まるで、NASAのようなメディアになりたい?

 第18回 言葉が生まれるところは、どこか。

※今日からは、前回の
 八木亜希子さんとの対談にひきつづき、
 「ほぼ日ブックス創刊記念対談」として、
 吉本隆明さんと糸井重里の対談をお届けいたします。
 こちらも、11月3日イベント日に収録されました。



糸井 ふだん何でもない用事で
お会いしたりしているので、
吉本さんと人前でしゃべるのも、
なんだか変な感じなのですが・・・。

今日はほんとに、足もともお悪いし
ほんとに足もお悪い中、すいません。
来ていただいて、ありがとうございます。
吉本 いえいえ。
糸井 今日のイベントのタイトルを
「言葉はだれのものか」とつけたのも、
何となく、吉本さんが話されていることを
ぼくがヒントにしたような気がするんです。

・・・つまり、吉本さんが
いつもおっしゃっているのは、
「言葉の達人たちのチャンバラの試合は、
 もう、ごく一部のことになっている」
ということなんです。

小説家の華麗な風景描写だとか、
評論家の先鋭的な散文だとか、
そんな言葉づかいのうまさを競うタイプの
「チャンバラごっこ」には、
ほとんど重要性がなくなっている、というか。

つまり、昔と違って、
いまの社会の主人公たちは、
そういう一部の言葉づかいにばかり
心を砕いている人たちとは
関係のないところで、
自分たちの知性を磨いている・・・。

吉本さんが、以前に
そうおっしゃっていたことに対して、
ぼくは、なるほどなあと思っていたんですよ。

そのへんについて、
お話をしていただきたいなぁと思って、
今日は、お呼びしたんですけれども・・・。
吉本 あ、なるほど。
はい。それでは・・・。

ぼくが言葉について考える時には、
言葉が発生する場所が
その時代時代に、どこにあるかを、
まず、見てみようとするんですね。

すぐに思い浮かぶものとしては、
専門的に学問をしたり、
小説を書いたりする、
言わば「専門家」たちですね。
その人たちがあたらしい言葉を使うと、
あたらしい概念が世間に出てきて、
それが流行すれば、一般化していきますから。
そこは、ひとつの
「あたらしい言葉の発生場所」だと思うんです。

ただ、言葉の発生場所は、
そこだけではないですよね。

六本木でも麻布でも、
それはどこでもいいのですけれども、
若い人たちや年寄りが、
街角でおしゃべりをしている時に
勝手につくられるような言葉、もあります。
若い人にしか通じないような言葉が
たくさんあふれていることからも、
それは、言えると思います。

その場合は、必ずしも
何らかの技能を持った人が
言葉をあみだしたわけではないですね。
ごくふつうの人が、生活感覚の中で
勝手にあみだしたものが、
はやってしまって、一般化してゆく。

・・・よくよく考えますと、
あたらしい言葉の生まれる量としては、
専門家があみだしたものよりも、
こうやって、街角で、
何でもないように生まれるほうが、
ずいぶん、多いわけです。

ごく普通に遊ぶ時とか、
散歩をする時とかに発生して、
誰が作った言葉かは、わかんないんだけど、
いつの間にか、流行ってしまう・・・。

そういうケースのほうが、
むしろ多いんじゃないかなと思うんです。

いまみたいな社会の状態だったら
そりゃ、特にそうでしょう?
誰が最初に言いだしたかわかんないような、
そういう言葉のほうが、
「主」なんじゃないでしょうか。
糸井 「主」ですか?
吉本 ええ。ぼくはそう思います。

専門家が
文学作品などで使ったあたらしい言葉が
流布される度あいは、
いま実際には、少なくなっています。
それよりも、街頭で誰かが言いだした、
「そんなに根拠があるわけじゃないけど
 おもしろいから広まっちゃったもの」
が、主になっているのではないでしょうか。
糸井 あたらしい言葉が発生する時には、
その言葉が意味する「ある印象」と言うか、
「あたらしい概念」も、
同時に生まれてるわけですよね。
吉本 そうなんです。
糸井 つまり「ウザい」っていう言葉があったとしたら、
その「ウザい」って名がつくまでは、
「ウザい」ものは、なかったわけですよね?
吉本 はい。
糸井 で、それは、生まれたわけで・・・。
吉本 ええ。
糸井 それは、街の生活のなかから
生まれている分量のほうが、圧倒的に多いと。
吉本 そうだと思いますね。

日本の知識のある人の一部がお手本にしている
ソシュールっていう
フランスの言語学の大家がいますけど、
その人の言語理論というのは、
そういうものでしたね。

「聴覚映像」と「概念」が
言葉を生むというんですね・・・。

つまり、こういうことです。

まず、何かを聞いた時にイメージして浮かぶ、
「聴覚映像」の帯がある。
そしてそのもう一方で、「概念」の帯がある。
そのふたつがうまくどっかで交差すると
言葉が新しく生まれると、そういうことなんです。

その見方からしても、街頭で勝手に
誰が作ったかわかんないような言葉が
あたらしい言葉の源泉になるということは、
よくわかるのでは、ないでしょうか。

では、もう一歩進んでみて、
聴覚と概念の交差があったとして、
なんであたらしい言葉が生まれるのか・・・。

それを考えたのが、
ソシュールの頭がおかしくなっちゃった
原因でもあるんですけど。
糸井 (笑)うわ。
おかしくなっちゃったんですか?
吉本 そう(笑)。
晩年のほうで、おかしくなっちゃった。

(つづきます)   
  

2001-11-26-MON


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