KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

【泥棒に入られた!】


夕飯の買いものを手に、エレベーターを降りた。
玄関ドアから、光が漏れていた。
「あれ?ダンナさん帰ってきてたのかな?」
最初、そう思った。
手にしていた鍵を挿そうとして、気がついた。
室内の光が漏れているのは、開いたドアからではない。
ドア横の壁が壊されて、ボコッと穴が開いている。
ドアと同じ色だった木枠は手荒に剥がされ、
中の鉄板が、無残にねじ切られているのが見えた。
家を出るときに消したはずの灯りは、
そこから廊下に漏れ出していたのだ。

なにがなんだかわからないまま、ドアを押した。
閉めて出たはずの玄関と居間の間の扉が、開いていた。
靴を履いたまま、室内へと入る。
そのときなにを考えていたか、まったく覚えていない。
ソファーのクッションが裏返されているのが見えた。
足元に茶筒がばらばらにされた状態で転がっていて、
カーペットの上にお茶の葉が散らばっていた。
どの部屋も、まさに足の踏み場もなく荒らされている。
ようやく震えはじめた足を、夢中で進めた。
あれが、なくなっていたらどうしよう。
たまたま先日、年末用に多めにおろしてきた生活資金。
更新手続き中の、取得まで何ヶ月もかかる身分証。
末端価格100万円で売買される日本のパスポート。
祈るような気持ちで、隠し場所に手を入れた。
夢かと思った。それだけ、残っていた。
中身を確認して安心した途端、急に怖くなった。
犯人が、もしまだ室内のどこかに残っていたら?

貴重品の入った袋と携帯電話だけを手に、
今度は脇目もふらずに玄関に向かった。
廊下に出て、ダンナさんの職場に電話した。
悪い夢のようにうまくメモリーを呼び出せなくて、
辛うじて記憶に残っていた番号を直接押す。
ダンナさんが、息を呑むのがわかった。
「すぐ行くから、誰かベシノ(近所のひと)に
一緒にいてもらって!」

そうか。隣の部屋の呼び鈴を鳴らした。
「オラ、オラ、カナです」
いない。しまった、お隣のご主人は仕事の時間だ。
奥さんは、赤ちゃんと散歩に出たのかもしれない。
階段を駆け下り、別の部屋の呼び鈴を押す。
「オラ、オラ」
返事がない。そうだ、ここは空き家だったんだ。
泣きそうになってその隣の部屋のブザーを鳴らす。
「シ?」
いた。事情を話すと、てきぱきと指示してくれた。
彼は私とともに部屋に来てくれ、
妊娠中の奥さんは電話で警察を呼んでくれた。
警察に通報する、
そんなことすらも考え付かなかった。


彼とともに、あらためて荒らされた部屋に入る。
仕事用のカメラ3台と、デジタルカメラがないのが
すぐ目についた。
絵はがきを入れた箱も、
飴を入れていたタイガースマークの缶も、
蓋を開けられ中身を撒き散らされている。
ベッドの上は、服や着物が、タンスの引き出しとともに
盛大にひっくり返されている。
作り付けの整理棚は、どれも扉を開いた状態で、
枠だけを残したがらんどうの姿で口を開けている。
どの部屋でも書類の封筒はことごとく破かれ、
中身が剥き出しで散乱していた。
びりびりにされた封筒から、
姪っ子から届いたクリスマス・カードが覗いている。
それらの異様な光景に、あらためて恐怖を感じた。
20分後、ダンナさんが帰ってきた。

30分後、警察官がふたりやってきた。
ひとりは若い警察官で、事情聴取を担当した。
もうひとりは年配ながら、
『名探偵コナン』の目暮刑事のように恰幅が良い。
「ここは指紋が残っている可能性が高いから
指紋採取担当が来るまで触らないように」
などと言いながら、葉巻を取り出してふかした。
絵に描いたような刑事で、ちょっと笑いそうになった。
指紋採取は被害届けを提出した後、
明朝以降になるとのことだった。
日本なら交番から駆けつけた警察官が
そのまま被害届け作成してくれるんじゃないかと思うと
ここがスペインであることが本当に嫌になった。

1時間後、ダンナさんの上司と仲良いスペイン人が
駆けつけてきてくれた。
私は親友のMちゃん(本のイラストも担当)と
電話で話しているうち、ちょっと、泣いた。

深夜、みんな帰った。
ドアは壊れてしまっていて、ちゃんと閉まらない。
犯人が、もう一度やってくるような気がする。
ダンナさんとふたり、椅子やテーブルを玄関に運び、
ドアの内側に積み上げた。
そして、それらの上にフライパンや鍋を置いた。
誰かが無理やりドアを開けたら、
落っこちて派手な音を立ててくれるように。
とにかくそれだけ終えてから、ソファーに座った。

しばらく、ふたりとも放心状態だった。
足先にカサリと触るものがある。お茶の葉だった。
拾おうとしゃがむと、飴も散らばっていた。
その先に、ガムが吐き捨てられていた。
もちろん、私たちはそんなことしない。
私の動きをぼーっと追っていたダンナさんも気づいた。
「クソッ」
一言叫んで、拳でソファーを打った。


はじめて、日本に帰りたいと思った。
ひとしきり、泣いた。

クリスマスの、一週間前の夜だった。


カナ






『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



ほぼ日ブックスでも
お楽しみいただけます。

もれなく絵はがきが届きますよ。

2003-01-06-MON

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