いま26歳なんですけど、もう、小学校のころから、
『MOTHER』は全部リアルタイムなんですよ、ぼく。
最初の『MOTHER』が8歳のときで、
『MOTHER2』が中学生で、
ほんとにドンピシャなんです。
だから、まあ、やっぱり
『MOTHER3』は待ちました(笑)。
2月に「ほぼ日」で情報が出たときは、
ひとりでにやにやしながらずーっとモニター見てて、
それだけで酒が飲めたくらい(笑)。

でも、待ちましたけど、あの、なんだろう、
待った甲斐がありましたね。
とりあえず『MOTHER3』は
この2ヵ月で3回クリアーしてるんですけど、
もう、最初の1回目は止まんなくなっちゃって、
2日でクリアーしたんですよ。
携帯の電源なんかも切りっぱなしで(笑)。

で、『MOTHER3』で、一番俺が思ったのは、
ゲームのストーリーそのものも
やっぱりすごい思うんですけど、
その裏側にあるメッセージみたいなものの
重さっていうか、大きさがすごいと思ったんですよ。
涙を流すとか、そういうことじゃなくて、
愕然としちゃったっていうか。
うわー、糸井さん、ここまで、
大丈夫なのかな、みたいな(笑)。



で、そのメッセージというのが、
自分が置かれている現状と
すごくリンクしているように思えたんです。
あの、個人的な話になりますけど、
自分のじいさんが死んで、その葬式があったのが
『MOTHER3』の発売日直前だったんですね。
で、うちのじいさんっていうのは
自分のことをまったく家族に言わないような人で、
葬式のときにあらためてほかの人から
はじめて聞くような話がすごく多くて。
それは、ぼく自身も知らなかった自分の家のことだったり、
家族のことだったりして、そういうこともあって、
『MOTHER3』はちょっと尋常じゃないくらい
自分のいろんなことにリンクしちゃったんです。

たんにタイミングが合っただけかもしれないんですけど、
ほんとに『MOTHER』って、
いっつも自分のなかになにかを残してくれるんです。
だから、そういうなかで『MOTHER3』をやって、
なんか、「今度は自分が答える番なんだ」っていう
そういう締めくくり方に思えたんです。
だから、「やべえ、俺、がんばんねぇとな!」みたいな(笑)。
そのくらい、ちょっと感銘を受けちゃいまして。



たとえば、最終的に、俺はどうしても
ポーキーに目が行っちゃうんですよ。
ポーキーが、けっきょく、
誰からも助けられない、手も出せないような場所で、
誰からも害も受けないけど
誰にも害を与えることもできない
1個の別の閉じた世界に入ってしまう。
あの決着のつけさせ方っていうのは、
いい意味でも悪い意味でも、
後味が悪いっていうか、「残る」んですよ。
そういう、ひとりひとりのなかに「残るもの」が
『MOTHER3』の裏側にある
メッセージに思えるんですよね。

『MOTHER1』にしても『MOTHER2』にしても
ぼくはいちばん多感な時期にそれを受け取って、
その意味ではほんとに
プレゼントのようなものだったと思うんです。
で、26歳になったときにやった
『MOTHER3』っていうのは
もっと、こう、物語の節目のものっていうか、
「夢を見続ける時代は終わったよ」っていう
メッセージみたいに感じたんです。



現実に目を向けると、自分の身の回りでも、
家族のことだったり、バンドのことだったり、
いろいろと変化が起こっていて、そういうときに
「新しいことをはじめていこう」っていう
きっかけになったというか。
きっかけといっても、
一方的に背中を押してくれるっていう
他力本願的なものじゃなくて、
「自分が一歩踏み出さなきゃ」っていう
気持ちにさせてくれるゲームだったっていうか。

もちろん、単純にひとつのゲームとして
『MOTHER3』をたのしんでる人も
たくさんいると思うんですよ。
でも、自分は、さっきも言ったように、
8歳のころからリアルタイムで『MOTHER』をやって、
そのたびに自分のなかに
何かが残ってきたという経験があるので、
そういう自分からすると、
『MOTHER3』の決着のつけ方っていうのは、
否が応にも現時点で自分が置かれてる
現状に目を向けさせるっていうか。
だから、ゲームっていうものに、
ある種、逃避する人が多いようなところで、
逃避をさせない作品だなっていうか。
最終的に、自分の現状を、こう、
めちゃくちゃリアルに映し出す
鏡みたいな作品だなって思ったんです。
あんたはひとりだけだけど、ひとりじゃないっていうか、
ひとりだからって自分のことで
いっぱいいっぱいになってちゃだめだよっていう。
もっとまわりの人と、
そのいっぱいいっぱいすら共有しなきゃっていう。
そんな気がしたんです。

