The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。

02 予想図


糸井 「A to Z 」という展覧会を見終わって、
まず素直に、おもしろかったという感想です。

奈良 ああ、よかった。
糸井 おもしろかったなー。
これ、そこにいる人が影響し合ってますよね。
人に助けられてるっていうのかな。
ボランティアの人が生き生きしていることもそうだし、
見てるお客さんの楽しそうな感じっていうのも、
ほかのお客さんに影響を与えてるし。
お客さんのいる展示物をこっちが見て、
向こうからも同じようにこっちを見てるっていう
相互見物みたいな状態になっていて。
奈良さんは、最初からそうなるように、
指揮者みたいな気持ちでつくってるんですか。
奈良 ある程度は、そこにいる人も
作品の要素になるなって考えてます。
だから、人がいないときに見物すると、
たぶんかなりさびしく見えると思う。
窓越しに人が見えたりとか、
上のテラスから人が見てたりとか、
そういう人がたくさんいる広場を上から見るとか、
そういうこと全部が全体の要素になってるから。
糸井 大きい要素だよね。
あと、ふつうの展覧会っていう枠組みで考えると
はみ出すものがいっぱいある。
いくつタブローが出展されてるかっていう
発想ではまったくとらえきれないんですよね。
ノートの切れ端も、彫刻も、
それが飾ってある施設も全部同じ作品。
レコードまで飾ってあるし。

奈良 そうなんですよね。
オープニングのときの記者会見で、
「作品点数はどのくらいですか」って訊かれたんだけど、
作品点数なんてわかんないし、
この展示会にとってはぜんぜん重要なことじゃない。
そのへんを説明するのがすごい難しくて。
糸井 展示を実際に見に来た人には、
そういう奈良さんの気持ちがわかるでしょうね。
奈良 逆に言うと、「A to Z 」というのは
ぼくたちがつくる展覧会じゃなくて、
これを見に来た人がつくる展覧会なんです。
見に来た人のぶんだけチョイスがあるっていうか。
だから感想を聞くとみんな違うだろうし、
好きな小屋も違うだろうし、
本当に見に来た人がつくる展覧会だと思う。
糸井 案内してもらってるときに、
「ここは行き止まりの、なんでもない場所」
って言われたところがあったんだけど、
そのなんでもない場所っていうのも、
「なんでもない場所」って言われた途端に
ある意味では作品じゃないですか。

奈良 そうですね。
糸井 その空間に行くっていう楽しみがあって、
そこまで楽しめるっていうのは、
やっぱり「作品数は何点ですか?」
っていう発想からはありえないですよね。
奈良 そういう既製の展覧会とは
まったく質の違う展覧会なんです。
ふつうの展覧会の、白い四角い壁で囲まれた空間に
どの作品を何点展示しようかっていう発想だと、
どういう展覧会になるかを予想できるんですけど、
「A to Z 」の場合、どうなるかっていうのは
つくる側でさえわからない。
糸井 図面を見て「こんなふうにつくろう」みたいなことは、
ある程度はやるんですか。
奈良 ある程度はやりますけど、
実際に端っこからつくっていくと、
つぎにつくる場所の予定がどんどん変わっていく。
実際につくると、窓から覗くときの視点の問題とか、
その場でわかってくることがいっぱいあって。
臨機応変にその都度その都度、変えていくんです。
糸井 ということは、起承転結の「結」はわかってない。
奈良 わかってないです。
わかってないというか、あえて決めない。
起承転結の「結」まで、つまり完成予想図まで決めちゃうと、
それに向かって突き進むだけで、
それで100%の展示ができても、100%にしかならない。
でも、つぎに何があるかわからない状態で、
その都度その都度、目の前の問題を乗り越えることで、
いつのまにか100%を超えることができちゃう。

糸井 完成まで、
ずっと動機が維持できるという言い方もできますね。
全体をつくるのに5ヵ月かかったそうですけど、
「5ヵ月しかかからなかったの?」
っていう驚き方もできるし、
「5ヵ月もかかるんだね!」っていう驚き方もできる。
奈良 うん、両方入ってますね。
糸井 と、同時に、
「まったくわかんないでつくってるわけじゃない」
ってとこもまた、ありますよね。
奈良 そう。
完成予想図のビジュアルをはっきりイメージできないだけで、
その「見えない完成図」は、はっきり決まってるんです。
それがあるかないかの違いは大きくて、
それがあるから、あるとき急に、
バシッと完成予想図が見えることがある。
全体っていうのは見えなくても。
そういう感じで、ひとつ小屋をつくっては、
またひとつつくるという感じで。
で、ある程度何個か小屋をつくった時点で、
またイメージしてた予想図と違う予想図になっていく。
それがまたおもしろいし。
糸井 小屋ごとっていう発想にしたおかげで、
それがすごくやりやすくなったとも言えますね。
連作短編集じゃないですか、言わば。

奈良 うんうん、そうそう。
短編で連載しているうちに
結末っていうのは決まってなくても、
わかってくるんですよ。
糸井 ジブリの宮崎駿さんが
やっぱり、同じつくり方をしているんですよ。
ストーリーは、描いてる都合で変わっていくんで、
どうなるかというのは、本人にもわかんないんですよ。
とりわけ『千と千尋の神隠し』というのは
そういうつくり方をしたらしいんですね。
奈良 映画なんかでも、シナリオの順番に撮って行く人と
ばらばらに撮って組み合わせる人がいますよね。
たとえば是枝裕和監督の『誰も知らない』なんかは、
順番に撮っていって、しかも、
大まかなストーリーは決まってるけど
ディテールがまったくわからないってう状態から
その場その場でつくっていったそうです。
そのあたりは、自分と似てるかなと思いますね。
糸井 順撮りってものすごく「手仕事」なんですよね。
つまり、パーツに分けられなくて、
ひとつひとつが変化していく。
それはこの展覧会にも、感じますねえ。
奈良 まったくそうでした。



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2006-10-05-THU

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