かっこいい音楽や映像に
すっかり酔ってしまったこと。

いやはや。

いやもちろん、失敗というよりは、2つとも、
この映画にとって欠かせない重要な要素です。
それ無しにはこの映画の魅力は語れない。
つまり、南アフリカという国が持つ、
特殊な歴史背景や経済状況に目を配ることは大切だし、
“世界最強のゲットー・ミュージック”という
キャッチのごとく「クワイト」という音楽の
お腹の底にビンビン響くラップビートに乗せて、
激しく、危険なスラムの現実を描き切った
ギャビン・フッド監督の才能は凄いと思います。

それから主役のツォツィを演じた、ソウェト出身の
プレスリー・チュエ二ヤハエくんが前半で見せる、
獲物を狙うサバンナの野生動物のような鋭い眼差し。
それがしだいに柔らかな光を宿しはじめるという、
天才的な変化の仕方にも目を奪われるところです。

それらを含めて、
現代にこの映画が伝えたかったこと、
あるいは、原作「ツォツィ」の著者
アソル・フガードが1960年代に伝えたかったことは、
じつはシンプル過ぎるほどシンプルであり、
しかしものすごく崇高なものであり、
時代を越えても強い説得力を持つもの。
時間だけではなく、場所や環境も、
南アフリカのスラムでなくても、
愛情に飢えて育ち犯罪に走るしかない貧困の中で
苦しんできたツォツィでなくても起こりえること。
限りなく普遍的なことなのだということを、
私は危うく、映画の様々な要素に目を奪われて
見落としそうになってしまっていました。

さて、それはなにか──。


©Tsotsi Films (Pty)Ltd. 2005

ところで、この映画は、
前回も記事でちょこっと触れましたけど、
日本で「R15」の映倫指定を受けて、
15歳未満(中学生以下)の観賞が禁止されました。
その理由は、
「未成年者が銃、アイスピック等を
使っての殺傷描写は、15歳未満の観賞には不適切」
というもの。
配給会社は腑に落ちず、再審請求をしたところ、
「指定の決定通達書を受け取った後の
 再審査申請は受理できない」
という理由で却下されました。
(アンケートやってます。)

しかし、映画全体の内容を考えると、
「中学生にも見てほしい映画では?」と
指定に疑問を持った3つの団体
(アムネスティ・インターナショナル、
『ほっとけない世界の貧しさ』、
日本国際ボランティアセンター)が声を上げ、
配給の日活、インターフィルムが協力して、
「ティーンエイジャー試写会」が開催され、
保護者同伴で中学生以下も観賞をしました。


試写会の主催者によるQ&A

私の意見は、ぜひ“先生引率のもと”、
中学生にも観てほしいし、授業でおおいに、
映画について語り合ってほしいなと思います。
原作も合わせて読んでほしいなと思います。
それほど、教育としても、考えるべき
大切なメッセージがたくさんあるように思うし、
私も多くのことを学んだと思うからです。

たしかに映像のなかで、
ツォツィ率いるギャングたちが犯す
暴力と犯罪シーンは衝撃的で残酷です。
加えて、同じ仲間への暴力シーンも
「おぉ〜」と目を閉じそうになりました。

そのときのツォツィの心は凍りついていて、
冷酷で情け容赦の無いワルとしてしか
見えないように、あえて描かれます。
つまり、「心に痛みを感じない」という状態です。
人を刺しても、友だちを殴っても、
なにも痛みを感じないツォツィの心の表れの
シーンが映倫指定「15歳未満観賞不可」という
審査結果になってしまいました。

しかしこの序章のパートで、
観客に見せつけるツォツィの暴力は、
彼の心の闇の深さを示しているということが
彼の深層心理にあるものがわかるにつれて、
しだいに明らかになってきます。

このときのツォツィの状態について、
ちょっと原作をひも解いてみると、
こんなふうなツォツィの描写があります。

「(ツォツィは)自分自身、知らないのだ
 ──名前も、歳も、自分の輪郭を形作るうえで
 必要なものは何ひとつ。〜省略〜
 たとえ以前は知っていたとしても、
 いまはおぼえていなかった。そして、自分について
 知らないことのほうが、名前や歳なんかよりも、
 もっと深い意味を持つようになった。
 鏡の前に立って、目と鼻と口とあごからなる
 自分の顔を目にしても、とうてい意味のある
 人間には見えない。ツォツィの目に映る
 目や鼻は、外の通りからでたらめに拾ってきた
 石ころぐらいに無意味なものだ。ツォツィは
 自分のことを考えたくなかった。
 過去を思いだせない以上、いまという瞬間と、
 その連続としても未来があるだけだ。」
    (アソル・フガード著「ツォツィ」より)

原作と映画は時代背景が違うので、
ツォツィがなぜ心を閉ざし、
犯罪を重ねるチンピラになったかの
経緯は違うのですが、心の有り様は同じで、
自分の内面や過去のことに興味を持つ友だちが
鬱陶しくて(または怖れて)避けるか、
避けきれずに、暴力を振るうかのどちらか。
つまり、誰にも、心の内側に触らせないし、
自分自身ですら、心の中をのぞくことを嫌う。
誰かを痛めつけて悪いと思えない、
心がまるで空洞のような状態。
その瞬間を「生きる」ということだけが
すべてだったツォツィ。
ある時期で心の成長を止めてしまうことが
彼の唯一のサバイバルだったのだと思うと
せつなくなります。

