53
矢沢永吉、50代の走り方。

第18回 女性にとっての50代。




(※現在発売中の矢沢さんのシングル『鎖を引きちぎれ』は、
  83歳の矢沢永吉を想定したCDジャケットになっています)



人間って面白い。墓の場所まで想定する。
人間の生きているざまには、ひとつの絵がある。

自分が入る墓の場所を、いったい
どこにしようかと考えて、オレたちは生きている。
そんなふうにものごとを見ているヤツのほうが、
きっとよく働くのだろう。

オレたちはサーモンと一緒だ。
いつか必ず帰るんだよ、って
ものがあるから、人間、がんばれる。

いろいろ思うことがある、見たいものがあった、
話したい人がいた、ちょっと触ってみたいものがある、
だから外国に出る。チャレンジする。大いにけっこう。

人生は長い旅をしているみたいなものだ。



      『アー・ユー・ハッピー?』(日経BP社)より








(※今回は特別に、婦人公論の打田いづみさんと、
  ライターの福永妙子さんにお話をうかがいます。
  なぜ、「53」にこの方たちが登場するの……?
  理由は、インタビューを読みおわるとわかるので、
  楽しみに読み進めてくださると、うれしく思います)



ほぼ日 こんにちは!
打田
福永
こんにちは〜。
ほぼ日 おふたりは、先週に出版された
『経験を盗め』(糸井重里・中央公論新社)
のもとになる「婦人公論」での座談会を、
4年間も編集されていらっしゃいますよね。

打田 ええ。
来週も、次のお題が待っています。
今度のテーマは「ひとりっこ」なんです。

福永 ほぼ日がはじまる数か月前から、
ずっと、糸井さんに連載していただいてます。

ほぼ日 この婦人公論での座談会は、糸井重里の
「ひとりの生きた人間が、
 考えたり学んだり試したり失敗したり
 喜んだり悲しんだりした事実が
 伝えてくれる情報というものは、
 とてつもない説得力を持っている」
という考えが、もとになってますよね。

福永 はい。

糸井さんが、『経験を盗め』の
まえがきで書いてくださっているのですが、
「わたしたちは、ふつうに暮らしていると、
 一生のうちにものすごい数の人と会う。
 ただ、いくら人数が多くても、
 会える人のほとんどは、
 自分と似たような経験をしてきた人である」
という……それは、そのとおりです。

この座談会では、毎回、
ほんとにふだんならとても会えないような
特殊な分野の専門家の方にお会いできるので、
ほんとうに得難い経験になっているというか。

ほぼ日 それだけたくさんの人の経験を
聞いてきたおふたりに、今回は、
「年齢や経験を重ねるということ」
をうかがいたいんです。

打田 え? どういうことですか?
ほぼ日 例えば、ですけど……。

「ゴールが見えるから、
 人間は走り続けることができる。
 でもオレはゴールを走り抜けてしまっていた。
 オレは苦しかった。
 オレは日本を離れたいと思った。
 ただもう、『エンプティ』という感じだった。
 むなしかった。からっぽだった。

 二十年近く前のあのころから、
 ただ単にキャーキャー言われるんじゃなくて、
 どういう年のとりかたを
 しなければいけないんだろうとか、
 どういうロックシンガーで
 いなきゃいけないんだろうとか
 考えるようになった」

これは矢沢永吉さんの書いていたことですが、
これを読むと、なるほどなぁ、というか、
矢沢さんの経験してきた足どりや、
苦しんだ間に考えていたことというのは、
あとの人にとって、
得難い財産になっているような気がするんです。

自分より前に、自力でいろいろ悩んだ人の
肉声って、とても貴重ですので。

福永 ええ。
ほぼ日 婦人公論の座談会に登場したかたがた
100人ほどの平均年齢を調べてみたら、
これが、だいたい、50代中盤でした。
矢沢さんや糸井の年齢と同じぐらいなんです。

だから、おふたりに、
この4年間にたくさんお会いした方々の
経験に接して思うことを話していただく、
というのは、いま「ほぼ日」の
「53」というページで特集してる
「50代の走り方」というテーマに、
すごくあっていると思っているのですけれど。

