ポケットに『MOTHER』。
〜『MOTHER1+2』プレイ日記〜

7月7日 学校


そもそも『MOTHER』も『MOTHER2』も
携帯ゲーム機用に開発されたソフトではない。
それで、屋外でプレイしているときにちょっと困るのは
好きなときにセーブができないということである。
だから、どうしても電源を切らなければならないとき、
僕はマジカントへ飛んでセーブすることにしている。

マジカントへは、
あるアイテムを使えばすぐに行くことができるし、
セーブできる場所がすぐ近くにあって便利なのだ。
電車のなかで『MOTHER』をプレイしていると
やむを得ず電源を切らなければならないことも多いから、
僕はしばしばマジカントを訪れる。
ファミコンで『MOTHER』をプレイした当時は
これほど頻繁に訪れることはなかったように思う。

でも、考えてみるとおもしろい。
マジカントは、セーブや買い物といった
ひととおりの機能がそろっているし、
しかも、無駄にお金を使わなくて済む。
ゲームの途中で緊急の安息を求めるのには
ぴったりの場所だ。

そのマジカントが、
『MOTHER』が携帯機へ移植されたことによって、
よりマジカントらしい存在として
ゲームのなかで機能している。
まさか14年前にこんなことが
想定されていたはずはないだろう。
不思議な偶然があるものだと思う。
だってマジカントの住人は
こんな素敵なことを言ってくれたりするのだ。

「きっと また かえってくるのよ。
 くるしいときに ここに……」

不思議な偶然があるものだと思う。

マジカントを訪れる回数が増えたぶんだけ、
マジカントを出る回数も増える。
そこからの帰り道を僕はすっかり覚えてしまった。

マジカントからもとの世界へ続く道を行くと、
最終的に学校のそばを通ることになる。

僕はこの学校がとても好きである。
毎回というわけではないが、
ときどき用もないのに校舎のなかへ入る。

なにより流れる音楽が素敵である。
学校のチャイムをモチーフにした旋律を追っていると
ついついリズムをとりたくなる。
実際に低く口笛を吹いてみたりもする。
いまのところこの音楽は
この場所でしか聞くことができないから
しばしば僕はこの場所に立ち寄ってしまう。

先日、ふと思い立って、
あの素敵なメロディーを聴きながら
教室のドアをひとつひとつ開けて
なかにいるひとりひとりに話しかけていった。
そしたら意外なことに、
ちょっと泣きそうになってしまった。

そういうことが僕はよくある。
なんだか自分でも驚くような、
涙腺のゆるみをまったく予期できぬ場面で、
唐突にツンときてしまうことがある。

よく知られた作品でその例を挙げると、
2度目に観た『千と千尋の神隠し』の
八百万の神様たちが船から降りてくる場面で
ボロボロ泣いたことがある。
元来、僕はその腺が弱っちいから、
おにぎりの場面や、沼の底の家でも
当然みっともないことになるわけだけれど、
序盤のそんな場面でハンカチが
必要になるとは思わなかったから
自分でもちょっとびっくりした。

学校の一階にある教室に入って、
ひとりひとりの生徒に話しかけていた。
みんな主人公よりも一回り小さいから
低学年の教室なんだと思う。
当たり前のことだけれど、
僕は最初にここを訪れたとき
校舎にいる全員に話しかけておいたから
目新しい答えが返ってくるわけではない。

つまり、あまり意味もなく、暇にまかせて
そこにいるひとりひとりに話しかけていたのだ。
そしたら、ある少年とある少女が
こんなふうに言った。

「ぼく さかあがりできないのよ。」

「わたしは ひきざんの くりさがりが
 まだ よくわからない。」

述べたように、それは聞いたことのあるセリフだった。
けれど、予期せず僕は泣きそうになってしまった。
理由なんて説明できない。
これのどこに感動する要素があるのかと
いぶかしく思う人もいると思う。
いまとなっては僕だってそう思う。

たぶん、信用するに足る、
自分がとても好きな世界に身を置くとき、
僕は感情のガードを少し外してしまうのだと思う。
以前の日記で述べたような
少しずつの積み重ねによって
僕はこの世界を十分に信用していたから、
きっとそんな些細な言葉に反応してしまったのだ。

もちろん、物理的に涙を落としたわけではない。
ちょっとだけグッときて、
わあ! と思って、
慌てて液晶から目を離しただけだ。
そんなところでグスグス泣いていたら
電車のなかで『MOTHER』なんてできるわけがない。

エンディングまで泣くんじゃない、と
誰かも言っていたことだし。

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2003-07-08-TUE


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