でも「生きる」というツォツィの生命力は、さすが、
アフリカという大地が持っている力強さを感じるし、
いま日本に漂うような虚無感や倦怠感ではなくて、
やはりアフリカ特有なのかなとも思うけれど、
それでもなお、ここには、いま、
とくに少年犯罪が増えている国において、
なにが欠如しているのかの答えがあるように思う。

自ら心の奥底に降りて行って、
そこにある闇と対峙し、
自分の存在の意味を考えること。
そこからはじめて、他人の存在を認め、
他人の痛みを、自分のこととして感じる。
そういうことがいつかは必要になるのでしょう。

□「ディセンシー」が意味すること

映画、原作ともに、
“decency“という言葉が出てきます。
映画は「品位」、
原作は「品性」と訳されていましたが、
社会や状況によって変わる多様な言葉です。

オンライン辞書には
"the quality of being polite and respectable"
「礼儀正しく、尊敬できる様」とありますが、
人の内面や教養が滲み出る
行動や状態のことだと思います。

試写会MCのピーター・バラカンさんは、
「人間性」と言うのがぴったりくるのではないか、
と話していました。

このディセンシーを理解すること。
つまり人に寛容であり、人を赦せるか。
人も社会も、人間性を失うことは哀しい。
そんな世の中にしてはいけないのです。

お母さんと弟と一緒に試写会に参加した
中学生の女の子に感想を伺うと、
「暴力シーンは恐かったけど、
 物語がわかればわかります。
 ツォツィが変っていくシーンは感動しました」
と話してくれました。
対して弟くんは、どんな質問にも、
「そのときになったら考える」という
なかなかクールな答えをくれました。
それもそれでわかります。
状況によりけりだと言いたいのでしょうね。

状況判断できるような教育を受けることさえ、
ままならないという厳しい環境にいても、
あることを境にツォツィは変わっていきます。


©Tsotsi Films (Pty)Ltd. 2005

ツォツィを変えたものに、
「赤ちゃん」の存在がありました。
強引ではあったけれど、
小さな命に出逢うことによって、
自分の命の価値に気づいていくところは圧巻です。

ネタバレになるといけないので、
詳細は省きますが、
赤ちゃんとの出逢いを境に、
ツォツィの世界が変わり出したのは、
ツォツィ自身が変わりはじめたのでしょう。

弱いものに対する「感情」が動くようになる、
哀れみや、同情や、痛みを感じるようになる。
それがどんなに“人間性”をもつことの源になるか。
ひとくちに「感動する」ということが、
どんなに人間にとって必要なことか、
つねづね感情の筋肉も、
動かすトレーニングが必要だなと感じているのですが、
あらためて気づかせてくれる気がします。

ぜひ、老若男女、こぞって観てほしい映画です。
とくに若い人たち、必見だと思います。

フライトでヨハネスブルグに立ち寄ったのは、
もう遠い昔の話になりますが、
80年代終りの、まだアパルトヘイトのころ、
リッツカールトンホテルという一流ホテルからは
一歩も外に出られないという治安の悪さで、
でも出ちゃったのですが、足早に歩くと、
道路でモゾモゾ動いている黒い山につまづき、
なにかと思ったら、物乞いの人だったとか。
ホテルの同僚の部屋(隣室!)に侵入者があり、
彼女は半狂乱になって帰国したりとか、
いつなにが起きても不思議はないという
恐い滞在経験でした。
そのリッツカールトンホテルも
アパルトヘイト廃止後に廃業したのだとか‥‥。

映画が映し出す現在の生活状況も厳しく、
貧富の格差は広がり、失業率は高く、治安は悪化。
エイズ死亡率もダントツに高いという
なかなかの状況の南アフリカ。
2010年、ワールドカップ・サッカー開催地です。
ぜひともがんばってもらいたいし、
見守りたいし、協力していきたいですね。



ずっと前から導師(!)として尊敬している
ピーター・バラカンさん。
試写会のMCをしていらっしゃったので、
しばらくぶりに懐かしくご挨拶すると、
「なに、子供連れてきたの?」と言われてしまい(笑)、
いや〜と言いながら、今回の映倫指定について伺うと、
「確かに暴力的なシーンは、僕個人としては、
 子供には見せたくないかもしれないけど、
 でもR15では厳し過ぎるから、
 PG15(15歳未満は保護者同伴:現在は無い)
 があったら相応しいかもしれないですね」と。

それからピーターさん専門の音楽について、
「クワイトっていう南アフリカの音楽は
 じつはそんなに知らなかったんだけど、
 サントラ4曲目の“マトフォトフォ”
 には、スクリーミング・ジェイ・ホーキンス
 『I put a spell on me』がサンプリングされてて、
 かっこいいんですよ!」とトリビアも。
ありがとうございました〜!
オリジナルサウンドトラック、欲しいです!

『ツォツィ』

★原作本「ツォツィ」

アソル・フガード著
金原端人・中田香訳
青山出版社
www.aoyamapb.com

もうすぐ、『インビジブル・ウェーブ』
浅野忠信さん登場の予定です。
ではまた!


Special thanks to Moviola. All rights reserved.
Written by(福嶋真砂代)
参考資料:http://www.gov.za/、http://www.weogroup.com/southafrica.html
    『ツォツィ』プレス資料

ご近所のOL・まーしゃさんへの激励や感想などは、
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2007-05-20-SUN

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