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矢沢永吉、50代の走り方。

第8回 一生懸命になれる才能。








ある場所では
恥部をぜんぶさらけだして泣いてるヤツが、
次の朝起きたら、パッと変わってバッチリ決めてる。
そっちのほうが、ドラマチックだよ。

その逆の、
「男として張るのもミディアムで、
 恥部もあまり見せないでミディアムで」
というのは、つまらないと思う。
かっこわるく映るのが命とりだって
マスコミが盛りあげまくってるけど、それ、まちがい。
かっこわるくて、いいじゃない。

10代の子どもが、かっこいいわけがないんだよ。
それをマスコミが
「かっこわるいのはダメだ」と言う。
本人もそう思う。ダチもそう言う。女も言う。
「かっこわるかったら、オレはモテないんじゃないか」
強迫観念で悩んじゃう。勘違いをおこしてるわけです。

かっこわるい時期が、
実は、ほんとうは素敵なのに、
「ほんとうの素敵とは何か」
ということが、わかっていないから、
かっこわるいことを、命とりだって思っちゃうんだ。

でも、そうじゃない。
かっこわるさを堂々とさらして
思いっきり走っているほうが、
ほんとうは人間としては素敵なのよ。

……そう思いません?

いちばん大事なことは、
何かに思いっきり夢中になるものがあったのか、
触発されたことがあったのか、ということのほうで。
それで、マジな気持ちで走ったヤツは、
黙ってても、歳とともに、かっこいいドアを
何枚も何枚も開けているんだから、心配ないわけだ。


               「YAZAWA'S DOOR」
              過去の音声インタビューより





(※「ほぼ日」糸井重里へのインタビューです)


糸井 永ちゃんって、
天才的に一生懸命になれる人、ですよね。

才能というものがこの世にあるとすれば、
彼がいちばん大きく持っている才能は、間違いなく、
「一生懸命になれる才能」だと思います。

一生懸命になることができるってスゴイことで、
これは案外、「才能」かもしれないですよ。
すごいなぁと思う人には、みんな、
この才能がバッチリ備わっていますよね。
永ちゃんの、あのしぼり尽くすような一生懸命さは、
もう、一度実際に見たらよくわかると思います。

すごくいいなぁと思うのは、
永ちゃんが、斜に構えていないところです。
斜に構える時代が、日本も若者も長かったけれど、
今はもう、斜に構えていても説得力がないですもん。
「オレと一緒に、サボろうぜ」
という主張って、その人の小ささを白状させちゃう。

自分の思いを実現させる時に、
いろんなアプローチがありますよね?
言うことを聞かない子どもがいた時に、
いちばんかんたんなのは、殴ることや脅迫すること。
でも、そういう暴力を使わないで相手に何かを伝えて
気持ちを動かすということは、とても難しいんです。
だから、町中に
「これ買わないとだめですよ」
とみんなを脅迫に追いこむ手法に満ちている。

でも、できるだけ暴力や脅迫を使わないほうが、
相手とほんとうに心がつながれますよね。

いろんな人が世の中にいる中で、
永ちゃんが思いを通すために考えた方法は、
「とにかくオレは、一生懸命にやるよ」
ということだったんだと思う。
そういうところが、すごくいいなぁと感じる。

ほぼ日 なるほど。

さきほどの年齢の話に戻りますが、
わかりやすい一本道を選びたくないと
糸井さんが迷っていた40代の頃、
「大会で一等賞を取るよりも
 大会そのものを作る方がおもしろくなった」
というのは、どういう変化なのですか?

糸井 20歳だとか30歳ぐらいだと、
「自分ひとりで、何ができるんだろう?」
という、そういう戦いに興味がある時だと思う。
ぼくも、そうでした。
でも、それを多少なりともやってきた後で、
「ひとりでできることというのは、
 だいたい、行き詰まるなぁ」
と思ったんです。

すべての大会で優勝をしていこうという姿勢だと、
結局、自分のためになることだけしか、
やらなくなっていくじゃないですか。
「ひとりだけ」でやることって、
あんまりたいしたこともないなぁと思いますし。

それよりも、ほんとに何かをやりたいのか?
場所を作るだとか、作った場所で遊ぶだとか、
そういう方向なんじゃないか。
ぼくの場合は、そう考えるようになりました。

ほぼ日 それは、50代近くに
なったからわかることだったのですか?

