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敢えて、生命倫理について。

分子生物学を研究していると、実感するんです。
「生物学は、あまりにも社会から
ほったらかしにされているんじゃないか?」と。
それはあぶないことだなぁと感じるのです。

ちょっと、めんどくさいことかもしれませんが、
1年の始めに、「生命倫理」をテーマにして、
答えのない問題を考えてみませんか?
「ほぼ日」さんにインタビューしてもらいました。

【科学の裾野が拡がってほしいんです】


目鷹 クローン人間が今度生まれるじゃないですか。
あれって、どう思いますか?
ほぼ日 なんか、気持ち悪いですね。
目鷹 なんでクローン人間って気持ち悪いと思います?
つまり同じ遺伝子の人間がもうひとりいる、
っていうのが気持ち悪いんですか?
ほぼ日 いや‥‥深く考えず、
パッとそう思っただけですけど。
目鷹 もし、同じ遺伝子がもうひとりいると
気持ち悪いとしたら、「一卵性双生児」って、
厳密な意味で、同じ遺伝子を持っているんですよ。
ほぼ日 へぇー。
目鷹 それって、気持ち悪くないですか?
‥‥と言うのも、私は双子なんです。
ふたりで一緒に電車に乗っていれば、
もう、みんなにジロジロ見られるんですけれど。

今、ささやかな具体例を聞いてみましたが、
年始の「ほぼ日」では、
「生命倫理」というテーマを扱いたいんです。
私の研究生活の中で、ここ10年ほど
真剣に考えざるをえなくなったものですので。

「ほぼ日」では、
今みたいに具体的に話したほうが、
いいと思っているんです。
私が自分で文を書いてしまうと、
どうも、伝えたいことが多すぎて、
なんだか、くどくなっちゃうんですよ。

生命倫理はデリケートな話にならざるをえない。
そうなると、どうも、批判をされないように、
「隙のない議論」をしたくなっちゃいがちです。
でも、「隙を見せないよ」っていう文は、
他人を上から見下ろすようなものになるんです。

それって、読んでいてイヤなものでしょう?
ほぼ日 そうですね。
じゃ、一般の人代表みたいな立場で、
初歩的なことを伺っていきますね。

そもそも、
いま、最先端の分子生物学者の
目鷹さんにとって、生命倫理問題は、
仕事をしていく上で、毎日触れるものですか?
目鷹 生物でも、
私のやってるような分野だったら、
生命倫理は、基本的には関係ないですね。
私は遺伝子をいじってるだけなんです。
ほぼ日 それも、充分近いことに思えますけど。
目鷹 いや、もっと問題になっている
胚をいじるとか臓器を作るだとか、
あのへんとは関係のない研究内容ですから、
そういう意味では
生命倫理に毎日あまり抵触するほどの
仕事内容ではないなというのあるんです。
今、そのへんを実際にやってる方は、
悩んでなんていたら、絶対できないでしょうね。
ただ、私は自分でも、遺伝子を扱うことぐらいは
たいしたことがないと思わせようとしてるのかも。

ただ、私たち研究者の間では、
遺伝子は、ほんとに単なる「モノ」ですよ。
厳密な意味でも感覚的な意味でもモノです。
デオキシリボ核酸という物質であるからこそ、
遺伝子は操作することができる。
ただ、外に取り出していじるだけだったら
モノなんですけど、それを
生物の体の中に戻してやると、
遺伝子として働いちゃうわけです。
ほぼ日 なるほど。
そもそも、生命倫理に
強い感心を抱くきっかけは何ですか?
目鷹 いろいろありますが、
ひとつ大きなきっかけとしては、
大学の学部生の時に、
『病院で死ぬということ』
(山崎章郎/主婦の友社・1990年刊行)
を読んだことなんです。

「入院患者の多くは、多忙な一般病院の
 医療システムの中で見捨てられて死んでいく。
 人は90%が病院で死ぬが、今の病院は、
 人間らしく死んでいくのにふさわしい場所か?」


あれは何度も読み返しました。
病院についての話ですけれど、
科学論や生命倫理論として読みました。
価値観がひっくりかえったんです。

私は、あの本を読む前は
純粋な科学礼讃主義だったと思うんです。
「きちんと情報公開さえなされていれば、
 科学はものごとを正しい方向に進めてゆく」
それまでは、そういう無邪気な価値観で、
一生懸命、勉強していましたからねぇ‥‥。
ただ、あの本を読んでからは、
自分の基本的な軸足っていうのは
科学の方に置くのではなくて、もっと
「人間側」に置きたいと思うようになったんです。