打田 平均年齢が高くなったことについては、
「あるテーマに関して、
 そのことをよく知っている人」
というモノサシで人選をしますから、
かならずしも年輩の方を
選んでいるつもりはないんですよ。

ただ、確かに、年齢を重ねている方の話って、
奥深いという気持ちは、ありますね。

ほぼ日 ふだんは、矢沢さんに関わることについてを
中心にページを展開しているのですが、
今回だけは「53」の年齢についてを中心に
特集をしてみようかと思っています。

打田 ただ、わたしなんて、年齢について
語るのはまだまだおこがましいトシですけど……。

でも、敢えてここで言うことがあるとすれば、
ある人が、すごく一生懸命に
やっていることだとか、興味のあることについて
正面から話していただくということは、
いづれの人でもおもしろいなぁ、と実感しています。

それは、本気であることのかっこよさだったり、
本気であるがゆえに持っている
遊びの部分がすてきだったり。

ある特定の道を極めようとしている方特有の
「筋の通った感じ」というのは、確かにあります。

福永 みなさんに共通しているのは、
「ひとつの対象に対して、並々ならぬ、そして
 決して強要されたものではない強い情熱がある」
ということですね。
ほんとに、好きでやってるんだなぁ、と言うか。

ひとつのことを一生懸命研究している方たちの
そのほんの一端を、わたしたちは
2時間や3時間という短い時間で聞くわけですが、
短時間であっても、お話を聞けることが
非常にチャンスでもあるし、貴重だなぁと思います。

ふつうの家で、
おじいちゃんおばあちゃんに聞ける
経験というのも、あるのかもしれませんけれど、
なにぶん、独特のテーマを、
何十年もやってこられた方の話ですから。

ほんとに、滋養の「滋」って言うか、
滋味にあふれている感じが、何か、
話しぶりにもあらわれているんですよ。


ひとつのことを言うにしても、
長年の裏づけがあって、その裏づけは
表には出ないんだけど、ひとことを聞いた時に
確かにこちらが「あぁ、そうだよなぁ」と思わされる。
その説得力がやはりすごいですね。

しかも、情報として古いわけではなくて、
たとえば「天気」というテーマで登場された方は
地球温暖化に対して正面から異論を述べていたりと、
アクチュアルな研究をされているんです。
経験と最先端とが
プラスされているのがおもしろいです。

それと、
「自分にとってはそれが自然だから」と
何気ない風にしているけれども、
いざこちらが聞くと
すごい生き方をされている人
も多かった。

たとえば、「記憶」という回に
登場なさった、ものすごい記憶力の持ち主の
樋口清美さんという方は、
視覚に障害があるからこそ、さまざまなことに
集中する癖がついているそうなのです。

「厚さ5センチの英和辞典は、
 点字に翻訳すると100巻本にもなるから、
 点字で英和辞書を引くというのは大変で……」

というお話を聞いて、びっくりしました。
点字の英和辞書は、
アルファベットの「S」だけでも11巻ある。
だから、そんな大変な「辞書を引くこと」を
したくないから、必死になって単語を覚えると。

打田 あの話を聞いた時には、ふだんわたしが、
「あれ忘れた、これ忘れた」
なんて、ぼけたことを言ってることに対して、
ムチを打たれたような気がしましたもん。

福永 ほかにもそんな方は、いっぱいいらして。
例えば、メイキャップアーティストとして一流の
大高博幸さんは、今でも、朝起きたら、とにかく、
まず何よりも先に日焼け止めクリームを塗るそうです。

「朝刊を取りにいく頃は、
 ちょうど近所のおじいちゃんおばあちゃんが
 散歩してる時間なの。
 ちょっとのつもりの立ち話が長引く。

 そのとき、サンスクリーンをぬってないと、
 新聞かざして、朝日が
 顔に当たらないようにしながら、
 早く話を終わりにして、と、
 つい思っちゃうでしょう?
 そんなふうに話を遮りたくなる自分がイヤなの。

