まるで、NASAのようなメディアになりたい?

 第11回 次は、バケモノを見せたいです。


※前々回、前回にひきつづき、
 創刊時の糸井重里の談話をお届けします。

 今回にご紹介する談話は、
 前回までとは違う形式になっています。
 
 と言いますのも、ちょうどぼくメリー木村が
 この談話を聞いていた折に、
 末永徹さん(ほぼ日ブックス『経済はミステリー』著者)
 が遊びにいらしていたからなんです。

 末永さんが、
 いい質問をしていらしたものですから、
 今日の内容については、
 末永さんのの発言も一緒に入れたほうが、
 ハナシがわかりやすくなる、と思いました。

 ですから今回は、末永さんと糸井重里による
 対談形式でお送りいたしますね。ではどうぞ。



     ★     ★     ★
     
糸井 「ほぼ日」でも
「ほぼ日ブックス」でも、あるいは
「熱湯ほぼ日刊イトイ新聞」にしても
(※↑「ほぼ日ブックス」コーナー前回第10回での
   「次の試合が…」のところで説明した新企画)
深さでリンクする、
高さでリンクする、
広さでリンクする、
むちゃくちゃさでリンクする・・・
そんな「リンク」をどう育てていくのかが、
いちばんおもしろいことだと思っています。

ひとりのチカラのある人が、
自分を壊しながら育てていくのは、
とてもおもしろいことですけれども、
ひとりの考えを隅から隅まで
目を配らせてものを作るということには、
実は、「ひとりだけ」の弱さも、
なくはないように考えているんです。

ひとりの考えだけを浸透させたものの
成長って、右肩あがりになるんだけれども、
その成長するグラフの上り調子の傾斜が、
とてもゆるやかなように思うものですから。

わけのわからない人たちどうしの
成長のグラフのほうが、
運がよければ、いきなり1が100になるような
おもしろさって、ありますよねえ。
もちろん、
チカラのあるひとりの人のすることより、
失敗の可能性は、とても高いでしょうけれども。
末永 ええ。
糸井 ほぼ日ブックスに関してしゃべってるのに、
話、どんどん拡散していますねー。
末永 (笑)
糸井 「ほぼ日ブックス第1弾」は、
「あ、こいつらのやろうとしていることって、
 こっちとこっちとこっちの方面だろうなあ」
と、悟ってもらえるようには、
なっていると思うんです。
つまり、第1弾の
ほぼ日ブックスのラインナップでは、
ポテンシャルあるいはカオスを作ったわけです。

第2弾・ほぼ日ブックスの10冊では、
「定まらぬけれども、見えやすいバケモノ」
みたいなものを、作りたいと思うんですよねえ。

そして、
第3弾・ほぼ日ブックスが刊行される時には、
もう、「パオー!」って言いたい。
末永 ははは(笑)。

ただ、イトイさんが言ってた
「雑誌と本の差」って、確かに、
誰かの規制で決まっているだけですから、
差を決めちゃわなくていいですよね。
糸井 法律にあわせて仕事をしちゃ、きっとダメですよ。
だから、さっき少し話したけれども、
誰に向けて何を伝えるかの重要なキーワードは、
「社会の主人公は、誰なんだ」
ということになると、ぼくは思っているんです。

11月3日にやるイベントのタイトルの
「言葉はだれのものか」にしても、
「社会の主人公は誰なんだ?」という問いと
深く関わるものとして、存在していると思います。
末永 知りあいの編集者に、
「今度イトイさんところで
 こういう本を出したんです。
 雑誌と単行本の中間のようなものなんですけど」
と言うと、「ムックですか?」って言われました。
糸井 一応、これまでないものを作りたいから、
そのイメージって、実際に触れないと
伝わりにくいんでしょう。

実は「ほぼ日ブックス」の
「ブックス」という名前にしても、
いきなり独自な名前にするよりも、
「たとえばペンギンブックスのようなものだ」
みたいな、少し前のものと関連づけながら、
イメージのできやすいものを選んだつもりですから。

確実に新しいものだとしても、
最初は古いほうの名前で見せないと、
覚えてもらえないに決まっているので。
末永 そもそも、いまは定着している
「なになに文庫」とかの「文庫」って、
「ライブラリー」って意味ですもんね。
糸井 そうそう。

・・・あ、ライブラリーで思い出したけど、
たとえば、古本屋に本が集まるけれども、
いまって、古本屋は、価値を見てから
本を買い取るというかたちを、あまり取らないよね。
「何冊だから、1冊いくらでひきとります」
っていう本のひきとりかたでしょう?
末永 ええ。グラム単価ですもん。
糸井 そんな時代の知性って、なんだろう?と
前々から思っていたんです。
知性がグラムで取引されている中で、
その大事な知性を、どう扱うか・・・。
それを、提示できたらいいなあと考えてもいます。

ただ、実は一方で、ぼくは
「ほぼ日ブックス」上で求めているものに関して、
少し遠慮がちに喋っている面もあるんですよ。

それは、なぜかと言うと、
楽しい時間を過ごすためではないかもしれないけど、
「一生かかって一冊しか出せないような本」って、
やっぱり、価値があると思っているから。

おなじ本というくくりですけれども、
そちらの「一生、一冊」の方に関しては、
ぼくはまだ
タッチできてはいないから、
断言をすることは避けようと思っているんです。

通じさせるための本っていうのは
思いっきり出せるんだけれども、
「通じなくったっていいけど、
 これがなかったら、たいへんだった」
という本って、俺が読んできた中でも、
確かに、大事なものとして数冊あるもん。
末永 ああ、なるほど。
糸井 そこの「一生、一冊」のゾーンを
これからどう触っていくかという
課題も、ありますね。

まあ、これだけ、
ぼくらが本を出したかったイメージを
くっきり話したって、たとえば、
「結局、本を出すという
 ビジネスをしたかったんですね」
なんて、全然理解をしてくれない感想まで
メールで受け取っているんだから、
わけがわからないんだけど。
末永 そりゃ、まあ、
『結局』って言う人は、だいたい、
「結局、死ぬために生きてたんですね」
って指摘するようなもんですから(笑)。
糸井 (笑)ふふふ。
そういう、文句を言いたいがために
言ってるような話って、つまんないよね。
末永 ええ。
糸井 まあ、そういうメールにも
たまに触れるからこそ、
「俺はそうじゃない考えかたをしよう」
と思えることもあるので、
俺は、毒なメールっていうのにも
勉強をさせてもらっていると、
このごろ、思っています。
末永 反面教師としては、そうでしょうね。
「こうなっちゃいけない」っていうのが
明確にあるというのは、良いことなんですよ。

(ここでひとまず、
 3日連続の創刊時雑談をおわります。
 次回のほぼ日ブックス創刊コーナーの更新を、
 楽しみにしていてくださいませっ)

2001-11-03-SAT


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