糸井 ぼくにとっては、そうでした。
でも、実業家の人だとか、職種として
若いうちからこういうことを考えざるえない人は、
ぼくが45歳や46歳に考えていたような道に、
早くから入っていくかもしれないけれども。
でも、ぼくはフリーだったから、
なかなかそんなに早くは思いつかなくて……。

ただ、その変化があってから、
「自分ひとりができることは、たいしたことがない」
ということに関しては、
徹底的に実感するべきだと思うようになりました。

世の中、いろいろな人が、いますよね。
人として小さい人、器の大きい人。
浅い人、深い人、それはいろいろあるけれど、
そういう人たちとつながれる可能性があることは、
ひとりだけで何かするよりも、とてもおもしろい。
そう考えるようになっていったわけです。

そうなると、人と、対話形式で話すことに、
意識的に、すごく真剣になったような気がします。
聞きにくいことだけど聞いてみたい、
ということも、聞くし。
言いにくいことだけど伝えたい、
そういうことは、相手に伝えますし。
そういう情報の交換や感情の交換みたいなものが、
できるようになったんですよね。
「ひとりのチカラがたいしたことない」
と思ったからこそ、きちんと対話したいと思った。

45歳ぐらいの頃は、確かに、まだ迷っていた。
「わかりやすくて安全で退屈な
 一本道のほうには、行かないぞ行かないぞ」
と強く念じながら過ごしていた数年間と言うか。

ほぼ日 強く念じていたということは、
逆に言うと、言いきかせなければ、
一本道に行く危険性もあったのですか?

糸井 聖書での悪の誘惑だとか、
『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の章とか、
「こういうのも、いいぞ?」という誘惑については
昔から、かなり語られてきてますよね。
それだけ、解くのが難しい問題なんだと思う。

悪魔が耳もとでささやく誘惑って、
簡単に「要らないです」って断れるぐらいなら、
大問題にはならないんですよ。

一見、みんな、言葉上では
「オレはそんな欲望要らないですよ」
ってかっこつけるけれど、欲望をナメてますよね。
実際の人間の欲望って、頭で考えているよりも
ずっと、露骨なものだし、強いものだと思います。

昔から、人は権力やお金や生命を欲してきたし、
時間と空間を支配したいだとか主役でいたいとか、
そのために、いろんなことをしてきたわけですから。

ほぼ日 40代の迷いの前後で考えていたことを、
くわしく聞かせてもらえますか?

糸井 年齢が40代だった、
という状況だけではなくて。
それまでの道のりのなかで、
いろんな解決せざるをえない問題が、
ほんとうにたくさんあったんですよね。

問題をはっきりさせないほうがいい時と、
はっきりしたほうがいい時には、区別がある。
はっきりさせちゃったら、終わりになるという時に、
相手を傷つけてでも問題を解決したかったり
終わりにしたくなったら、はっきりさせればいいし、
傷つけあいたくなければ、はっきりさせない。

それもまた選択肢で、
「オレは言いたいことは何でも言う」
という方針は、簡単ですよ。
ひとつに決めていればいいだけで、
何も考えないでその方針のまま行動すれば済む。
でも、それは自分勝手に一本道を選んでいるだけで、
まわりの人にとっての最高の方針なのかは
わからないかもしれない
じゃないですか。

「言うことがあったら何でも言う」
「化けの皮をぜんぶはがしてやる」
そういう単純な方針って、
すべての問題の解決のしかたには、
ならない場合がおおいですよね。
問題の性質は、ひとつずつ違うわけだから。
経験の数が増えると、
そういうことがわかってくる。

いろいろな見方ができるようになると、
若い時に、すごいなあと思っていたものが、
実はたいしたことがなかったり、
それまで「たいしたことないなぁ」と
思っていたものがすごかったりというように、
あちらこちらで、逆接のカタマリになってくるの。
順目と逆目、両方を使えるようになるんですよ。
「やったほうがいいことは、
 やらないままでいるより、やったほうがいいな」
とか、
「ここは敢えてふざけて、みんなのための時間に」
とか、パターンはいろいろですけれども、
まるで、それまで生きてきたのが
今から何かをやるための練習だったかのように、

ものごとに取り組むのがおもしろくなってきたんです。

永ちゃんが「50歳っていいね」って言う中には、
自分が迷ったり楽しんだりたプロセスに、
近いものを感じるんですよ。
もう、今の年齢だと、たとえ失敗するとしても、
どの程度でどんな形で、というのがわかるんです。
「成功するとしたらこの程度で、そこからあとは運だ」
とか、そういうことも、見切れるようになる。

イザという時には速度も出せるけど、
ゆっくりやったほうがよければゆっくりやれるし、
矛盾する両側に足をつっこめるようになるんです。

たとえば、負けることは、イヤだけど怖くはない。
勝って勝って、勝ちまくらなければいけないんだ、
という強迫観念に押されていることはないですよね。
次の試合も、その次の試合もあるってわかってるから。

もちろん、この先60歳になってみて
どんなことを思うのかについては、
ぜんぜんわからないんですけど、今のところは、
自分の年齢について、こんなふうに思っています。



(※糸井重里へのインタビューは、今回でおわりです。
  次回は、新しい角度から「53」をお届けします。
  ご感想やご声援、いただけるとたいへん嬉しいです!)

2002-07-19-FRI


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