 おばあちゃんたちと話すことで嬉しくなったり、
 昨日から引きずってたストレスが消えることもある。
 向こうも僕としゃべるのが好きみたいだし。

 なのに、日焼けが怖くて
 話を切り上げなきゃなんて、
 相手に対しても悪いし、
 それは結局、自分にも返ってくることでしょう」

このお話はすごいなぁと思いました。
話のテーマはメイクのことだったり
日焼け止めのことだったりするんですけれども、
その裏にある心根みたいなものを感じられた。


大高さんの心がけって、
日焼け止めクリームひとつをとってみても、
あらわれてくるんだ、すごいなぁと思いました。

ほぼ日 おふたりとも、ホームグラウンドが
婦人雑誌ですので、例えば、
女性が年齢を重ねることに関わる特集を、
たくさん作られてきたのではないでしょうか。

打田 「婦人公論」の特集はいろいろ作っています。
福永 取材で、年輩の女性の方に
お会いする機会はありますね。

ほぼ日 たとえばどういう方が、
年輩の女性としてすてきですか?

福永 吉行あぐりさんのような
90代の方にお会いすると、
元気になる、なんてよく聞きます。

どうしても、トシを取るというと
マイナスマイナスで考えてしまうけれども、
そういう方にお会いすると、
「得るものもあるんだよ」
そうやって実感できると言いますか。

そもそも、年齢を重ねることに対して
「価値」を見つけられたならば、
年齢を重ねることは、こわくないと思うんです。
ただ、なかなかそういうモデルを
獲得する機会がないんですよね。

著名なかたである必要はないんですけど、
「トシ取るってかっこいいじゃん」
「いろんな年齢の重ねかたがあるんだな」
と思える人に会える機会が、
ひとつでもあると、いいですよね。

ほぼ日 打田さんは、雑誌の「婦人公論」で
さまざまな企画を作っていますが、
女の人の50代って、どういうものだと思いますか?

打田 まだ自分が経験していなくて言うのは
何なのですが、50代は、変わり目だとは思います。
身体の面で「更年期」ということがありますから。

福永 女性の場合は、それが大きいですよね。
打田 「更年期は第2思春期」という言葉じゃないけど、
いろんな意味で、女性は変わったりしますから。

もちろん、50代の中でも、
更年期の症状が
強く出る人も出ない人もいますし、
出る時期も人それぞれなので、
そうした実感は、多少、
変わるとは思いますけれど。

福永 更年期を過ぎて、
50代なかばを越えると、
30代から40代までにあった迷いから
解放されるだとか、落ち着いてものを見られるとか、
そういうことは、精神的にあるかもしれない。

打田 家庭を持っている人なら、50代は
家庭のかたちが変わっていく時期だと思うし、
お仕事をやっている方なら、
かなり地盤が固まっているはず。

変わり目なのか、迷いどきなのかは
わかりませんけれども、「婦人公論」で
「年齢を重ねるコツ」みたいな特集をして
いろんな人の話を聞いてみると、
「50代って、なんか充実しているよ」
とおっしゃるかたは、
案外、多いような気がします。

ほぼ日 たとえば、どういう話なんですか?
打田 作家の河野多惠子さんが、以前に、
「50代はすごく面白い」とおっしゃっていました。
「戻るなら、50代だわ」と。

福永 年輩の方で、50代を過ぎた女性、
70歳や80歳のかたがたの中に、
「50代って、いいわよね」
とおっしゃる方が多いと思います。

「過ぎてみると、30代40代の
 ガムシャラだった自分も愛おしいけれど、
 その頃はほんとうにいろいろとたいへんで、
 戻りたいかというと、そうでもない」と。

50代には、子どもも手を離れて
自分の時間を持てるようになったり、
まわりのことを見まわすことができるように、
はじめてなると言いますか。
そういう意味で、女性の70代や80代の方が、
「50代っていいわよ」
と、おっしゃるんだと思います。


(※女性にとっての50代というテーマはいかがでしたか?
  次回はまた、いつもながらの「53」を、お届けです!)

2002-08-12-MON


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