すごく現実的なレベルの話でいうと、
俺は、実家が農家で、じいさんも親父も俺も長男で、
なんだかんだ最終的には
実家に帰らなきゃいけないのかなと。
帰らなきゃいけないっていうよりは、
やっぱ‥‥帰りたくなったんですよね。やっと。



いつかは帰って、
家守りたいなって思うようになったっていうか。
これだけ個人主義が行き渡っちゃった世の中で、
やっぱ、いまは、『3』なんですよ。
『MOTHER3』なんですよ。
やっぱり、その、縦の軸。
横だけじゃなくて、縦をつなぐっていうのは、
やっぱり家族だと思うんですよね。
親から子へ、子からそのつぎの代へっていう。

自分の家っていう概念を、
いままでもなんとなく感じてはいたんです。
ただ、やっぱ、俺は俺だし、
俺のやりたいことをやるんだよって東京出てきて、
東京でいろんな人と出会って、出会えば出会うほど、
自分の家が自分にとって
どういう場所かっていうのが見えてきたというか、
そういう感じなんですよね。
自分の家をいつかは守りたい。
守るために、俺は外で、東京で、いまは歌をつくりたい。
で、作っていった暁には家を守れるようにしたい。
そこまで考えちゃうような、
そこまで考えさせちゃうような「種」が
あのゲームの中にはすごくあると思うんです。

自分が守るべき家に家族がいるんであれば、
すごく幸せなことだし。家族をつくろうとも思うし。
なんかその、じいさんや、そのまたじいさんから、
脈々と続いてきてるものを、大事にしたくなったんですよね。
じいさんが大事にしてるものを大事にしてみたい。
親父が大事にしてるものを大事にしたい。
それが、新しいぼくの大事なものにもなると思うし。
でも、人間はそんなに急に変わるわけがないし、
変われるわけでもない。
そういうメッセージをすごく受け止めました。ぼくは。



ゲームやったり、音楽を聴いたりした人が、
どう感じるかはもう、それぞれだと思うんです。
言ってしまえば、つくり手って、そこまでは
面倒は見られないんだと思うんです。
でも、面倒見られないからこそ、
責任を持ってつくらなきゃいけないと思うんです。
つまり、自分の思いを詰め込んだものを
手にとった人がどう感じるかっていうことを、
その人に任せることができるっていうのが
俺は責任だと思うんですよね。

『MOTHER3』をやり終えて、
そういうことをすごく感じました。
で、まずはいま自分が強く思うことを
歌にしておこうと思ったりもして。
だから、今回のシングルの曲は、
けっこう『MOTHER3』色が強いんです。
リュカとクラウスに聴かせたいような(笑)。



ぼくは、やっぱ、いまちょっと
ゲーム離れをしてしまってると思うんですけど、
子どものころに『MOTHER』を遊んだ立場としては、
いまの小学生にこういうゲームを
やってもらいたいなって思いますね。
実際、自分が家庭を持って、子どもができたとしたら、
真っ先にやらせたいです。
それも、『1』、『2』、『3』って
ちゃんと順番どおりに、自分がやってきたように。
まずは、8歳のときに『1』を渡して、
中学校になったら『2』を渡して(笑)。
で、中学生の子どもが
「『MOTHER3』、いつやらしてくれんの?」
って訊いてきたら、「あと12年待て!」みたいな(笑)。
そんなこともしてみたいなっていう。

逆にいうと、こういうタイミングで
自分と『MOTHER』が重なってきたことが
ぼくはほんとうにうれしいですね。
『MOTHER2』から12年経って、
『MOTHER3』っていうひとつの物語と
海北大輔っていう物語がまたくっつけたっていうのが
すごくうれしいです。はい!




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NEW SINGLE
「まだ故郷へは帰れない」
UKDZ-0050 ¥1,050(税込)
収録曲
・まだ故郷へは帰れない ・されど犬走る ・翔び魚
10月25日(水)発売
NEW SINGLE
「旅立ち前夜」
UKDZ-0055 ¥1,050(税込)
収録曲
・旅立ち前夜 ・鼓動 ・カッターナイフ
SHIBUYA-AXにてワンマンライブ決定!
[少年]
2006年11月23日(木・祝)SHIBUYA-AX
OPEN 17:15 START 18:00
¥3,500(1Fスタンディング/2F 指定)
10月21日(土)〜チケット一般発売開始
(問)ディスクガレージ 03-5436-9600
★先行予約に関する詳しい情報はオフィシャルサイトご覧下さい。
http://www.ukproject.com/lostintime/

2006-09-07


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