OL
ご近所のOLさんは、
先端に腰掛けていた。

vol.129
- Capote -


悪魔に魂を売れるだろうか…。
---- 『カポーティ』



9月30日より日比谷シャンテシネ、恵比寿ガーデンシネマにて公開

またまたグッサリやられてしまった
映画をご紹介します。
“グッサリ”のレベルの深さでいうと、
今年、これほどやられたのは、
じつは2回目です。

1つ目は、西川美和監督の『ゆれる』。
あのときは、ちょっと船酔いしたような、
三半規管がおかしくなったような感じで、
胸の奥底にざわざわとした後味が、
長〜く引いていたのを記憶してます。
あえていうとあまり気持ちいい感覚では
なかったかも(映画は素晴らしいです)。

『カポーティ』の場合、
感動の深度は似ているのですが、
“ざわざわする”というよりも、
しっとりとした霧が胸の中を満たしていき、
そのままずーっと沈んでいくような感じ。
でもそこで留まるというよりも、
なにかとても貴重なものを受けとって、
そのズシリとした重みを、
手の中で確かめ、とても満足するような、
そんな充実した感触が残りました。

そのわけを絞ってみると、ほぼ2つありました。
(あくまでも私にとって、ですが。)

□表面に出てこない部分を感じて。

まず、音楽。
途中で「あっ!」と気づいたのですが、
知らぬ間に、囁き声のように、深々と、
身体に忍び込んできた、その入り方に、
やられたと言っていいでしょう。

もちろん、映像のすばらしさもあるのですが、
やはりとくに音が、音楽が、
世界の中心にいるような華やかな作家生活の中で、
カポーティがどれほど孤独を感じていたか、
どれほど、心が軋んで、葛藤していたか、
それを感じさせてくれるようでした。
そのあたりをベネット・ミラー監督は、

「そう感じてくれたのは、うれしいです。
 まず、この映画は“カポーティ”という公の人間の、
 とてもプライベートなストーリーを描いています。
 芸術界で、アメリカで、カリスマ性があり、
 いちばん目立つ存在だった反面、
 親しい人も、誰も知らないような、
 プライベートなリアリティがあった。
 パーティでは中心的な人物としての彼でありながら、
 他方、奥に潜むプライベートな姿を見せていく映画です。
 そのために、音楽、ビジュアル、編集も助けています。
 見ている人の深層心理を研ぎ澄ませていくような、
 セリフの裏に隠されている、表面には現れない、
 そういう部分に気づいてほしいというアプローチ
 の仕方をしています。」


と、ハリウッド映画とは思えない作りにびっくり。
繊細で、静かな、なにか東洋的な精神を感じます。
なんでも、監督のお兄さんは日本で仕事をしているとか。
映画も「どこか日本的でしょ?」と言っていたような‥‥。
編集ですが、哲学者ジャック・ラカンの心理セラピー、
“スカンション”という方法を取り入れている、
‥‥なんて話も伺いました。
奥深いです。やられるはずです。

□ペリー・スミスとは‥‥?

それと、もうひとつは、
ペリー・スミスという登場人物。
「冷血」に描かれている、実際にあった
一家惨殺事件の犯人の一人ですが、
スミスの、哀しく、切なく、孤独な人生とその存在。
さらに、もっと言うと、それを演じきった、
クリフトン・コリンズ・Jr.の凄さが光る。
ということは、つまり、彼に出逢ったからこそ、
これほどまでに崩壊していく、
カポーティの姿があり、またそれを演じた、
フィリップ・シーモア・ホフマンの驚異的な
演技力がもちろんあるわけですが‥‥。

私としては、主演を食ってしまいそうなくらい、
印象を残したクリフトン・コリンズ・Jr.が
気になり、ドキュメンタリー畑出身の、
ベネット・ミラー監督に、直撃しました。
(長身、かっこいいです!
 なにげにカポーティの真似を‥‥)



ここで簡単ですが、ちょっと解説すると、
トルーマン・カポーティ(1924 - 1984)は、
言うまでもなく、有名なアメリカの作家で、
「ティファニーで朝食を」や「遠い声 遠い部屋」
それから「冷血」などの代表作があります。

映画の『カポーティ』は、
ノンフィクションノベルという新分野を生んだ
「冷血」を書くために取材をするカポーティを
追いかけ、6年に渡って書いた「冷血」が、
いかにカポーティを成功の絶頂に持ち上げ、
同時に、彼を破滅させていったかを、
とてももの静かに、感性に訴えかけるような
独特のスタイルで描いていきます。

得てして注目は、
カポーティの作家性や人間性、
あるいは、怪演ホフマンの演技力や演出に
集まりがちなのですが、
でも、この映画の重要な隠しボタンは、
とりもなおさずペリー・スミスにある。
いや彼にしかないと、私には、
「冷血」を読んでいても、
ずっとそれを感じていたので、
「ペリー・スミス」の解釈について、
監督に聞いてみました。
常に言葉を選んで、考えて考えて
話す監督ですが、さらに、
「ふ〜〜っ」と深いため息をつき、
沈黙してしまいました。
悪い質問しちゃったかなと心配したのですが、
出てきた答えはものすごくうれしいものでした。

