ぼくはもう、1作目の『MOTHER』から
リアルタイムでやってるんです。
1作目が出たのは1989年だから、14歳ですね。
なんかこう、子どもながらに
異質だなと感じたゲームでした。
真っ赤な箱で、ほかのゲームとはぜんぜん違ってて
モノリスみたいな雰囲気で、
抽象の極みみたいな感じだったじゃないですか。
内容としてもすごく抽象性があるんだけど、
抽象的なのに説得力がある。
そんなゲームってほかになかったですね。



『MOTHER』って、
すごくオトナのブルージーな部分が出てるじゃないですか。
あの「忘れられた男」とか「バードマン」とか。
自分がプレイしたのが14歳っていう
子どもからだんだんオトナになる時期だったこともあって、
なにか「架け橋」の役割を
してもらったような気がするんですよね。
もちろん、当時は単純に
わけがわからない部分もあったんですけど、
いま考えるとそれは‥‥なんていうか、
作者側の大切な部分なのかなとか思いながら。



『MOTHER』って、すごく、つくっている人の顔が
ちゃんと見えるゲームだなと思うんです。
そのあたりの感じというのは、
自分がものをつくるときの姿勢として
すごく学ばせてもらったなと思いますね。
自分がつくっているもののなかに
『MOTHER』の成分って
むちゃくちゃ入っていると思います。
なんていうかな、『MOTHER』って
マイナスのつくりかただと思うんですよ。
存在するものをどんどん足していくというよりも、
ないものをあると感じさせるつくり方。
そのあたりは、デビューするころとか、参考にしてました。
ぼくは、小さいころに
両親が別れたということもあるんですけど、
ゲームとかそういう文化が親っていうか、
「文化に育てられた」っていう感覚があるんです。
で、手塚治虫さんが、『まんが道』のなかで
「漫画を描くんなら漫画だけ読んでちゃダメだ」
っていうことを言っていて、
それをかたくなに信じていたんですよ。
だから、自分が曲を作る、
作曲というアウトプットを選んだときに、
そこに、育ててくれた文化を
全部入れていこうとしたんですけど、
そのときにマイナスでつくっていくという作風は
『MOTHER』からずいぶん学びました。
あまり語りすぎず、っていう。



ぼくは、すごく
「エポックメイキングなもの」のファンなんですよ。
たんに新しいだけじゃなくて、
なにか時代に新しい風を
吹き込むものってあるじゃないですか。
それは、音楽であろうが、ゲームであろうが、
漫画であろうが関係なく。
だから、どんなにメジャーであろうがマイナーであろうが、
その風の力を持ってるものを収拾したりとか聞いたりとか、
自分で実際にプレイしてみたりとかっていうのが
すごく好きなんです。
その意味では『MOTHER』は
ほんとうに新しかったですね、当時。
エポックメイキングでした。


じつはぼくは、デビュー曲(『犬と猫』)で
はじめて日本語の詞を書いたんです。
それまでは日本語の詞って
どう書いていいもんかわかってなくて。
そのとき、いろんなロジックの組み立てとか、
自分らしさみたいなところを求めるときに
いちばんしっくり来たのが
『MOTHER』のことばだったんです。
それと、スチャダラパーが大好きだったので、彼らのライム。
そのふたつのエポックを信じて、
日本語の詞をつくっていたんです。
だから、『MOTHER』っていうゲームは、
自分の音楽のなかに活きているというより、
ほんと、ぼくにとっては
哲学みたいなとこまで行ってる作品ですね。



(続きます)


2006-08-02

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