21世紀の「仕事!」論。

27 行司 34代 木村庄之助 伊藤勝治さん

第2回 軍配は無意識に上がる。

──
本物の土俵の上で、
本物の力士の真剣勝負をさばいていくうち、
軍配は、無意識に上がるようになる。
伊藤
無意識で上がんなきゃ、ダメですね。

以前、コマーシャルの撮影で、
行司の姿を撮りたいと言われて出たときに、
監督さんが
「残った、残った、勝負あった!」で
「軍配を上げるまえに、
 もうひと呼吸、置いてくれませんか?」
って言うんだけどね。
──
ええ、演出上。
伊藤
本物の勝負じゃないけど、
そんなのでさえ、難しかったんですよね。

勝負あった瞬間に軍配上がっちゃうから、
「ごめん、間違えた」
って言って、3回くらい撮り直しました。
──
身体が動いちゃうんですね。
伊藤
そう、逆に言えば、
ただ無意識に、もうなーんにも考えずに、
言ってみりゃ、
ぼんやりって言ったらおかしいけど、
そういう境地のほうが、
差し違えたり、軍配を迷ったりしません。
──
その場の流れに身を任せて、みたいな。
伊藤
もうね、いろいろなこと考えちゃうのが、
いちばん危険なんです。

それがね、下っ端のころなら
修行中なわけだからまだ許されますけど、
上の方、つまり、
式守伊之助だ、木村庄之助だという、
いわゆる「立行司」になったら、
差し違えたりなんか、できませんからね。
──
横綱大関という力士同士の取組になるし、
テレビ放映もされてるし‥‥。
伊藤
緊張感もあって、優勝のかかった一番は、
とくに、異様な雰囲気だから。

仮に優勝がかかってなくたって、
「この一番」って相撲、あるんですから。
──
ええ、ええ。
伊藤
そういうときこそ、
ぼーんやりと行司するのがいいんですよ。

そうすりゃ、自然と上がりますよ。
──
軍配というものは。なるほど。
伊藤
大一番でも、優勝決定戦でも、
きわどい相撲でも、相撲がもつれてもね。

土俵の上の行司を迷わせるのは邪念だし、
ま、そんなたいそうなものじゃなくても、
「あ、あんなとこに知り合いが」
とか、そういうね、ただの考えごとがね。
──
集中力を切ってしまう、と。

とはいえ、
番付の上のほうの力士の取組になったら、
すごい緊張しそうですけど。
伊藤
それは、まあね。ただ、むずかしいのは、
序の口、序二段あたりの相撲なんですよ。

なぜなら、理詰めの相撲をとらないから。
──
理詰め?
伊藤
何というか、幕下くらいになってくると、
相撲を覚えてね、
無駄な動きをしなくなってくる。
そこそこ「相撲になってくる」というか。
──
それが、序の口の場合は?
伊藤
とんでもないことするんです、ほんとに。

せっかく土俵際まで押して、
もうまわしから手を離したら勝てるのに、
また真ん中に引っ張ってきちゃって、
自分の得意の決まり手で投げようとして、
反対に、投げられちゃったりとか。
──
それは、予想がつかないから、
ある意味、見ててもおもしろそうですね。
伊藤
さばくほうは大変ですよ。
──
はじめて行司をされた取組の力士の名は、
薩摩富士さん、とのことでしたが。
伊藤
そう。
──
そのときの取組のことって、
けっこう覚えてらっしゃるものですか。
伊藤
ぜんぜん。相手力士の名前も、
どっちが勝ったかも覚えてませんけど、
無難に終わったんです、たしか。

で、「いいぞ、いいぞ」と思ってたら、
その次の次の相撲が、もつれてね。
──
ええ。
伊藤
でも、一生懸命に見て、
勝負あってバッと軍配を上げたんです。

勝負自体は間違ってなくて、
「やっぱり東の勝ちだ、ああよかった」
と安心してたら、
勝った力士の名前が出てこないんです。
すっかり忘れてんですよ。
──
なんと。
伊藤
で、教えてもらおうと思って、
控えの行司を見たら、こっち見てない。

うわー、まずいと思って、
勝負検査役の親方の顔を見たんですよ。
──
伊藤少年、すがるように(笑)。
伊藤
親方、ナントカ山だと言ってんだけど、
ぜんぜんわかんなくて、ダミ声すぎて。
──
「ダミ声すぎて」(笑)
伊藤
でも、そのうちに、反対側の親方とか、
控えの行司とか、呼出とか、
みんな「ナントカ山だぞー」って教えてくれて、
どうにか、なったんですよ。

もう、はじめての行司でしたから、
脇の下から汗がじっとりと流れ出てきましたよ。
──
ちなみに、そのような段階でも、
お給料みたいなものって、出るんでしょうか。
伊藤
出ます。だから当時、
わたし、同級生より金持ってました。

当時は給料じゃなくて、
場所手当って言ってたんですけどね。
行司と呼出と床山は、給料体制。
──
なるほど。ちなみに力士は‥‥。
伊藤
幕下は、いまだに場所手当って言います。
ふた月に一回、15万円くらいですね。

ただし十両以上、
つまり「関取」と呼ばれるようになると
一気に上がって、
毎月に「100万円以上」の月給が出ます。
──
わあ、すごい。
伊藤
幕下と十両とでは雲泥の差、天と地の差。

関取になれば付き人も3人くらい付くし、
部屋は個室だし、
稽古のときはまわし引っ張ってくれるし、
稽古が終われば、
風呂で背中流してくれるし、
洗濯してくれるし、
部屋の掃除も、付き人がやってくれます。
──
至れり尽くせりですね。
伊藤
ただ、その代わり、いざ幕下へ落ちれば、
自分の布団を持って
大部屋へ戻っていかなきゃならないです。
──
そこには、厳然たる境界線が。
伊藤
それはもう、はっきりした序列社会です。
本当にわかりやすいです、相撲の世界は。
写真提供 伊藤勝治
<続きます>
2018-01-31-WED
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