いま思うと、気恥ずかしいのですが、
「科学的な真理を追い求めるのが最も大事だ」
と思っていた純朴な研究者が、
そうじゃないんだってやっと気づいたというか。
科学はあくまでも道具で、1人1人の人間を
幸せにするために科学ってものがあるんですよね。
科学が進歩することで不幸になるぐらいなら、
研究を止めてしまえばいい、と思えるのは、
それは、前の私にはない変化でした。
ほぼ日 その後10年ほど生命倫理について
関心を持ちつづけた目鷹さんと、
たまにクローンに関する新聞記事を読んでは
3分ぐらい「‥‥クローンかぁ」と思う
一般の人とは、どこに大きな違いがありますか?
目鷹 私のほうには、考えるための材料が
いっぱいあるということが大きいと思います。

生物学について専門的な訓練を受けているので、
自分の分野である遺伝子について以外の分野でも、
話題になっているトピックについて、それなりの
説得力を持って語ることぐらいはできるんです。

たとえば、クローンについて
問題になっている時に、何を思いますか?
私が知っているクローンについての問題点は、
「そもそも、今のクローン技術は
 まだちゃんと確立されていないからよくない」

ということなんですよ。
ほぼ日 へぇー。
目鷹 まだ科学的に決着がついていない問題ですが、
「クローンの羊は、普通の羊よりも、
 生まれた時から老化してるのではないか」
という話もあるんです。
ほぼ日 なんでですか?
目鷹 遺伝子のはしっこの、
テロメアというところは、生きてると
ちょっとずつ短くなっていくんですね。
クローンでは、
生きているものから遺伝子を取り出して
移植して子どもを作るものですから、
短くなったテロメアから新しい生命が生まれる。
だから、クローンは、生まれた時から、
残り寿命が多少短いと言われています。
このあたりはさまざまな噂が錯綜していまして、
いろいろな情報があるんですけどね。

しかし、それ以外に
クローンが技術的に危ないというのは、
奇形の率が多いことが言えることからも
明らかで、とにかく安全じゃないんですよ。
ですから、クローン社会がどうのこうの、
と論じる以前に、今では安全面からの
クローンについての反対が多いという状態です。

ほぼ日 今の例、一般人と全然違いますね。
「安全性の点で問題なんだ」
という基本点がわかった上なら、
話をしやすいですから。
目鷹 ええ。
実は私は、生物の研究者として、
もっと多くの人に、
生物学に興味を持ってほしいんですよ。
実際に分子生物学なんかをやりつづけていると、
あまりにも生物学が
社会からほったらかしにされて、
「研究の結果だけください」
ってことになっていると、実感しています。
でも、それはあぶないなぁと思うことが
いくつかありまして。

たとえば、敢えて言うと、
原発の不祥事なんかを見ていますと、
あそこには科学教育を受けていない人が
現場に立っていることがまるみえなんです。

科学がないところで、
科学をやろうということが
なぜかまかりとおってしまっています。
科学には結果しか求めないから、そうなる。

原発のことについて知らなくても
結果だけ出ればいいという配置をするから、
結果的にもダメになってしまう‥‥。

もっと科学が浸透していれば、
「ああいうところはおかしいよ」
といくらでもチェックできたはずの不祥事が、
多すぎるんですよ。
基礎さえわかっていれば、
分子生物学なんていうのは、おそらく
科学という学問の考え方を身につける上では、
物理や数学なんかよりも
ずっと易しいし、身近なものなんですよ。
だから、もうちょっと見てみれば、
すごくいろいろなことがわかるのに、と、
惜しいような気がするんです。

分子生物学で知ったことは、
命だとかそういう私たちの生活に
直結することだから、おもしろいんですよね。
だから、科学の裾野がもっと拡がって欲しい。

もしおおぜいの人が知らないままでいたら、
生命倫理問題は、
わけのわからないかたちで
解決されていくだろうと思います。
脳死についても、
最終的に国が勝手に決めちゃいました。
国や官僚が、脳死の答申を出す人たちを決めて、
そういう人たちが話しあって決めただけでしょう。
そういう話ばかりになってしまうと、
世の中のほとんどの問題が、
専門家と官僚だけで決められちゃうと思う。
それは問題があるんじゃないかなぁ、と。
科学の裾野がなかったら、そもそも、
問題点がどこなのかさえわからないまま、
ものごとが進んでいきます。


たとえば、アメリカでの
捕鯨反対運動にしても、あそこに、
科学的な話しあいはまったくなかったです。
だけど、なし崩し的な感情的な意見によって、
現に、捕鯨という文化は壊されてしまいました。
科学的な素養があまりにもないままだと、
第2の捕鯨や第3の捕鯨は、
いくらでもでてくるように思うんです。
それは、危険だなぁと感じています。

