まるで、NASAのようなメディアになりたい?

テレビを観るような、ともだちと雑談するような、
「読む時間そのもの」をサービスしたいと思いました。
変化しつながり動くメディアを目指して、
11月から、朝日出版社と出版の冒険をやっていきます。

ふつうに暮らしているんだけど、
捨て鉢になっていない人たちが
自立して生きていくために必要な、
釣り針やなんかを配ります。

創刊プランのすべてが、まだ見ぬおおぜいの方々の
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さまざまなかたちで、
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  第1回 ほぼ日ブックスもうすぐ発売です!

  第2回 ほぼ日ブックスに、問われるものは。

  第3回 販促会議の様子&表紙できたよ!

  第4回 90分を、わたしにください。

  第5回 創刊記念イベントにご招待!

  第6回 ほぼ日仲間が、小旅行します。

  第7回 異物感がありますよねえ。

  第8回 柳井さんがイベント参加です!

  第9回 社会の主人公を探すための旅に。

  第10回 次の試合が、はじまっている。

  第11回 次は、バケモノを見せたいです。

  第12回 ほぼ日の仲間が小旅行!(予告篇)

  第13回 奇妙なイベントの詳細をお知らせ!

  第14回 ほぼ日の仲間が小旅行!(本番)

  第15回 どうして、しゃべってしまう?

  第16回 相手の味が出ればいい、というか。

  第17回 フェアであることのほうが、大事。

  第18回 言葉が生まれるところは、どこか。

  第19回 まっとうだから、頭がおかしく。

  第20回 吉本さん、そうとう気にしてますね?

  第21回 テレくさいんですよ。

  第22回 もう、やけっぱちだぁ。

  第23回 言葉はみんなのものなのだ。

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 第24回 わからない言葉を、解体してしまおう。

(※前回にひきつづき、ほぼ日ブックス創刊イベント、
  橋爪大三郎さんによる講演を、お届けいたします)






「では、つづけましょう。

 わたしの生まれた時には
 すでに言葉はあったのですが、
 その言葉は、いつからあったのでしょうか。

 最初に言葉を話した人間がいたはずです。
 もし、言葉の著作権というものがあったとするならば、
 言葉は、その人のものなのです。

 吉本隆明さんによると、その人は海を見て
 『う』と言ったことになっていますね。
 ・・・あ、みなさんご存知でしょうか? 
 これは、吉本隆明さんの
 『言語にとって美とはなにか』という本に
 書いてあったことなんですけれども。
  
 わたしたちの若いころは、みんなこの本を
 なめるように読んだものなのです。

 その第1章に、言語学が手をつけていない、
 言葉の発生の現場について
 吉本さんはお書きになっているんです。
 それは非常に有名な箇所なんですけれども
 最初に言葉を話した人は、
 海を見て『う』と言った、というんですよ。

 なぜ吉本さんは、その人が最初に
 海を見て『う』と言ったということを
 ご存知なんだろうか・・・これは疑問ですね。

 わたしの答えはこうです。
 吉本さんは海を見て『う』と言ったかたの
 直系のご子孫なんです(笑)。
 で、吉本家に代々言い伝えられているわけですね。
 だからソシュールなどの
 言語学者が言わなかったことを、
 書いていらっしゃるんですね。
 ・・・すごいんです。

 そこで、わたしが考えたのは
 『言語にとって美とはなにか』には
 書いていない、その次のことなのです。
 海を見て『う』と言った彼は
 そのあと何をしたのだろうか。
 ・・・私は社会学者ですから、
 つい人間関係を考えてしまうんです。

 海を見て『う』と言った彼にも
 親兄弟などがいっぱいいたでしょうから、
 『う、う、う・・・』と、いろんな仲間に
 言ってまわったにちがいない、と私は思います。

 でもまわりの仲間たちは、
 海を見て『う』なのか、馬を見て『う』なのか、
 ウンチをしたくて『う』なのか、
 どれだかわかんないな、ハテナハテナハテナ?
 と、思ったのではないでしょうか。

