KANA
カナ式ラテン生活。
スペインは江戸時代の長屋みたいさ、きっと。

 
【いちばん大切なものはなあに?】


オラ、アミーゴ!
今日も元気で……、あらピンポーンって。
誰か来たごたる。

ドアを開けるとそこには向かいのマテオじいちゃん。
風貌はね、ラテン系をベースにした巻き毛の荒井注。
どえらく派手な黄色い短パンを穿いているのは、
いまからプールに行くからということ。
今日はガスの検針日なので
外出するなら自分で計ってドアに貼っときなよ、と
わざわざ教えにきてくれたらしい。

そう、ガスや水道は2ヶ月に1度検針があるのだが、
担当者がわざわざ家の中に入ってきて調べるのだ。
だからそのたびに
「おはよう! 今日も暑いねぇ」
「まったく。でもおかげでガスの使用量は少ないわよ」
「なるほど。どう、ちょっとビールでも?」
「ありがとう、でもまだ仕事あるから。じゃ、また!」
「おつかれさま、またねっ!」
なんて会話を交わすことになる。
あぁ、ちっともクールじゃねぇ。

とにかくスペイン、
強制的にひとと顔を合わせる機会が多い。
そしてスペイン人と顔を合わせたが百年目、
おしゃべりなしにその場を離れるなんてできやしない。
たとえそれが、挨拶のひとことだけだとしても。

バスでもタクシーでもスーパーのレジでも、
たとえエレベータに乗り合わせただけであっても
目を合わせて「こんちは!」、そんでもって笑顔、
このふたつは欠かせない。
これは"外に出るなら絶対に眉毛だけは描く!"というか
"外に出るなら服を着る"くらいに、当たり前のこと。


見ず知らずのひとですら挨拶と笑顔が必須なんだから、
黄色い海パン姿でご機嫌な向かいのマテオが
用件を告げただけであっさり引き下がるはずはない。

暑いね、どうよ最近は元気かい?
仕事はうまくいってんのか?
観葉植物が大きくなってなぁ、ちょっと分けようか?
そうだ、それがいいや、ちょっと待ってろよ。

マテオじいちゃんは開けたままの玄関へ消えるとすぐに
観葉植物と、それに陶器の皿を手に戻ってきた。
皿の中は、カツオのトマトソース煮。
「今日のはよくできたから、好きならあげるよ。
 でもトマトをちょっとケチったのは失敗だったかな」

マテオは料理があまり得意ではないと言う。
昨年の夏に奥さんを亡くしてから、はじめたのだと。
「ありがとう、今度は私がなんか作るね!」
そう言うと、
心底いとおしそうな顔してムニャアと笑ってから
ガサガサの手で私のほっぺたをムギュウとひっぱった。
あぁもう、なんて素敵な笑顔を向けてくれるんだろう!

もちろん料理は美味しかったよ。
でも次に会ったら教えてあげようっと。
カツオ、少しはウロコ取った方がいいかもねって。


というわけで。
みんなも元気にやってるかい?
今日も、電信柱にまで大声であいさつしてるかい?


さて、一期一会を大切にする、というより
その場に居合わせたらおしゃべりせずにはおられない
ラテン人。

「隣、座ってもいい?」
ビザ関連の手続きを待っていたときに声をかけられた
若くて聰明そうなラテン系の女の子と、
順番が来るまで約3時間も話したこともあった。

彼女は19歳のメキシコ人。
家族のことや学校のことや恋人のこと、
それはもうたくさんのことを話したんだけど、
なかでもとくに印象に残っている質問がある。

「ね、日本人にとっていちばん大切なものってなに?」


うーん。
考えたこともねぇや。
あなたなら、なんと答える?


家族、じゃ、ないよね。
"過労死"で知られる国だもの。

じゃあ仕事とか会社?
大切だろうけど、"いちばん"じゃない気がする。
とくに最近は。

お金?
そういえば中学1年の社会の時間に
「いまいちばん欲しいものは?」と訊かれて
ふたりを除いたクラスの全員がそう答えたよなぁ。
でもそうじゃない、と思いたい。
なので、却下。

時間?
あぁ家電でもなんでも時間節約って大きなテーマよね。
それほどに時間がないんだろうなぁ、日本人。
でも時間を手にいれたあとに、なにをしたいんだっけ。
趣味? 仕事?
家族サービス? だいたい"サービス"って??
いかん、わからんことだらけでちゃんと答えられない。

愛。
なんて言う日本人って、あまりいないような。


あぁなんなんだ。
頭を抱えてだまりこんだ私を見かねたのか、
彼女が5つの選択肢を用意してくれた。

1.家族
2.恋人や夫
3.神
4.夢や希望
5.お金

しかも「"日本人にとって"なんて考えたことないよ」と
泣き言を言ったら、私自身に関してでいいということ。
ワーイ、大サービスだ!
さてさて、どれにしよう。


家族、とは答えられないような気がした。
じゃあなんで親や兄弟と離れて異国にいるのさ、とね。

ダンナさん、とも答えられないなぁと思った。
だって、"中トロの刺身、最後の一切れ"ですら
渡したくないっ!って思って策を巡らすもんなぁ。
ましてや1人用救命ボートをすっと渡せるんだろうか?

神?
えっと、何教だっけか私。
殉教とか、イヤだしな。

夢や希望。
大切だけど、いちばんじゃないよなぁ、たぶん。

お金。
たとえこれが答えでも、口にはしません痩せ我慢。


あららら、どうしよう。
ためしに同じ質問を彼女にしてみたところ、
「メキシコ人にとっては、家族ね。
 私にとっては、神」
と、きっぱりと答えた。
家族や恋人を裏切ったり夢を失ったりしても
神とともに(ここの訳は下手かも)生きるんだって。

すげぇ。
誇り高き19歳を、アホ面でうっとり見つめる私。
さて彼女よりオリンピック2回分ほど長く生きてる私は
なんと答えるべきなのか。


実は
もう二度と会うことがないだろう彼女からのこの質問、
いまだに考え続けているのだ。

今度、マテオじいちゃんにも話してみるか。

2001-07-15-SUN

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