科学的な根拠のないままに
いいかげんなことが行われるっていうのは、
けっこう、たくさんあります。

たとえば、ソルブジンという薬がありました。
これは開発者の現場レベルでは、
非常にいい薬だと言われていたものです。
しかし、制ガン剤と併用することによって、
制ガン剤の副作用が出てきてしまった。
そこで死者が出て、問題になりまして‥‥。

ソルブジンという薬に悪いところは
なかったんですけれども、
一緒に使う薬の副作用を高めてしまった、
それだけで、発売禁止になってしまいました。

制ガン剤のほうが、昔からよく使われているから、
というだけで、その使用を邪魔するものが
葬られたんですね。とてもいい薬だったのに。
そういうことが、黙っていると起こりかねない。
そのことは、残念なんですよ。
ほぼ日 なるほど。
分子生物学や科学についての
興味や関心が底上げされたほうが、
もっといい判断ができるようになる、と。
目鷹 はい。
それと、自分でよく思うことは、
生命倫理問題は、
「それぞれの人の価値観」
を見つめなおすすごいいい機会になるんです。

自分で考えることもいいし。
自分の大切な人と、
生命倫理問題について話しあったりしたら、
けっこう、真剣になるんじゃないかなぁ。
そういうことも、今日はお伝えしたかった。

安楽死の問題だとか、
誰でもいますぐ考えられると思うんです。
「私とあなたがいて、あなたが苦しんでいたら、
 早く死なせてあげたいのか」だとか、ね。
今日は、年末年始にいきなりかよ、というぐらい、
面倒なそういう問いをいくつか用意したので、
お見せしますね‥‥。(見せる)
ほぼ日 うわ、これ、ハードなものもありますねぇ。
目鷹 もちろん、読者の方には、
こういうことが、生命倫理としてありますよ、
ということをお伝えするだけなのですが、
もしも可能でしたら、メールで
お答えいただけると、非常に参考になります。
ほぼ日 わかりました。
その道の専門家の目鷹さんにとって、
今後の研究の参考になるかもしれませんので、
もし、可能でしたら、
みなさんからの、
以下のアンケートへのご回答を
postman@1101.com
こちらにいただけるとうれしく思います。
もちろん、お名前やご住所などは要りません。
ただお答えいただくだけでだいじょうぶです。
目鷹 年始そうそう、
ややこしい問題で、すみません!
でも、専門家以外の方の意見を見ると、
すごく勉強になるものですから。

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<質問内容>

1)あなたが愛する人と結ばれ、結婚したとします。
  そして子供が欲しいと思ったとき、
  自分が、もしくは相手が、
  子供が産めない体と分かってしまいました。
  そんな時、どんな事をしてでも子供が欲しいですか?

2)妊娠しているあなたの子供が、
  たまたま行った出産前診断によって、
  大変な遺伝病にかかっている事が分かりました。
  あなたはその子供を産みますか?

3)あなたが(又は妻が)子供を流産したとします。
  お医者さんが、その子供を研究または治療に使いたい
  との申し出がありました。
  あなたはどうしますか?
  また、中絶の場合ならどうですか?

4)遺伝子組み替え食品、あなたは食べたいですか?

5)病気の治療中に、医者から薬の開発に協力して欲しい
  と頼まれてしまいました。
  つまり、その病気について現在開発中の新しい薬を
  使ってみて、効果を見てみたい、と。
  その薬は、これまでのデータからは良い薬であり、
  協力してくれる場合は危険の無いように最大限注意する
  また、断っても良いし、途中でやめてもかまわない
  …と言われたとします(これを「治験」と言います。)
  さて、協力しますか?

6)あなたのそばにクローン人間が居たとします。
  あなたはその人とどのようにつき合いますか?

7)有力な治療のない難病にかかった時、
  告知して欲しいですか?

8)あなたが医者に余命一ヶ月と宣告されたら、
  何をしたいですか?

9)最後に‥‥あなたはどんな時に幸せを感じますか?
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※生命倫理問題とは、こういう範囲のことも含むのですね。
 ちょっと、めんどうな問題かもしれませんけれど、
 よろしかったら、メールの件名を「生命倫理」として、
 postman@1101.com 宛てにお送りくださいませ‥‥。

目鷹ひろみさんへの激励や感想などは、
メールの表題に「目鷹ひろみさんへ」と書いて、
postman@1101.comに送ろう。

2003-01-02-THU

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