 『う』だけじゃあ、言葉にならないんですよ。
 もしかしたらサルだって
 たまには『うー』と言うかもしれない。
 『う』のほかに『あ』とか『お』とか
 いろんなものがあって、分節して、
 海のほかに山や空もそこにあって、
 それではじめて言葉になるんです。
 ですから、吉本さんの、
 海を見て『う』と言ったというのは、ですね、
 あれは見てきたようなウソであると、
 断じてしまいたいわけですね(笑)。

 ちなみに吉本さんの
 『言語にとって美とはなにか』での
 このあとの展開を
 簡単にご紹介しておきましょう。
 吉本さんの理論では、言葉にはおもに
 ふたつのベクトルがあるというのです。
 まずは、『何を言いたいのか』というベクトル。
 これを自己表出といいます。
 そこから90度の方向にのびる
 もう一方のベクトルは
 『何のことなのか』という、意味を示す言葉で、
 これを指示表出といいます。

 自己表出と指示表出というベクトルの
 90度の平面のなかに
 すべての言語がおさまるという理論を
 吉本さんはお立てになったのです。
 そして、これはすばらしいアイデアだと思うんですが、
 そのベクトルの平面のなかに品詞を並べたのです。

 指示表出性が強いのは名詞、
 自己表出性が強いのは感嘆詞、
 それから形容詞はこのまんなかで、
 副詞はこのへんで、動詞がこのへんで、というように、
 人間の言葉に品詞があるということについて
 ソシュールにも全然ないような理論を
 お立てになっている。
 私ははじめてこれに触れた時、
 目を剥がれるような思いがしました。

 海を見て『う』と言っただけではなく
 言葉は『う』以外にいろいろあると
 先ほど言いました。
 動詞や名詞など、品詞というものがあって、
 構造がないと言葉にならないだろうなと
 思うんですよね。
 そこがサルの鳴き声なんかとは
 ちょっと違うところなんです。

 ここで、ソシュールと吉本さんの意見を足すならば、
 どんなに簡単な言葉であっても、
 言葉はあるときいっぺんにできたはずなんです。
 いっぺんに、まとまった、
 意味のあるシステムとしてできたんです。

 けれども、その、
 言葉ができた瞬間というものを考えようとすると、
 わからなくなっちゃうんですねぇ。
 気をつけないと、わたしもソシュールみたいに
 なってしまうんですけれどもね(笑)。

 言葉を使った瞬間に知性ができた。
 ・・・で、人間ができた。
 で、仲間を「みんな」と呼んだ。
 
 だから、言葉はみんなのものなんです。

 いま私が研究課題としている、
 研究課題・・・そう言っても、
 ここで研究課題にしただけで(笑)、
 明日になれば忘れちゃうかもしれないけれども
 前から気になっていることをひとつだけご紹介します。
 『いま私たちが知っている言葉と、
  最初に言葉ができたときの言葉は
  まったく同じなのだろうか?』
 という疑問です。

 人間の知性と、
 人間になる前のチンパンジーや
 オラウータンなどの知性との中間に
 存在する知性はあるのだろうか。

 つまり、人間の知性よりは簡単で、
 動物の知性よりは
 進んでいるような知性があるのかな、
 と、気になってしかたがないんです。

 人間への進化というのは、
 まず『サル』がいて、
 立ち上がって『直立猿人』になるんです。
 直立して百万年くらい経つと、
 ピテカントロプスなどの『原人』になります。
 数十万年たつと『旧人』になるんですね。
 ネアンデルタール人になるんです。
 また十万年くらいすると『新人』になります。
 クロマニヨン人っていうのなんですけれども、
 これはいまから4万年前なんです。
 これは現生人類と呼ばれてて
 現在の人類と同じなんです。

 この流れに平行して、彼らが作る石器があります。
 石器というのは、石をガーンと割って
 ちょうどいいカタチになったので
 『じゃあこれを使おう』と、
 そういうことで作られたのがはじめらしいです。
 これを石核石器といいます。
 これに対して、剥片石器というのがあります。
 これは、石をガーンとやるところまでは同じなのですが、
 今度はかけらをコンコンコンコンやって作るんです。

