KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
【日本人に見える】


ワールドカップ、
日本対ロシア戦をラジオ観戦した。

スペイン語であの典型的ラテン調の実況、
つまり川平慈英の100倍くらいの濃さで
「ンゴーーーーーーーーーーーゥル!
ゴルゴルゴルゴル、ゴォォォォォォォォル!」
とやられた瞬間、
ダンナさんと、ふたりだけど総立ちになった。

夜、うれしくてテレビのニュース番組を
追っかけてると、
モスクワの広場が炎上している光景が映った。
日本でもきっと報道されたと思うが、
大型ビジョンの観戦に集まっていたひとが
試合に負けたことで暴徒化し、
75人が負傷、1人が死亡した事件。
アナウンサーは、
旅行客や留学中の学生も被害に遭い、
また日本食レストランが襲われたと言っていた。

怖かった!
他人事ではない。
もし私がサッカーを好きじゃなくても、
あるいは日本で生まれたのではなくても、
ひょっとしたら日本人じゃなかったとしても、
日本人に見えてしまうツラをしている。
それだけで、非常に、ヤバい。


日本人に見えてしまうそれだけのせいで、
いろいろな想像をされてしまう。
機械に詳しいのだろうとか
写真を撮るのが好きだろうとか
男と風呂に入って体を洗ってあげるのだろうとか
小さな手で男に靴下をはかせてあげるのだろうとか
誠実なのだろうとか
Noとはっきり言えないのだろうとか
お金持ちなのだろうとか
いつもニコニコ笑っているのだろうとか
なんだか禅なのだろうとか。

でもって
やいやい鯨を食べやがってとか
現地労働者を見捨てて資本を引き揚げやがってとか、
あの夜のモスクワだったら
こんにゃろサッカーで勝ちやがってとか、
この身に覚えのないことでいささか責められる。

否が応でも
日本人なんだなぁ私、と
感じながら過ごす毎日。


そして時折、私は中国人に見える。
いや、通りすがりのひとからは
Japonesa(ハポネサ)より
China(チナ)、と言われることが多い。

それは「中国人ですか?」という
意味の場合もある。
それなら「いえ、日本人です」と
ごくふつうに答えて通り過ぎることができる。

アジア人全体を指す言葉として
用いられることもある。
アジア人では中国出身のひとが多いし、
だいたいスペインでは
日本が中国の一部だと思っているひとにも
よく遭遇するくらいだから、
これは仕方ない。

たまに、アジア人全体への蔑称として
この言葉が用いられていると感じることがある。
「このチナが」「チナのくせに」
だいたいこんな文脈だ。
この場合はたいがい真正面からは言われず、
通りすがりに吐き捨てられる。
(もちろん、話がもつれた後に
面と向かってあからさまに言われることもある)

その、悪意に。
ハッと凍りつき、
次の瞬間、怒りで顔が真っ赤になる。
ムギギと睨んだって、
もつれる口でなにか言い返したって、
そういう奴らほどちっとも効きやしない。

これが、ぐやじーーーい!!
川平慈英の千倍の強さで強調したい。
そりゃもうぐやじぐでぐやじぐで、
夜もうかうか眠れないほどだ。

スペインは
スペイン人自ら「この国には差別がない」というほど
たしかにあまり陰湿な差別はない方なのだけれど、
一方でたしかにある差別にぜんぜん気づかないくらい
差別的感情に鈍感なひとも多い。
だいたいうれしいけど、ちょっと困る。


日本人に見える。
アジア人に見える。
死ぬまでそうなのだろう。

できるなら
そういう外見的な特徴だけを理由に
殺されたくないんだけどなぁ。

具体的じゃないものに対する悪意は、
剥き出しで、そのまんまで、本当に怖い。

あぁどうか、
ある一定の人種や国民に見えるというだけで
ひとがが強制収容所にひったてられるような
そんな歴史が繰り返されませんように。


カナ 


(ここまで)




『カナ式ラテン生活』
湯川カナ著
朝日出版社刊
定価 \700
ISBN:4-255-00126-X



ほぼ日ブックスでも
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もれなく絵はがきが届きますよ。

2002-06-13-THU

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