KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

『選挙権が、ない!』


 先月、マドリードで州知事選と市長選があった。
 どうなるかなと楽しみにしていたのだが、
 ふと、あることに気がついて愕然とした。

 私には、選挙権がない!


 選挙の翌日、友だちにそのことを話した。
 すると、彼女もウゥムと唸りながら、
 前日のできごとを教えてくれた。
 彼女は、スペイン人と国際結婚している日本人だ。

「私もさ、昨日、ダンナとその友だちとかといたのね。
 で、途中でみんなで選挙に行くことになったんだけど、
『私、選挙権ないもん』って言うしかないじゃん。
 みんな知らなくて驚いてたよー。
 結局、投票所の外でみんなを待ってたんだけどさ、
 淋しかったなー」

 そうだった、
 私のようなフラリ在住外国人だけじゃなく、
 国際結婚をしていたって、選挙権はないのだ。
 そしてそのことは、当事者以外
(この場合、彼女のダンナさんの友だちのスペイン人)は
 あまり知らなかったりする。

 かつて、私もそうだった。
 あれは都知事選のときだったろうか、
 友だちに何気なく「ねー、誰に投票するー?」
 と訊いたとき、彼はこう言った。
「いや、俺、選挙権ないからさ」
 彼は在日韓国・朝鮮人だったのだ。


 在日韓国・朝鮮人の選挙権や被選挙権の問題、
 指紋押捺制度問題
(1992年に永住・特別永住者に対しては廃止、
 1999年に全面廃止)、
 帰化制度の困難さ、
 などについて、ことばの上だけでは知っていた。

 でも、スペインに外国人として住むようになって、
 そのあたりのきもちが、
 やっと、少しずつ、想像できるようになってきた。

 スペインに住みはじめてからというもの、
 居住許可の申請と更新のたびに指紋をとられ、
 それのついた身分証を携帯しなくちゃならない。
 申請には、警察署の前の歩道に列を作って、
 雨でも雪でも早朝から何時間も並ばなきゃいけない。
 ドライブ中に免許証の提示を求められたときには、
 日本の免許から書き換えができると知らない警察官に
 偽物じゃないかとしつっこく疑われた。
 そして、
 どれだけ税金を払っても選挙権はないし、
 公務員にはなれない。
 そのあたりは国の裁量だとは思ってみても、
 まぁ、良い気分はしないものだ。


 スペインでは10年居住すれば、
 国籍の取得申請ができる。
 そうすれば公務員になれるし、選挙権も手にする。
 そのかわり、日本が二重国籍を認めていないので、
 スペイン国籍取得と同時に日本国籍を失うことになる。

 別の、やはり国際結婚をしてこちらに住む友だちは、
 スペイン人のダンナさんに、よく
「スペイン国籍取ればいいじゃん、その方が便利だよ」
 と言われるという。そして、それでよく喧嘩になると。
「そりゃそうだよ」、私は、大きく頷いた。
 便利だからといって、
 愛着のある日本の国籍を手放すというのは、
 抵抗があるよ。

 そこで再び、私は思い出すのだ。
 ひょっとしたら私はその在日韓国・朝鮮人の友だちに
 言ってしまってたのではいだろうか?
「なんで日本国籍取らないの?」と。
 もし私が彼だったら、とても悲しかっただろう。
 便利だとか、そういう問題だけじゃないもんなぁ。
 ごめん、ぜんぜん想像できなかったんだ、きもち。

 それに、日本での帰化はとてもたいへんなのだと、
 実際に申請した友だちから聞いたことがある。
 いまはだいぶ容易になったが、
 日本名ではないと帰化が認められなかった時期も
 長かったそうだ。


 あぁ、名前!
「創氏改名」にも原因があるだろうし、
 日本国内での在日韓国・朝鮮人への差別も
 大きな原因だろう。
 とにかく現在、
 在日韓国・朝鮮人の9割くらいのひとが、
 日本名を通名として生活しているという。

 それが、自ら本当に自由に望んでしたものだったり、
 なにも屈託がないならば、問題はないだろう。
 たとえば、通名としてスペイン名を名乗る
 日本人フラメンコ・アーティストもいることだし。

 ただ、これがむりやり、あるいは仕方なく、
 だったとしたら、それはなんと辛いことだろうか。
 たとえば私が
「カナリータ・ユカワリゲス」だとか
 まるっきりスペイン名の
「マリカルメン・ロドリゲス」という
 名前にならなきゃいけないとしたら、どうだろう?
「カナー!」と呼んでくれた、
 母や兄や友だちの記憶までが
 遠いものになってしまうような気がする。

 スペインに住んでみて外国人となって
「オリエンタルの顔はみんな一緒に見える」とか
「名前、覚えにくいからマリアで良いだろう?」とか
 目を横にびーっと細長く引っ張ってみたりとか、
 やっている本人はなんの差別とも思っていない
(ばかりか、親愛の表現と思ってたりする)ことをされ、
 実際に自分が複雑な気分になるまで、
 わからなかった。
「これは差別じゃないよ」、で済ませるひとの冷たさ。
 そう言われた方の、やり場のないきもち。


 マドリードでは毎年7月に、恒例の盆踊り大会がある。
 郊外にある日本人学校の小さな校庭で、
 大人も子どもも食券を握りしめて屋台をまわって
 ふだん口にしない懐かしい焼き鳥や巻き寿司を食べ、
「マドリード音頭」にあわせてわぁわぁぐるぐる踊り、
 1等賞の「日本との往復航空券」を願ってくじを引く、
 そんな、ささやかなお祭りだ。

 その日だけ、スペインの一隅に、浴衣姿の男女が、
 老いも若きも、本当に楽しそうに集まってくる。
 私も、このときにしか着られない浴衣を出して、
 下駄の鼻緒で靴擦れ(?)を作りながら
 たまに出店のお手伝いをしたりする。
「あぁ、久し振りに日本語いっぱい喋ったー!」
 そう、弾けるような笑顔を返してくれるひとがいる。

 ふと、思った。
 もしその浴衣が、通りすがりに切り裂かれたなら、
 どれほど悲しいだろう、と。
 はじめて
 チマ・チョゴリを切られた「痛さ」を想像し、
 泣きそうになった。


 フラリ定住外国人の私と、
 在日韓国・朝鮮人の立場は、だいぶ違うだろう。
 いま想像しはじめてみていることだって、
 とんと見当違いのことかもしれない。

 でも、考えはじめてみよう。
 自分はできるだけ、相手に差別ととられる言動も、
「差別じゃないよ」で済ませることも、なしでいよう。
 それでもうっかりやっちゃったときには、
 こころを尽くして、謝ろう。

「自分にされたら嫌なことは、ひとにするな」

 ……このことばを幼稚園のときに覚えてから
 四半世紀経ってやっと、という遅さだけれど。
 まいっちゃうね、にぶくて。


  カナ






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



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2003-06-26-FRI

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