 ・・・これ、進化しているんですね。
 石核石器ならね、偶然叩いてみて、
 ああちょうどいい、だから石器として使う、
 ということがあり得るでしょう。
 剥片石器の場合には、
 1回目の打撃のときには剥片になるから
 2回目の打撃をしなくちゃいけないってことが
 わかっているんですよ。

 もう、技術ですね。
 それはつまり、知性でしょ?
 このように、
 直立猿人、原人、旧人、新人の作る石器は
 みんなちがうんです。
 ということは、知能もちがうんじゃないかな。

 石器は残っているからわかるんだけど、
 言葉は消えちゃって、残っていないから何の証拠もない。
 何の証拠もないけど、石器と同じように
 いま使ってる言語の前にちょっと簡単な言語があって、
 もうちょっと簡単なのがあって、
 それからうんと簡単なものがある。
 そして、最後に動物の言語がある。
 これは言語というか信号ですけどね。
 こういう段階があっていいんじゃないかと思う。

 もし、この中間の言葉があるんだとしたら
 失われていても再現できるんじゃないかと思います。
 再現できると、何がいいかというとね、
 例えばアイボというものがありますけど
 中間の言葉をアイボに覚えさせたりなんかして、
 日常言語で機械とコミュニケーションが
 できるようになります。

 いまは人工知能に直接私たちの言語を
 覚えさせようとしているから
 非常に困難なんですけれども
 こういう中間的なものを覚えさせて
 実用化できるんじゃないか、とか
 そういうことを思っていたりするんです。

 ・・・ああ、もう時間がありませんね。
 ここで、結論です。いきなり結論(笑)。
 『みんなが言葉を共有するんじゃなくて、
  言葉を共有するからみんなができる』
 というのが、わたしの説です。
 言葉がないと『みんな』という世界がない。
 社会がない、みんなもいない・・・。 
 わたしの人生もない、ほぼ日ブックスもない(笑)。
 はい、こういうふうになっているんですね。

 言葉が、みんなをつくるんです。
 みんなをつくることができる言葉とは、
 わかる言葉、共感できる言葉、同意できる言葉、
 ・・・そういう言葉です。

 逆に、わかんない言葉や難しい言葉は
 『わかる人とわかんない人』という垣根を作ったり、
 言葉を使う本人もその言葉をわかっていない場合には
 やたらに混乱を生みだしてしまうという、
 こういうマイナスの作用しかないわけです。

 そこで私は考えていることが3つあります。

 まず、その1。
 『わかんない言葉は警戒しよう』。
 みんなを分断するからです。
 わかんない言葉を振りまわしているのは、
 たいていよくない理由からだという現象があります。

 ほんとに難しいことは
 難しく言わないといけないかもしれないんですよ。
 でも、やさしく言うことや普通に言うことを
 わかりにくく言うことは、
 わたしは犯罪だと思っているんです。

 ですから、わたしはそういう精神でものを書いているし、
 もし、不必要に難しいことを書いているものがあったら
 わたし流に簡単に書き直してしまう、
 ということもやっています。

 まあ、あんまりやってると時間がかかるから
 めったにやらないんですけど、ときどきやります。
 そのうちそういう本、書きますよ。

 その2。
 『わからない言葉を振りまわす人は警戒しよう』。
 それは権力を生み出すから。
 これはお話するとすごく長くなっちゃうから
 また別の機会にしますね。

 その3。
 『わからない言葉をとことん追いつめて、
  その言葉を解体してしまおう』。
 わからない言葉がひとつひとつつぶれていくと、
 わかりやすい言葉ばかりになっていきます。
 そうするとそれは『みんな』というものをより強く、
 強固に生み出すことになるのです。
 このように3つのスローガンを、
 『わからない言葉退治』ということで、言いました。

 今日ずっとここでお話を聞いていると、
 ほぼ日ブックスも
 ほぼ同じ感覚のところで書かれているみたいなんで、
 仲間かな、という気がしますね。
 それじゃ、このへんで、どうも。
 ありがとうございました」
 
 
(※橋爪さんによる講演は、ここでおわります)
 








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2001-12-07-FRI

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