ため息と沈黙のあと、
「So painful to go back there.
 It' so difficult.
 I think it's a hard part to play.」

と口を開きました。

つまり、
「そこに戻るのは、とても辛い。
 なぜなら、とても難しくて、
 演じるのが辛い役だからです。」


ペリー・スミスについては、

「彼はもちろん、殺人犯です。
 でも、ペリー自身は、
 自分のことを悪い人間だとは思っていない。
 自分は、道徳観のある人間だと思っている。
 私としては、この役をいわゆるステレオタイプな
 殺人者というふうには描きたくなかったし、
 彼は、画家の卵だと自分では思っているし、
 何かになりたいという“望み”(aspiration)
 のある人なのです。

 誰にも認めてもらえなかった彼を、
 カポーティが初めて認めてくれた。
 アル中の両親を持ち、常にいじめられた
 こども時代。何かをやろうとしても、
 つぶされてしまう。何かになりたかったのに、
 なれなかった。そして歪められ、結果的に、
 犯罪者になってしまう。

 まさに彼は枯れかけた花だったのに、
 カポーティが光を当てて、やっと心を開き、
 初めて誰かを信用するということが
 できたのです。」




「冷血」の中で、トルーマン・カポーティは、
“明白な動機なき殺人”と言及し、
類似の性質の犯罪者をとりあげています。

『この男たちはすべて、
暴力を振るった経験があるにもかかわらず、
肉体的に劣り、虚弱で、未熟という自画像を
描いていた。彼らの経歴を見れば、
それぞれが強度の性的抑圧を受けていることは
明らかである。
〜略〜
誰もが、幼少時代を通じて、“意気地なし”
とか、チビとか、病弱と思われているのを
気にしていた‥‥四人すべてに、
暴力の激発と密に関連してであるが、
意識変容状態を起こした形跡がある。
〜略〜
彼らは実際に暴力を振るっている間、
あたかも、他人を眺めているように、
自分自身から分離し、孤立していると
感じることがしばしばあった‥‥また
生い立ちを調べてみると、四人すべてが
幼少時代に両親から過激な暴力を
振るわれた経験を持っている‥‥。』
(新潮文庫「カポーティ」より)

これは、直接スミスの生い立ちに
触れていない個所だけども、
なぜ、殺人をおかしそうに見えない
繊細で優しく、知的でさえある人物が
突発的に殺人行動に出るのかという
大きな要因を示し、それがペリーであり、
そこにカポーティは自分自身を見るのです。

□クリフトン・コリンズ・Jr.

ペリー・スミス役のクリフトン・コリンズ・Jr.は、
柔らかくて鋭くて壊れやすくて強い、みたいな、
日本で言うとオダギリジョーさん、加瀬亮さん的な
複雑な面をいっぱい持っている俳優ですね。
(『トラフィック』にも出てます)。

ミラー監督は、クリフトンの
キャスティングについて、
興味深い話をしてくれました。

「キャスティングもどんどん進み、
 あと一日しかないという時になっても、
 スミス役だけ、決まらなかったんです。
 一人の俳優に会うために日帰りの予定で
 LAへ飛んだのですが、全然違っていました。
 がっかりしていると、
 もう一人、ある役者の姉がビデオを見てくれと
 持ってきた、というので見ました。
 で、驚いたんです。
 あと4時間で飛行機が出るというとき、
 その役者に連絡がとれたので、
 急いで来てもらいました。
 それが、クリフトンだったんです。

 カポーティにスミスが殺人を告白する
 シーンを読んでもらったら、すばらしくて。
 抑えた演技をして、最後に泣き崩れるんですが、
 クリフトンが泣き止まない。
 もうコントロールできなくなって、
 2分間、泣き続けていたんです。
 それで、『君は泣きすぎだから、
 それがコントロールできるんだったら、
 この役をあげよう』と言いました。」


ね‥‥。
すごい状況でキャスティングされたんですね。
こんな宝の掘り出し物をするところからして、
冴えているわけですね‥‥。
ペネット・ミラー監督、40歳。
(監督デビュー作にして、
 アカデミー賞監督賞ノミネート他、
 数々の賞を受賞。すごい〜。
 ちなみに、フィリップ・シーモア・ホフマンは、
 アカデミー賞主演男優賞を受賞しました。)

幼いころに受けた傷、とくに心の傷は、
トラウマとなって、人格形成に多大な影響を
残すという事例はいやほどあり、
ペリー・スミスのことを考えてもそこに行き着き、
カポーティ自身も、自分が幼少時に経験した
心の傷の痛みを同様に抱いている。
それゆえにペリーにだんだん同化し、
同情していく‥‥。

しかし同時に作家として、
こんなにおいしく、興奮する題材はなく、
ペリーの処刑を願う自分がいるという矛盾。

冒頭の“悪魔に魂を売る”という言葉は、
塩野七生さんがこの作品に寄せている
文章の中の言葉ですが、
じつはその言葉にもグッサリやられました。
抜粋します。

──傑作とは、それを書けるならば悪魔に魂を
  売ったってかまわないと思っている人にしか
  作れないものなのである。──




『カポーティ』


Special thanks to director Bennet Miller
and Lem. All rights reserved.

Written by(福嶋真砂代)

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2006-09-27-WED

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